第4話 魔法のような

「大抵は使用人が先に来て、設備を把握するんだがな。なにせウバスからとあれば、そうも行くめぇ。オズワルド、お前も一緒に聞いておけ」


「わかりました」


 板敷きの階段を上がると、いくつもの部屋が並んだ廊下があった。

 右手側には窓がいくつも並び、外の通りが見える。

 ボールドウィン侯爵は二番目の部屋に鍵を差し込むと、勢いよく開いた。

 短い廊下が奥へ延び、開け放たれたドアの奥にはシンプルな、しかし上品にまとめられた家具が覗いている。


「右手にトイレと洗面所、シャワー室。左は厨房と使用人室だ! リビングは奥、その隣が寝室だ!」


 ボールドウィン侯爵は次々と室内の設備を説明していく。

 このアパルトメントには水道が敷かれ、便所も最新鋭の水洗式。

 それどころか地下のボイラーから温水が供給されるのだという。


「すごい……」


 目を丸くするナオミに、ボールドウィン侯爵が詰め寄った。


「ネェちゃん、メイドなら料理とかするだろ? ん、しない?」


 なぜか侯爵の大胸筋がピクピクと震え、腕には太い血管が浮かび上がっている。

 ナオミは両手で頭を守るようにしゃがみ込んだ。


「ひぃ……し……しますぅ! お、お料理、しましゅぅ……!」


「そうか。なら『ガスコンロ』の使い方は知っているか?」


「し、知らないですぅ……。お屋敷ではかまどと薪のオーブンで……」


「使い方を間違えると爆発するからな! オズワルド、お前なら分かるか?」


 侯爵が指さしたのは、直径三十センチほどの鋳物。

 形は何かの花に似ており、ホースのような物で壁の器具――元栓に繋がっていた。

 これなら、事前に調べた物と同じだ。


「……大丈夫です」


 オズワルドは壁の元栓を開くと、続いて『ガスコンロ』側の栓も開く。

 ガスの供給が始まったのが音でわかる。

 点火のため、人差し指を立てて魔方陣を呼び出す。


「よし」


 程度の差はあれ、貴族であれば大抵の者は火属性の魔法を使うことができる。

 呼び出した火は、小指の先ほどの小さなもの。

 火をガス台に近づけると、軽い破裂音を立てて青い炎が浮かび上がった。

 ナオミが生唾を飲む音が聞こえてきた。


「す……すごいです……あんな小さな火で、こんなことが……!」


「消すときは、こう」


 ガス栓を閉めると、火はかき消すように消えた。そのまま元栓も閉める。

 ナオミは子供のように瞳を輝かせると、オズワルドの腕に飛びついた。

 控えめな胸が当たってしまうが、本人は気にしていないようだった。


「こんな不思議な道具を一瞬で使いこなすなんて! さすがオズワルドさま!」


「なぁに、大したことじゃないよ」


「五十点」


 しかし、偉大なるボールドウィン侯爵には認められなかったようだ。


「――マッチを使え、原始人。このネェちゃんに使えねぇだろフンガーッ!」


 ボールドウィン侯爵がマッチ箱を突き付けると、ナオミは震える手でそれを受け取る。


「…………」


 ナオミは不安そうな瞳でオズワルドを見上げてきた。

 ここで緊張した顔を見せては、ナオミが緊張してしまうかもしれない。

 つとめて笑顔を心がける。

 ナオミは少し戸惑っていたようだが、きちんと見ていたのだろう。

 魔法をマッチに置き換え、難なく点火と消火を成し遂げる。


「あわわ……まるで、魔法使いになったみたい……!」


 オズワルドは、今度は無意識に笑顔が湧いてきた。

 こうしてナオミはまた一つ成長したのだ。ウバスにはガスコンロを使いこなせる者など、両手の指で数えるほどしかいないだろう。

 侯爵は腕を組み、複雑な表情を浮かべていた。


「ま、便利なのは結構だが、薪を売ってるやつは商売上がったりだからな。善し悪しだぜ……次だ。一度出るぞ」


 一度部屋を出ると、共用廊下を奥へ奥へと進んでいく。

 突き当たりの扉を開けると、そこには作業服姿の男と見慣れない機械が置かれていた。

 男はスパナやプライヤーなどが並んだ工具箱の蓋を閉めると、立ち上がって軽く礼をした。


「おや、そちらは新しい入居者さんですか?」


「ああ、そうだ」


 白い一抱えもある四角い物体で、高さは一メートルと少し。

 上部にはローラーのような物とハンドルが付いていた。

 男は侯爵に冊子を突き付ける。


「今設置が終わったところです。これが新しい説明書になります」


「おう、オレよりこのネェちゃんに説明してやれ」


 侯爵は説明書をナオミに渡すと、背中を押した。


「えっと……あのっ……」


 ナオミが口ごもっているが、男は特に興味もなそうな様子で話を続ける。


「説明書は後で必ず目を通してください。閣下もです! ……ええと、これが電源スイッチで……」


「ま、待ってください! これ、何ですか?」


 男は何をとぼけているんだ、とでも言いたげだった。


「何って、見ての通り洗濯機ですが」


「センタクキ……?」


「ボールドウィン様が力任せに壊してしまったので、修理を終えて戻した所です。一応まだ保証期間ですので。……酷い話っすよ。鼻紙が無かったからって、わざわざ説明書でかむなんて! 有り得ないっす!」


