異世界再会譚
見切り発車P
第1話
*
詩織にとって、図書室はいつも落ち着く空間だった。
小学校というところは、いつも何かトラブルが起こっていて騒々しいのだが、
図書室は静かである。
まずそこがいい。
電灯はついているのにどこか薄暗く感じる照明、
体がムズムズするような本の匂い、
そして、
図書室には友達もいた。
詩織がドアを開くと、本を読んでいた手を少しだけ止め、
会釈をくれた少女がその友人だ。
公立の小学校というところは、客層(客ではないのだが)が広い。
詩織は母と二人ぐらしで、生活はギリギリのところだが、
友人の貴子はその逆でお嬢様だった。
詩織は本を選ぶと、貴子の隣に座った。
しばらく静かに読書する。
「ねえ」
貴子が声を発した。
「どうかしたの? やつれてるように見えるけど」
「昨日――」
一瞬、昨日起こったことがフラッシュバックして、詩織は眉をしかめた。
「――いろいろあって」
「いろいろ?」
貴子は詩織の目を覗き込んだ。
そのまま目線を離さない。
詩織が話すまで、やめないつもりだ。
詩織はため息をついて、
「あたらしいお父さん、あの、前に話した人ね」
「ああ、イケメンで優しいって言ってたよね」
「……変なおじさんを家に連れてきて」
「……ああ」
「変なことしようとして」
「待って、待って」
貴子はストップをかけた。
「ここで話すことじゃなさそうじゃない?
あとで、駄菓子屋さんに行きましょ」
お嬢様の貴子は、それまで行ったことのなかった駄菓子屋がひどくお気に入りで、詩織と貴子はよくそこで買い食いをしていた。
また、駄菓子屋の近くにある寂れた公園のベンチは、ほとんど周囲の人が通らない。
そこで話の続きをすることにして、詩織は本の世界に舞い戻った。
*
「それ、ジドウギャクタイじゃない?」
貴子はニュースで聞いただけの言葉を使った。
「ジドウギャクタイ未遂、未遂だから」
「未遂でも悪いことだよ」
貴子は憤懣やるかたない様子で、
【うまい棒】を握りつぶした。
「お母さんには言ったの?」
詩織はうなずいた。
「少し。でもお母さん、新しいお父さんをいい人だと信じ込んでるから」
「まったく大人は!」
貴子はボリボリと頭をかいた。
「ケーサツとか、そういうのに話すとか」
「考えた。でもね、そうなってお父さんがタイホされたりしたら、お母さんが……」
「あまちゃんね、詩織は」
貴子は呆れたように笑って、
「よし、じゃあ、家出しよう」
「家出?」
「あたしもつきあう。二人で生きてこう」
「待って、待ってよ。家出って、お金ないし」
「あたしがお嬢様なのって、こういうときのためなんだと思う」
貴子はそういうと、ポケットから財布を取り出した。
ひい、ふう、みい……と声に出して紙幣を数えている。
「ホテルをやめてマンガ喫茶にすれば、しばらく持つと思うし、マンガも読める!」
「でも貴子、いいの? 一緒に……」
「あたしはいいよ。詩織は?
あんたはどうなの?」
貴子は再び、詩織の目を覗き込んだ。
これをされると、何一つ嘘が言えなくなってしまう。
貴子の必殺技だ。
でも今回は、一緒に行きたい気持ちと怖い気持ち、どちらが嘘でどちらが本当だろう?
「わたしは――」
「はーい、ストップ」
背後から明るい男性の声がした。
「いけないなあ。子どもたちだけで、マンガ喫茶に泊まるなんて」
「あら、あなたのやっていることのほうが、よっぽどいけないんじゃない?」
詩織の【お父さん】と貴子がにらみ合っていた。
「僕は詩織ちゃんの【可能性】を引き出そうとしただけだよ。
お母さんに似て、とてもきれいな目をしているからね。
きれいなものは、高く売れる」
「詩織は売り物になるつもりなんてなかったわよ」
「それはどうかな。
この子はお母さんを助けるためなら、どんなことでもする覚悟を持っている。
少なくともそう僕は見ていた。昨日は少し急すぎたけどね」
「でも――」
まだ何か言おうとした貴子を、詩織が遮った。
「この人と、ギロンしちゃ、ダメ」
「そうだね、大人と議論しちゃ勝てないよ。
それに僕も議論するつもりはない」
【お父さん】はそういうと、右手に持っているものを掲げた。
それはステンレス製の工具だった。
「聞いた話ではね、最近、【異世界転生】というものが流行っていると。
詩織ちゃんもよくそういう本を読んでいるよ」
「あたしも読むわ。それが何か?」
貴子はそう答えながらも、目は工具のほうに注がれていた。
「異世界には、怖い大人はいないかもしれないな。
で、君たちはそういう本を読んで、異世界にあこがれているのかも」
一瞬、詩織の眼前にビジョンが漂った。
霧の深い草原の中を、カンテラを片手に歩く一行。
その一人が詩織で、さらにもう一人、貴子もいる。
それは楽しい旅かもしれないと思わせた。
しかし。
「お父さん、貴子を巻き込まないで!」
「異世界には! 死のショックで転移するパターンが多いらしい!」
【お父さん】の振り下ろした工具が、貴子の頭部を強打した。
「貴子! 貴子、喋れる?」
「次は君だ! 君が他人に話しさえしなければこんなことにはならなかったのにな!」
【お父さん】の工具に、貴子の血がついていた。
詩織はその血のにぶい赤を見ながら、工具が振り下ろされるのを黙って待っていた。
***
それから、詩織の感覚では一瞬の後、
詩織は霧深い草原に一人寝転んでいた。
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