ポジティブ・シンカー
四葉くらめ
プロローグではなくイントロダクション
吾輩はポジティブ・シンカーである。名前はまだ無い。
このような言い方をすると、まるで僕が夏目漱石の小説を好んでいるようにも見えるかもしれないけれど、残念ながらそういうわけではない。
そもそも読んだことすらない上に、『吾輩は猫である』が夏目漱石の小説であるという自信があまりなかった。ほら、福沢諭吉とごっちゃになりそうにならない? お札の顔的な意味で。え、古い? にしてもなんで一万円札の丸いところ、楕円になっちゃったんだろうね。僕は真円の方が好きだったんだけどな……。
まあそれはどうでもいいとして、じゃあなぜこんな言い方で始めたのかと言えば、『僕』がこの文章の中でどういう立ち位置の人間であるのかを一文で表現するときに、これが誰の目にもすんなりと入り込むと感じたからだ。うん、やっぱり文豪は偉大だね。読んだことないけど。
さて、ではポジティブ・シンカーとは何なのかを説明しておこう。『シンガー』ではなく『シンカー』である。『thinker(考える人)』であり、すなわちポジティブ・シンカーは前向きな人とかそんな感じの意味だ。
つまり最初の一文は『僕は前向きな人間です! イエーイ!』とかそういう意味なのだが、正確に言うならばこれには多少の、あるいは多々の嘘が混ざり込んでいる。
それは僕が本当の意味でのポジティブ・シンカーとは言えないと、僕自身が思っているからだ。
僕はときどき、「こう考えた方が建設的だな」と考える。おお、なんとも前向きな。しかし、「こう考えた方が」と言っている時点で一度は後ろ向きなこと、あるいは後ろを向いていなかったとしても前も向いていないという停滞的なことを考えていた証拠である。
もしこれが本当のポジティブ・シンカーであれば疑うこともなく、よく言えば自然に、悪く言えば妄信的にポジティブな見方をするであろう。
であるからして、冒頭の文章を正確に言うならば、「吾輩はポジティブ・シンカーになりたい何かである」といったところだろう。
よく座右の銘は『~です』とかあるだろう。あれも同じことだと思う。すぐ右に置いておかないと忘れちゃうから、それは自分の中にはまだないから、きっとその言葉を自分のすぐそばに置いておくのだ。まあ最近は座右の銘なんて持ってる人は少ない気もするけど。
とまあ、そんなわけで、この文章はあくまでも僕がポジティブ・シンカーになるためのものであり、誰かを楽しませようとかいう目的でもなければ、感動を与えるものでもない。
言ってしまえば備忘録。これは小説ではない。
だから、今書いているこの部分はプロローグ(序章)ではなくイントロダクション(導入)だし、僕にはまだ名前が無いのである。
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