Merry X-day
敗者T
前編
「テストは予定通り行われるそうよ」
言ったのは、若い美女である。
波打つ豊かな黒髪に、扇情的な真紅のドレス。ルージュを引いた唇が、妖しげな微笑の形を取っている。
「当然、そうでなくては困る」
応じたのは、壮年の男である。
白いものが混ざった髪を撫でつけ、一分の隙も無いスーツ姿。上等なソファに深く腰を沈め、片手でワインのグラスを傾け、片手で膝の上の白猫を撫でる。
薄暗い室内には、この二人だけがいる。
窓は臙脂色のカーテンに覆われ、陽光も視線も通さない。
この部屋で何が話されていようと、それは秘密のヴェールに守られる。
女は椅子から腰を浮かせ、空になったグラスを取った。
テーブルの上の瓶を持ち上げ、新たな一杯をそこに注いで、芝居がかった恭しさで差し出す。
そうしながら、囁くような声で尋ねるのだ。
「ため込んだ私財を費やして。あなたはなぜこんなことをしているのかしら。……総理」
◆
同時刻、高度数百キロ地点。
無限に広がる暗黒の海を、宇宙ステーションが飛んでいる。
各国の首脳が資金を出し合って建設され、しかしいかなる国も公式には存在を認めていない、極秘の研究施設である。
今、その内部は熱を帯びた緊張に支配されていた。
揃いの帽子と制服を身に付けた研究者たちが、全員オペレーションルームに集い、食い入るようにメインモニターを見つめている。
計画の大きな節目が、これより迎えられようとしているのだ。
モニターに映る対象は二つ。
一つは、大型の航空機である。銃弾を巨大化させたような流線型の胴体を囲んで、四基のロケットエンジンが装備されている。
一つは、そのコクピット内の様子である。無数の計器の中心に、若い娘が座っている。
おお、その人間離れした美貌! 髪は純金を溶かしたかのごとくに輝き、瞳は象嵌されたエメラルドを思わせる翠緑色に澄み渡る。
そんな芸術品じみた容姿の持ち主が、無骨な機械の操縦席にあり、研究員たちと同じ衣装を纏っているのだ。明らかにただならぬ様子であった。
『ニコ-11。現時点で、何か問題は』
『ありません、博士。いつでも行けます』
――通信を介して呼ばれた奇妙な名。
あえて秘密を明かすのならば、それこそが彼女の美しさの答えであり、この施設が公にできない理由の一旦である。
彼女は人造人間なのだ。
この宇宙ステーションにおいて“製造”され、それ以外の世界を知らぬ。そして生まれた瞬間から今この時まで、定められた役割のために教育されてきた。
『任務を確認しよう。君はこれより地球に降下し、大気圏突入のテストを行う。それに成功したならば、君のシリーズの最終形――ニコ-12が果たすべき仕事の予行演習も、そのまま行う』
地球への降下。
そう。今日をもって、計画の機密指定は一部解除される。
この研究施設が生み出した恐るべき成果が、地上の人々の目に晒されることとなるのだ……!
『大気圏突入後、一時的に音声通信は遮断される。よって成功時はテキストでキーコードを送信すること。内容は覚えているな?』
『もちろんです』
『よし。君には優秀な姉たちから得られたデータが還元されている。既にある性能を発揮できれば心配はいらない。グッドラック』
秒読みが開始された。
格納庫のシャッターが開かれ、その先に広がる宇宙空間が露わになる。
カタパルトが回転し、航空機の機首をそちらに向ける。
ロケットエンジンが目を覚まし、ノズルに青い炎を湛えて、推進力を蓄える。
そして。
『ゼロ』
――その瞬間、速度と速度が噛み合った。
カタパルトが機体を撃ち出し、ロケットエンジンが機体を押し出す。
重厚な機械が格納庫を飛び出し、X字の噴炎を上げて、凄まじいスピードで遠ざかる。
その様子を、研究者たちはモニター越しに見ていた。
機体の輪郭が母なる地球と重なり、見る間に小さくなっていって、すぐに噴炎の光も見えなくなる。
それでも彼らは目を離さなかった。ニコ-11が地球に着き、キーコードを送信してくるのを、固唾を飲んで待ち続けた。
待った。
待った。
待った。
やがて。
Nico-11:Merry Xmas!
「「「YEAHHHHHHH!!!!」」」
歓声が弾けた。
揃いのサンタ帽が宙を舞った。シャンパンの栓が抜かれ、興奮のままに撒き散らされて、揃いのサンタ服をしとどに濡らした。
すぐさまターキーが運び込まれ、グラスが各自に配布され、一糸乱れぬ連携で、乾杯の儀式が行われる。
オペレーションルームは盛大な宴会場と化した。
「良かった……良かったよ、11号……」
飲めや歌えやの大騒ぎの中、涙ぐむ一人の美女がいる。金色の髪に緑の瞳。ニコ-11によく似ている。
その肩を優しく抱く男がいる。研究者たちの一人である。彼は計画における役目を終えた彼女と恋に落ち、この宇宙ステーションで式を挙げたのだ。
他にもニコ-11の“姉”たちは全員、今もここで職員として暮らしている。
「メリークリスマス、二人とも」
「所長!」
そこへ新たな男がやってきた。
畏まろうとする夫婦を手で制し、彼はただグラスを軽く掲げて見せた。二人は照れ臭そうにしつつも応じる。
「これからナビですか?」
「ああ。プレゼント配布プロセスの演習に移る。私はさしずめトナカイ役だな」
「お手伝いすることは?」
「いや、結構。楽しんでくれたまえ」
一礼を背中に受けて、所長は退出した。
大気圏突入に成功したサンタを、別室から通信で補佐し、プレゼントを待つ者たちの元へ導くために。
◆
第一段階成功の報を受け、男はワインのグラスを掲げた。
まるでここにはいない誰かと、乾杯を交わしたかのようだった。
そして女の質問に答えた。
「子供たちのためさ」
――本物のサンタクロースを作り出す。
それが、この計画の目的である。
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