第5話 王都地下迷宮 その一

「地下鉄に乗ってみようと思うんだ。これから何度も乗るのだし、慣れておくに越したことはないからね」


 主のオズワルド・ノートンの言葉に、メイドのナオミ・グリーンバーグは理解が追い付かなかった。


「あの、オズワルドさま。チカテツとは一体、何なのですか?」


「王都の地下には何本ものトンネルが掘られていて、そこを電車が走っているんだ。使いこなせば、王都の端から端まで三十分とかからないらしい」


 王都の面積はウバスの七割ほど。

 端から端まで、どう考えてもそのような短時間で移動できるなどとは思えなかった。


「オズワルドさまは意地悪です。ナオミを何も知らない田舎娘だと思って、からかっているのですね?」


 言ってから気付くが、王都に来た日出会った少女がそんな事を言っていた気がする。


「田舎者は僕も同じだよ。地図を見て。アパルトメントのすぐ近くを線路が走っているだろう」


 ナオミは壁に目をやった。

 アパルトメントの壁には、オズワルドによって王都の地図が張られている。

 一日も早く王都の暮らしに慣れるためだ。

 中央から少し上、すなわち北の方に赤い押しピンが刺されている。

 それがこのアパルトメントの位置で、ほど近い所に線路を表す線が引かれていた。


「はい。ですが見たところ線路なんかありませんから、地図屋さんが間違えたのかと」


「これが地下鉄なんだ。昨日たまたま入口を発見してね。行ってみないか?」


 オズワルドは少し興奮しているようだ。

 子供の頃、屋敷の裏山に二人で出かけ、洞窟を発見した時と同じ表情をしている。

 ナオミは不気味な雰囲気が嫌だったが、入り口で一人待つのも心細かった。

 オズワルドも恐怖と好奇心の間で揺れ動いていたのだろう。

 結局その日は引き返し、翌日カンテラと水筒、少しばかりのパン、と万端の準備を整えて入り込んだ洞窟は、ものの十メートルほどで最奥に達した。


 その時の事は今でもよく覚えている。

 今回も、きっと蓋を開けてみれば大したことではないだろう。

 とはいえ、放っておけば一人で無謀な突撃を行い、泣きながら途方に暮れるかもしれない。

『オズワルドを頼んだぞ』と、ウバスを出る時ノートン伯爵から言われたのだ。


「かしこまりました。参りましょう」


 ◇ ◇ ◇


 目的の場所に辿り着くと、そこはまるで全てを飲み込む奈落の入り口かに思えた。

 石造りの入り口から見える内部は電灯で照らされているが、当然外よりは薄暗い。

 暗闇に向けて下る階段は、まるで神話に出てくる異界への階段に見える。

 七十段の階段を降り、焔の洞窟を越え、二人の門番に認められれば更に七百の階段を降りた先に異界への門があるという言い伝えだった。


「どうした?」


「い、いえ。何でもありません」


 オズワルドの顔を見ると、さも平静を装っているが、額には汗が浮かび、喉仏が動くのが見えた。

 不安なのだろう。

 しかし、それをナオミに気取られないように努力しているのが見て取れる。

 強がりだ。

 従者の前で情けない所を見せたくないと思っているのだろう。

 そんな無理はしなくていい、と言いたくなったが、そんな事を言えばオズワルドはますます引けなくなってしまう。


「もー。あの先生、最悪よねー」


「ホントホント! 目つきがイヤらしいの!」


 二人の脇をすり抜けるようにして、小学生と思しき女の子が階段を下っていく。

 ごく自然な態度で、なんら特別な雰囲気は感じられない。

 その後も労働者ふうの男性や主婦が階段を降りていった。


「……ナオミ」


「は、はいっ!」


「行こう」


 オズワルドは足下を見据え、階段を降りていく。

 従者の前で狼狽した姿を見せまいとする、貴族の鑑のような立派な態度であった。

 その目が少しだけ濡れていたのをナオミは見逃さなかった。

 拳を握り、ナオミも震える足を踏み出す。


