色の魔法使い2


「姉さんの話を書こうと思う」


 メルローの作業室で、俺はそう告げた。鍋をかき回していたメルローが顔を上げる。外の雪景色と同じ白い色をした髪が鍋に入りそうになって、慌てて掻き上げた。


「ごめんなさい。今よく聞こえなかったわ」


「……」


 俺は気が抜けて、ため息をついた。ごめんなさい、と慌てるメルローに、もう一度言う。


「姉さんの話が書きたいんだ」


「……そう」


 メルローはかがみ込んで鍋の火を消し、静かに立ち上がった。


「それじゃ特別なインクが必要よね。大丈夫。きっと気に入るのが作れるわ……必ず、気に入るものを、作るわ」


 メルローの真っ黒な目で見つめられ、俺は面食らった。全ての色を含む、魔女の瞳。


 ズズッと音を立てて、メルローは色の素材が入ったタンスの、一番下の段を開けた。何が入っているか、俺の知らない段。


「子兎の毛皮、蛇の抜け殻、食べられなかった蓄え、人の骨……」


 カチャカチャと、瓶やシャーレがぶつかりあう音が立つ。見たこと無い程真剣な顔で、メルローは出したり戻したりを繰り返していた。


「卵の殻、古い本の1ページ、言葉、諦めた夢……よりは叶った夢のがいいのかな。こっちの、最期の夢の方がいいかしら」


 ふいに彼女が振り返った。動けずにただ突っ立っていた俺はびくっとしてしまう。それにくすくすと笑った後、彼女は、僕を安心させるように微笑んだ。


「大丈夫よ。三日じゃちょっと無理だけど……そうね、二週間後に取りに来て。ちゃんと完成させておくわ」


 その力強い様子に俺は安心した。メルローに任せておけば大丈夫。そう思えた。







 二週間後、メルローに渡されたのはインクではなく、白い棒のようなものだった。


「もしかしてこれ、鉛筆?」


「そう。ナイフで先を削って使って」


 メルローは当然というようにうなずいた。俺は鉛筆を握ってみる。固くすべすべとしたそれは、不思議とぴったりと指に収まった。


「わかった。ありがとう」


 受け取ってすぐに家に帰る。さっそく削り、紙にペン先を滑らせた。


 さらさらと紙の上に載せられていく、灰色に似た色。黒というには薄く、灰色よりは濃く。少しだけその奥に赤を隠した色。これなら書ける。俺はそのまま書き始めた。


 姉さんのことを直接書くつもりはない。だからこの話には、姉に似た女は一人として出て来ず、姉に関する物は何一つ登場しない。それでも、これは俺にとって姉の話だった。


 ……気が付くと、朝になっていた。集中して書き続けていたらしい。大きく首を回し、再び書き始める。それから一週間、俺は一歩も家の外に出なかった。





 冬が終わり、再び桜の季節が近付いてくる。メルローの家は赤い屋根、白い壁に塗り替えられた。


 母さんから送られてきた紅茶を渡すと、メルローはとても喜んだ。


「せっかくだから一緒に飲みましょう。イチゴもあるわよ。今年もシェリーがくれたの」


 お言葉に甘えてテーブルにつく。メルローが紅茶を入れている間、俺は次に書く話のことを考えていた。紅茶の入った二人分のカップを持って、メルローが戻ってくる。しばらく世間話をしながら、二人でイチゴをつまんだ。


「そういえばあれから随分たつのに、まだ読ませてくれないわね。例の話」


 話題がとぎれたところで、メルローはさりげなくそう言った。姉さんの話のことだ、とすぐにわかった。少し黙ってから口を開く。


「あれは一生完成しないから。完成するとしたら、死ぬ直前。だから読ませられない。ごめん」


「あら、私は魔女よ。長い時を待つなんて得意だもの。いつまででも待つわ」


 悪戯っぽくメルローが笑う。敵わないな、と笑みを返して、俺は最後の一粒を頂戴した。





-FIN-

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る