Merry X-day

敗者T

前編

「テストは予定通り行われるそうよ」


 言ったのは、若い美女である。

 波打つ豊かな黒髪に、扇情的な真紅のドレス。ルージュを引いた唇が、妖しげな微笑の形を取っている。


「当然、そうでなくては困る」


 応じたのは、壮年の男である。

 白いものが混ざった髪を撫でつけ、一分の隙も無いスーツ姿。上等なソファに深く腰を沈め、片手でワインのグラスを傾け、片手で膝の上の白猫を撫でる。


 薄暗い室内には、この二人だけがいる。

 窓は臙脂色のカーテンに覆われ、陽光も視線も通さない。

 この部屋で何が話されていようと、それは秘密のヴェールに守られる。


 女は椅子から腰を浮かせ、空になったグラスを取った。

 テーブルの上の瓶を持ち上げ、新たな一杯をそこに注いで、芝居がかった恭しさで差し出す。

 そうしながら、囁くような声で尋ねるのだ。


「ため込んだ私財を費やして。あなたはなぜこんなことをしているのかしら。……総理」







 同時刻、高度数百キロ地点。

 無限に広がる暗黒の海を、宇宙ステーションが飛んでいる。

 各国の首脳が資金を出し合って建設され、しかしいかなる国も公式には存在を認めていない、極秘の研究施設である。


 今、その内部は熱を帯びた緊張に支配されていた。

 揃いの帽子と制服を身に付けた研究者たちが、全員オペレーションルームに集い、食い入るようにメインモニターを見つめている。

 計画の大きな節目が、これより迎えられようとしているのだ。


 モニターに映る対象は二つ。

 一つは、大型の航空機である。銃弾を巨大化させたような流線型の胴体を囲んで、四基のロケットエンジンが装備されている。

 一つは、そのコクピット内の様子である。無数の計器の中心に、若い娘が座っている。

 おお、その人間離れした美貌! 髪は純金を溶かしたかのごとくに輝き、瞳は象嵌されたエメラルドを思わせる翠緑色に澄み渡る。

 そんな芸術品じみた容姿の持ち主が、無骨な機械の操縦席にあり、研究員たちと同じ衣装を纏っているのだ。明らかにただならぬ様子であった。


『ニコ-11。現時点で、何か問題は』

『ありません、博士。いつでも行けます』


 ――通信を介して呼ばれた奇妙な名。

 あえて秘密を明かすのならば、それこそが彼女の美しさの答えであり、この施設が公にできない理由の一旦である。


 彼女は人造人間なのだ。

 この宇宙ステーションにおいて“製造”され、それ以外の世界を知らぬ。そして生まれた瞬間から今この時まで、定められた役割のために教育されてきた。


『任務を確認しよう。君はこれより地球に降下し、大気圏突入のテストを行う。それに成功したならば、君のシリーズの最終形――ニコ-12が果たすべき仕事の予行演習も、そのまま行う』


 地球への降下。

 そう。今日をもって、計画の機密指定は一部解除される。

 この研究施設が生み出した恐るべき成果が、地上の人々の目に晒されることとなるのだ……!


『大気圏突入後、一時的に音声通信は遮断される。よって成功時はテキストでキーコードを送信すること。内容は覚えているな?』

『もちろんです』

『よし。君には優秀な姉たちから得られたデータが還元されている。既にある性能を発揮できれば心配はいらない。グッドラック』


 秒読みが開始された。

 格納庫のシャッターが開かれ、その先に広がる宇宙空間が露わになる。

 カタパルトが回転し、航空機の機首をそちらに向ける。

 ロケットエンジンが目を覚まし、ノズルに青い炎を湛えて、推進力を蓄える。


 そして。


『ゼロ』


 ――その瞬間、速度と速度が噛み合った。

 カタパルトが機体を撃ち出し、ロケットエンジンが機体を押し出す。

 重厚な機械が格納庫を飛び出し、X字の噴炎を上げて、凄まじいスピードで遠ざかる。


 その様子を、研究者たちはモニター越しに見ていた。

 機体の輪郭が母なる地球と重なり、見る間に小さくなっていって、すぐに噴炎の光も見えなくなる。

 それでも彼らは目を離さなかった。ニコ-11が地球に着き、キーコードを送信してくるのを、固唾を飲んで待ち続けた。


 待った。

 待った。

 待った。

 やがて。




 Nico-11:Merry Xmas!




「「「YEAHHHHHHH!!!!」」」


 歓声が弾けた。

 揃いのサンタ帽が宙を舞った。シャンパンの栓が抜かれ、興奮のままに撒き散らされて、揃いのサンタ服をしとどに濡らした。

 すぐさまターキーが運び込まれ、グラスが各自に配布され、一糸乱れぬ連携で、乾杯の儀式が行われる。

 オペレーションルームは盛大な宴会場と化した。


「良かった……良かったよ、11号……」


 飲めや歌えやの大騒ぎの中、涙ぐむ一人の美女がいる。金色の髪に緑の瞳。ニコ-11によく似ている。

 その肩を優しく抱く男がいる。研究者たちの一人である。彼は計画における役目を終えた彼女と恋に落ち、この宇宙ステーションで式を挙げたのだ。

 他にもニコ-11の“姉”たちは全員、今もここで職員として暮らしている。


「メリークリスマス、二人とも」

「所長!」


 そこへ新たな男がやってきた。

 畏まろうとする夫婦を手で制し、彼はただグラスを軽く掲げて見せた。二人は照れ臭そうにしつつも応じる。


「これからナビですか?」

「ああ。プレゼント配布プロセスの演習に移る。私はさしずめトナカイ役だな」

「お手伝いすることは?」

「いや、結構。楽しんでくれたまえ」


 一礼を背中に受けて、所長は退出した。

 大気圏突入に成功したサンタを、別室から通信で補佐し、プレゼントを待つ者たちの元へ導くために。







 第一段階成功の報を受け、男はワインのグラスを掲げた。

 まるでここにはいない誰かと、乾杯を交わしたかのようだった。


 そして女の質問に答えた。


「子供たちのためさ」


 ――本物のサンタクロースを作り出す。

 それが、この計画の目的である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る