「すごい……」


 目の前に広がるのは、無数の人々が行き交う地下世界だった。

 作業服に学生服、軍服。ドレスにパリッとしたスーツ、そして浮浪者同然のボロ。

 地上の喧噪がそのまま地下世界に再現されている。

 驚くべき事に、食料や雑貨を売る店までのだ。


「乗り場は……こっちか」


 ナオミはオズワルドが颯爽と歩いて行くことに驚いた。

 天井からぶら下がる案内板に従っていたのだ。

 その事に気付くのに数分かかったが、その態度は多少のぎこちなさはあるものの違和感はない。

 やがて、駅員が待つ券売所が見えてくる。


「今回は僕に任せてくれ」


 その時のオズワルドの活躍は、それはもう見事なもので、ごくごく自然に二枚の切符を買って見せた。

 ナオミは思わず固唾を呑む。

 次回からは、メイドである自分自身が同じ事をしなければならないからだ。

 改札口の係員に切符を渡し、ハサミで切り込みを入れてもらう。

 これで使用済みという事になり、乗車する資格を得るのだ。


「オズワルドさま……まだ下があります」


「大丈夫だ。周りの人と同じようにしていればいい」


 ナオミは不安でオズワルドにしがみつきたくなったが、はしたない女だと思われては困るので、代わりに自分のエプロンを握りしめて階段を下った。

 不意に聞いたことの無い轟音が鳴り響き、突風によろけそうになる。

 どうやらたった今、列車が出て行ったところらしい。


「行ってしまいましたね」


「そうだな。次は……っ!?」


 時刻表の前でオズワルドは固まった。


「どうなさったのですか?」


 拳を握りしめ、オズワルドは固まっていた。

 視線は時刻表に釘付けになったままだ。

 恐る恐る覗き込むと、時刻表にはぎっしりと数字が書き込まれている。


「つ……次の列車が来るのは……五分後だ!」


「そんな! ぶつかったりしないのでしょうか!?」


 列車の往復など、せいぜい一日に二回。多くても三回というのが常識のはずだ。

 しかし、王都では五分おきに列車が来る。

 信じられない話だ。しかし、周囲の乗客は気にする様子も無く、ホームに並んで列車を待っていた。


「わからない……だが、そういう物なんだろう。さ、僕たちも並ぼう」


「は……はい」


 オズワルドの背中は小刻みに震えていた。

 これから訪れる未知の体験に不安を抱えているのだろう。

 横顔を覗き込むと、やはり不安げな色を隠し切れていない。


「――――」


 わざわざこんな思いをしてまで、未知に挑む必要はないと言いたかった。

 しかし、ナオミはそれを思い留まった。

 いつかのノートン伯爵の言葉を思い出したのだ。


『勇気とは、怖がらない事ではない。恐怖と不安の中で自ら考え、そして行動する。それこそが勇気なのだ』


 あの時は、まだ伯爵の言葉がよく分からなかった。

 しかし、今なら分かる。

 息子であるオズワルドにも、伯爵の勇気が受け継がれているのだ。

 ナオミは深呼吸をすると、その勇敢な背中を見つめる。


「…………」


 先ほどまでとは、その背中が違って見えた。

 胸の奥から暖かいものが湧き上がってくる。


「え~、間ァもなく~、列車が参りま~。白線の内側まで~、お下がりっさ~い」


 プラットホームに駅員の声が響く。

 後で知った事だが、この奇妙に歪んだ声は音声を電気的に増幅しているのだ。

 程なくして、聞いたことのない奇妙な音が響いてきた。

 ピュン、ピュン、と。

 まるで、乗馬用の鞭を振り回しているようにも聞こえる。

 そして、腹の底から響く嵐のような轟音。


「オズワルドさま……」


 不安がわき上がり、オズワルドのジャケットの裾を掴んでしまう。


「だ、大丈夫だ。うろたえるんじゃない! さあ、来るぞ……!」


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