第16話 暴カニ男
寝室のベッドの上。
疲れもあったのだろう、最初の一日は寝て過ごした。
サイドテーブルにはまとめ買いした漫画とライト・ノヴェルが計三セット。
翌日は部屋で一日中読書をして過ごした。
「ふああぁ……おっと、もう昼か。つい夜更かししちゃったからな」
寝室のドアを開き、リビングに出る。
「ナオミ……出かけたのか」
テーブルの上には置き手紙があり、買い物に出かけるとあった。
隣にはナオミの作ってくれた昼食が並んでいる。
サラダとスープ、それにサンドイッチ。
スープの入ったカップを手に取ると、魔力を込めるだけで湯気を立て始めた。
これは火属性魔法ではない。
魔力によってスープに含まれる水分子を振動させることで暖めているのだ。
「うん、成功だ。空想科学小説に出てきた『電子レンジ』を真似てみたが、本当にできるとはね。『マグネトロン』が開発されれば、ナオミでも使えるぞ」
電子レンジはライト・ノヴェルに出てくる空想上の機械だが、元々は殺人光線の研究から副産物として生まれたという設定だった。
サンドイッチは手の込んだもので、市販品ではなくナオミのお手製だ。
五分もしないうちに食べ終わり、熱々のスープを喉に流し込む。
「美味いなぁ。……うん」
静かだった。
リビングには塵一つ落ちていないし、着替えには皺一つ無い。
ナオミの仕事は完璧だ。
「……何が悪かったのかなぁ」
◇ ◇ ◇
あの日の屋上。
オズワルドを無理矢理引っ張ってきた理由を聞いても、彼らは一向に答えようとしなかった。
それどころかベンソンは正面から、ウンデルは背後から距離を取り、呪文の詠唱を始めたのだ。
彼らは高レベル魔法を使おうとしたようだが、術式に誤りがあり魔法は不発だった。
それを指摘したところ、シコルスキーが剣を抜き斬りかかってきたのだ。
オズワルドは防御魔法を展開して剣を弾いた。
実戦で鍛え上げられたボールドウィン侯爵に比べれば出力は劣るが、剣を弾くにはじゅうぶんだった。
その間にベンソンから火球が、ウンデルから氷塊が飛んできたが、オズワルドは難なく躱した。
『なぜ躱す』
などと言われても、黙って受けろと言うのも酷な話だ。
オズワルドはその場を立ち去ろうとしたが、杖や剣を突き付けられてはどうしようもない。
防御魔法で彼らの魔法をはじき返してやると、ベンソンの魔法がウンデルに、ウンデルの魔法がベンソンにそれぞれかすり、彼らはますます激情した。
シコルスキーも加わり無茶苦茶に放ってくる魔法を、ある時は弾き、ある時は躱す。
屋上のコンクリートやフェンスは、見る見るうちに破壊されていった。
これ以上続けては修理代が酷いことになると思ったオズワルドは、まずはベンソンに、続いてウンデルに軽く魔法を当てる。
彼らは拍子抜けするほどあっさり気絶した。
最後に残ったシコルスキーは逃げようとして躓き、壁に頭をぶつけて気を失った。
直後、ナオミたちが駆け込んできたのだ。
◇ ◇ ◇
「…………」
新入生歓迎パーティーの会場から追い出された時、教師たちはオズワルドを一方的に犯人扱いした。
停学期間は無期限。
その間に問題を起こせば退学だという。
ナオミは泣きだすし、バージニアは教師に食ってかかったが、決定は覆らないとの事。
「……黙ってやられているのが正解だった、ってか」
じつに馬鹿げた話だ。
しかし、気になる事が一つ。会場を出る時、こっそりとヘレンが耳打ちしてきたのだ。
『学院は体面を何よりも重視する。処分を覆すには、栄誉。英雄を悪く扱う事はないはず』
しかしながら戦争が終わり、クーデターも鎮圧されてから一年。
いまや、英雄が活躍できる場は無いだろう。
『じつは今、私の――』
何気なく新聞を眺めてみると、相変わらず怪盗の話題ばかり。
「……う~ん。ヘレン、最後に何か言ってたけど、警備の人がうるさくて聞こえなかったんだよなぁ」
会いに行って直接聞けば早いのだろうが、オズワルドはヘレンの家を知らない。
「ヒマならてつだってよー」
「えっ?」
不意に聞こえたのは、どこかで聞いたような女の子の声だ。
