第26話 恐るべきオズワルド
半地下の窓から差し込む朝日を受けて、エフォートはゆっくりと目を開いた。
硬いベッドに、すり切れた毛布。清潔さにだけはいつも気を遣っている、いつもと同じリッチモンド家の使用人室だ。
「……?」
頬に感じるのは、穏やかな秋の風。
窓を見ると、カーテンが揺れている。寝る前に閉めたはずなのに、だ。
「おはようございます、デビッドさま。それとも、エフォートさまとお呼びした方が?」
鈴の音のような穏やかな声に、思わずエフォートは飛び起きる。
目に入ったのは、パフスリーブの黒いロングドレスに、純白のエプロンを着た黒髪の少女。
「なっ? グリーンバーグさん、なぜここに!?」
そこに居たのは、ノートン家のメイドのはずのナオミ・グリーンバーグだった。
彼女はスカートの裾をちょこん、とつまんでお辞儀をすると、開け放たれた窓を指差す。
「オズワルドさまが針金を使って開けてくださいました。それはもう、お見事なお手前だったのです。たったの十五秒で開いたのです」
涼しい顔でとんでもない事を言う。
これは、明確な不法侵入だ。
もっとも、人の事など言える立場ではないのだが。
「そ、それでオズワルド様は?」
ノックもなくドアが開き、当のオズワルドが入ってくる。
「ああ、おはようエフォート。このお屋敷広いからね、トイレも遠くて大変だ。ナオミ、エフォートに変な事されなかっただろうね?」
「はい。現実にはオズワルドさまがお気に入りの漫画みたいにはならないのです」
「いやだなぁ。僕はメイドもののエロ漫画なんて、そんなに多くは読まないったら」
小さな声で「二十冊しか持ってないし」と聞こえた気がする。
聞き間違いでなければ、結構な量と言えた。
なお、ナオミは『メイドもののエロ漫画』などとは一言も言っていない。
「大丈夫なのです。ナオミはオズワルドさまなら、ちょっとおっぱい触られたくらいでは怒らないのです。でも、ちょっとだけなのです」
「はっはっは、何を言ってるんだ。ナオミにおっぱいなんて無いじゃないか」
「ちょっとはあるのです!」
訳のわからない二人の会話にエフォートは思わず割って入った。
「オズワルド様! これはいったい何事ですか!」
オズワルドはポケットからグニャグニャと曲がった針金を取り出す。
「簡単だよ。この針金を使って――」
「そういう事ではなくて!」
オズワルドは微笑を浮かべると、針金をポケットにしまった。
ベッドに一歩、近付く。
「話は途中だったろう? でも、君が逃げないなんて誰も保証しないからね、
オズワルドは、まるで新しいオモチャを買ってもらった子供のような目をしていた。
「…………仕事がありますので、その合間にお願いします。あと、私の事はデビッドと」
「わかってるよ、男爵令嬢バージニア・リッチモンド専属執事のデビッド・ペイジ君。さ、仕事仕事!」
◇ ◇ ◇
バージニアの部屋をノックする。
「おはようございます、バージニアお嬢様。朝食の時間でございます」
「はーい! 今行くわ」
扉の向こうから響くのは、元気の良い声。
程なくして扉が開き、メイドたちが着付けた王立学院の制服姿のバージニアが顔を出す。
「おはようデビッド。……今日はちゃんとしているのね。昨日の服、あれ何よ? ダサいったらないわ」
「申し訳ありません。あれは私にも不本意な事でして」
「だったらもう、あんなダサい格好はやめてちょうだいね。家の恥だわ」
バージニアが言っているのは、もちろんオズワルドから借りた服の事である。
昨夜は誰にも会わないように裏口からそっと帰ったのだが、何の気まぐれか裏庭に出ていたバージニアに見つかってしまったのだ。
バージニアは腹を抱えて笑い出し、何事かと駆け付けた他のメイドにも見られてしまったのだった。
しかし、バージニアはあの服がオズワルドの一番のお気に入りだという事を知らない。
「善処いたします。急で申し訳ございませんが、オズワルド様がお越しになっております。応接室でお待ち頂いておりますので、朝食の後お越しください」