「は、はぁ」


 なぜか侯爵は力瘤を見せつけ、得意げにしていた。

 男は眉間に皺を寄せ舌打ちすると、ナオミに使い方の説明を始める。


「使い方はとても簡単。洗濯物と洗剤、水を入れてダイヤル式タイマーを回すだけです。柔軟剤はお好みで」


 男が言うには、この洗濯機という機械は、今まで丸一日を費やしていた重労働、洗濯を自動化する装置なのだという。

 水道管からホースで給水し、電動モーターで回転させる事で衣類を洗濯するそうだ。

 力仕事の絞りも、ローラーの間に洗濯物を通す事で簡単に終わらせる事ができるらしかった。


「しゅごい……!」


 ナオミは大いに驚いている様子だったが、オズワルドも思わず顎が外れそうになる。

 自分ですることはほとんど無かったが、洗濯の面倒くささと言ったら無いものだ。

 この機械によってそれを自動化できるのであれば、その間に他の事をいくらでもできる。

 その上、電気を使うということは、魔力の無い平民でも使える、という事なのだ。


「以前のモデルでは動力に蒸気機関を使っておりましたが、これは安全な電動モーターを使っているので女性でも簡単に使いこなせますよ。ただ、何でもかんでも洗える訳ではありませんのでご注意を」


 男の言葉は、確かに理解できる。

 しかし、理解できるだけだ。心が追いつかない。

 ジョージ王が生み出した科学文明の産物は、驚愕以外の言葉では言い表しようがなかった。


 ◇ ◇ ◇


 オズワルドは、この秋から王立学院へ進学する。

 エイプル王国の伝統ある最高学府。魔法研究の最先端だった。

 このアパルトメントは学院へも近く、通学に便利なのだ。

 寮に入るという選択肢もあったが、せっかく王都に来たのだから学院に籠もっているばかりでは面白くない。

 そんな時、最近アパルトメントの経営を始めたボールドウィン侯爵の事を聞いたのだ。

 父の知り合いらしく家賃も格安で、華美で豪奢な学院の寮よりも安く付く。

 ウバスの財政は決して楽観できる物ではない。


「……ふぅ」


 オズワルドはソファで一息ついた。

 ナオミが早速リュックサックからティーセットを取り出して並べる。


「お茶をお淹れします」


「ああ、頼む」


 ナオミが厨房に入り、先ほど使い方を覚えたばかりの『ガス台』を使ってお湯を沸かし始めた。

 オズワルドはソファに腰掛けたまま、室内を見渡す。

 壁は清潔感のある漆喰で、アーチ状の窓は開け放たれている。

 ソファとテーブル、書き物机と椅子、大きな本棚。

 暖炉もあるが、窓の下にはボイラーの蒸気を使う暖房器具が設置されている。

 窓の外には、どこまでも建物の屋根が続いていた。

 多くが平屋で、平民が暮らす長屋だろう。

 いくつも立ち並ぶ煙突からは、もくもくと煙が絶え間なく吹き出している。

 あれだけ石炭や石油を燃やしていれば、この暑さにも納得がいく。

 風向きによっては煤煙が吹き込むこともあるようだ。

 天井の角には、直系三十センチほどの風車が付いている。

 風車から伸びる紐を引っ張ると、魔力を込めなくても回り出した。

 電動の扇風機だ。

 実家では魔力を使う同様の器具を使っていたが、これならナオミも使えるだろう。


「ん、あれは……」


 本棚に一冊の本が置かれているのが目に入った。

 前の入居者の忘れ物かと思い、手に取る。


「……ええと、カーター・ボールドウィン著『美しい筋肉について』……だと?」


 どうやら大家の趣味らしい。

 開くと、筋肉を付けるために必要なトレーニング、食事、休養などについて事細かに書かれているようだ。

 オズワルドの興味を引くような内容ではなかったが、一枚のカードが挟まれていた。


『オズワルド・ノートン君へ。心ばかりのプレゼントだ! トレーニング、頑張ろうぜ! カーター・ボールドウィン』


「…………」


 見なかったことにして、本を棚に戻す。

 あまり言いたくはないが、大家の人格が原因で店子がすぐに出て行くため、家賃が安いのではないだろうか。


「……失敗……だったか?」


 いつの間にか、紅茶の美味しそうな香りが漂ってきた。


「お待たせいたしました」


「ああ、いい匂いだね」


 ナオミがティーカップをソファ・テーブルに並べ、大きな銀盆には先刻駄菓子屋で購入した菓子が盛られている。

 山盛りの菓子だが、金額はせいぜい銅貨五枚。

 口にすると、なるほど確かに安っぽい味がする。


「――まあいいか。考えるのは後にしよう」


 何もかもがウバスとは大違いなのだ。


 百万の民が住む、偉大なるエイプル王国の首都。王都エイプル。

 その最初の一日は、波瀾万丈と言って差し支えないものだった。


 これがオズワルド・ノートンの冒険の始まりである。

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