周りを見渡すが、当然部屋の中にはオズワルドしかいない。
「ここだよー」
窓枠に手を掛け、サラがこちらに手を振っていたのだ。
ここは二階である。
「何やってるんだ、危ないじゃないか! う、動くなよ……」
窓にそっと近付き、サラをそっと抱え上げて室内に降ろす。
どうやら雨どいを登ってきたらしい。
「玄関から呼んだんだけどなー。きこえなかったかー?」
「聞こえなかったよ! 落ちたらどうするんだ!」
「だいじょうぶだよー。『安全帯』つけてるもんねー」
サラの腰には太いベルトが巻かれ、ベルトからは大きなフック付きロープが伸びていた。
これならば落下しても地面に激突する事はない。
「それなら……いや、そういう問題じゃないよね? 危ないじゃないか」
サラは口をへの字にすると、眉を下げてオズワルドを見上げた。
全身が微かに震えている。
「……おこってるー?」
思わずドキリとする。
ここでサラを泣かせてしまっては、子供に八つ当たりしたのと同じ事だ。
つとめて笑顔を作り、サラの頭を撫でる。
「そ、そんな訳ないだろ。ははは」
「だったらきてよー」
サラの小さな手がオズワルドを引っ張り、一階のトレーニングジムの門をくぐる。
鏡の前ではボールドウィン侯爵がパンツ一丁でポージングの研究をしていた。
振り向きざま、窓から差し込む日差しに玉の汗が輝く。
「遅かったじゃないか……。なあ、
「蟹じゃないです。人間です」
エイプルではカニ男が暴れ、父親によって退治されるという民話がある。
「蟹になりたいんじゃなかったか? それを言っていたのは別の奴か。……まあいい。事実はどうあれ、お前さんに対する世間一般の評価はそうだ。暴力次男」
「でもあれは!」
「デモもスト武装蜂起もあるか! ……まあ聞け、オレは政府と衛兵隊から協力要請を受けている仕事がある。手伝え」
「なんで僕が」
侯爵は立ち上がると、オズワルドの顔を覗き込む。
「学院側は新入りのお前さんの話を全く聞かず、付属から上がったシコルスキーたちの話だけで処分を決めた。そうだな?」
オズワルドはベンチプレスの台に腰を下ろした。
「…………仰る通りです」
「なぜだろうな? お前、学院側が何を望んでいるか、わかるか?」
「わかりませんよ、そんなの!」
侯爵は寂しそうに笑うと、オズワルドの隣に腰を下ろす。
「学院が望んでいるのは『現状を変えないこと』。これだ。前任者から引き継いだ事業を、できる限りそのまま後任者に引き渡す。波風を立てずにな。やりすぎたんだよ、お前は」
「納得できませんよ」
「オレもさ……これを見ろ」
侯爵が差し出したのは、さっきも見た今日の新聞だ。
一面に載っているのは『シルバー・ピジョン』の記事。
王都の貴族から美術品を盗み出した件が大きく報じられている。
「まさか……」
「そのまさかよ。オレは『シルバー・ピジョン』を追ってるんだ。ヤツを捕らえりゃ、学院側は手のひらを返すことだろうぜ」
「ボールドウィン侯爵。あなたは――」
一見平和な王都。戦争は終わり、クーデターは鎮圧された。
しかし、新聞や週刊誌を賑わす希代の大怪盗と、大陸戦争の英雄。
オズワルドの全くあずかり知らぬところで、この二人は戦いを続けてきたのだ。
胸の中から何か熱いものがこみ上がってくる。
そう、これはまるで。
「漫画やライト・ノヴェルのヒーローみたいだ」
「ハッハッハ、褒めても何も出ないぜ、ぬぅん」
侯爵が筋肉を強調するポーズを取る。
後で知った事だが、そのポーズには『フロント・ダブルバイセップス』という名前があるらしい。
「ただいまもどりました」
アパルトメントの共用入り口が開き、ナオミが戻ってきた。
「ああ、お帰り」
ナオミは目を丸くすると、買い物籠を落としたかと思うと、そのままオズワルドの胸に飛び込んで泣き出した。
「うあああああん! オズワルドさま、外に出られるようになったのですね! もう『HIKIKOMORI』ではないのですね!」
「ご、誤解だよ。僕は初めからそんなんじゃないったら」
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