「まあ! そういう事は先に言いなさいよ!」
バージニアは耳を真っ赤に染めると、もじもじと落ち着かない様子で両手で口許を覆った。
頭の両脇で結われたブロンドが、ゆらゆら、ゆらゆらと揺れる。
「あ、あたしに何の用かしら。こんな朝早くから……。デビッド、学院に今日は休むと連絡してちょうだい」
「お嬢様。オズワルド様はすぐにお帰りになるとの事ですので、学院にはお行きください」
バージニアはあからさまに不機嫌な様子で、口を尖らせる。
「ええ~? そんな、久しぶりに会うのに。オズの停学はまだ解けないから、学院では決して会えないのよ。わかる?」
バージニアの部屋には、隠し撮りしたオズワルドの写真が飾られている。
メイドの話によると、朝起きた時にまず挨拶をするそうだ。
それも、熱烈な言葉で。
二人が最後に会ったのは入学式で、それ以来会っていない。
奇妙な事だが、会えない事でむしろ気持ちが膨らんでしまったようだ。
ある意味では当然かもしれない。
オズワルドは趣味を同じくする同好の士であり、それを学院ではひた隠しにしている。
「お気持ちはよくわかります。ですが、お休みなさっては私が旦那様に叱られてしまいますので」
「だったらオズを食堂に呼んでちょうだい。せめて、一緒に朝食をとるわ。うふ、うふふ……」
「かしこまりました」
◇ ◇ ◇
オズワルドと話すバージニアは、今までに見た事が無い嬉しそうな顔をしていた。
普段は手を抜きがちなテーブルマナーも完璧で、居住まいもいつもより大人しく上品だ。
あからさまな猫かぶりである。
ナオミは見るからに不機嫌だったが、給仕そのものは問題なくこなしていた。
バージニアの指示でオズワルドとナオミも一緒に、自動車へ乗り込み、学院へ向かう。
「それでね、ヒロインの台詞が本当、おかしくて! オズ、あなたも読みなさいよ」
「そうだねぇ。バージニアのおすすめなら、きっと間違いないだろうね」
自動車の後部座席はいつもにも増して賑やかだった。
学院の正門前で停まり、いつものようにドアを開く。
いつものようにバージニアの手を取るが、今日はなかなか降りようとしない。
「ねえデビッド……あたし、やっぱり今日は……」
「お嬢様、いけません」
学院には行ってもらわなければならない。
意を決するかのように、バージニアはすっと立ち上がる。
「……わかってる、わかってるわよ。デビッド、耳を貸して」
「何でしょう」
「今日はあたしの給仕はいいわ。オズを車でどこか楽しそうな所に連れて行って、ご機嫌を取ってちょうだい。さり気なくあたしのヨイショも忘れずにね。あくまでもさり気なく、よ。いい?」
バージニアはエフォートに耳打ちすると、数枚の金貨を握らせてきた。
軍にいた頃の給料は、月に金貨一枚半。
同級生の男の子のご機嫌取りにしては、過大にも思えたが、それを言っても仕方がない。
「かしこまりました。おまかせください」
「どっちみち今日は『集会』もあるしね。帰りはタクシーで帰るわ。頼んだわよ」
『集会』という言葉に、エフォートは胸に黒い染みが広がっていく気分だった。
可能であれば、バージニアを関わらせたくはない。
そんな事は知りようもないバージニアは、まるで映画女優のようなとびきりの笑顔を浮かべ、オズワルドに向けて優雅に手を振る。
「じゃあね、オズ。またいつでも来てね!」
「うん」
「待ってるわ、絶対よ!」
オズワルドに手を振られ、バージニアは名残惜しそうに学院の門をくぐっていく。
エフォートは深く頭を下げ、それを見送った。
「さあて、
オズワルドの手がエフォートの肩に置かれる。
その手はしっかりと力が入り、決して逃がさないぞ、という強い意志を感じた。
「やれやれ。……じつに嫌らしくて下品な笑顔ですね、オズワルド様」
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