ライティング・マイハート

鐘鳴タカカズ

一章 僕の話

「はいボツ」

「え……最後まで読んでくれました?」

「うん。ボツ」

「えっ……あの、少しは面白かったですよね?」

「いや? ボツ」

「えっ……途中笑ってませんでした?」

「あまりに拙くてね。ボツ」

「……いやでも上月こうづきさん」

「ボツ」

「ええ……」


 西日の差し込む狭い資料室。中にいるのは僕と彼女の二人だけ。一つだけある長机に向かい合って座っている。

 お互いに思春期真っ最中なお年頃だというのに、そんな甘酸っぱい空気は微塵もない。むしろ少し埃っぽいくらいだ。ぱらぱらと彼女がその白い指でめくっているのは、僕が書いたプロット。今日は多めに5個も考えてきた。

 まぁそのすべてがボツだと今しがた断言されたのだが。


「そりゃね、私がプロットを作って来いとは言ったけど、こんなあらすじだけで解説が終わっちゃうようなものを持ってこられてもね。ていうか、君の文章を見せてよ。プロットできても書けませんじゃダメでしょ」

「いやでも……やっぱり最初の文章にはこだわりたくて」

「じゃあいつまでもこんなプロットだけ作り続ける気? ノート渡したでしょ?」


 音を立てて僕が持ってきたコピー紙をはたく彼女。


「僕も書きたいとは思いますけど……」

「そう思っているなら、まず最初に書き出すべきでしょうよ」


 上月さんは指で机を叩きながら詰問する。


「でも良いプロットがないと、書き上げたところで何の意味も……」

「……はい! 今日はおしまい! 全部ボツ! おつかれさまでしたまた来週!」


 彼女は強引に会話を切り上げるとスクールバッグをひったくって教室から出ていった。去り際のドアの締め方から見て相当に機嫌を損ねてしまったようだ。

 僕も机の上のプロットをまとめて、そそくさと資料室を出る。そしてその足で職員室へ向かいカギを返却した。去り際、高齢の女性教師に『資料は見つかりましたか』と聞かれたが『見つかりませんでした』と嘘をついた。女性教師は微笑んで『そう』とだけ返した。

 遠目に見える下駄箱では、誰かが靴を脱いでいるところが見えた。もし彼女だった場合、気まずいどころの話ではないので、少し間を開けて僕も靴を履き替えた。彼女は陸上部だから帰る時も早いのだ。

 帰り道、ポケットの中に入れておいた電話が震えた。あらかじめ設定しておいたアラームだ。それを確認した僕はいつもより少しだけ速足で、家までの坂道を登った。



***



「ただいま」


 家のドアを開けるのとほぼ同時に、ポケットの中で七時を告げるバイブが響いてきた。


「あら、おかえりなさい。今日は遅かったのね」


 キッチンから母の声が聞こえる。晩御飯の支度をしているのだろう。


「ごめん、資料室で調べものしてたんだ」

「あらそう……でもあんまりおそくなっちゃダメよ?」

「うん。ごめんね」

「あ、今日体操服使ったでしょう? 洗い物にいれておいてもらえる?」

「うん」


 洗面所に向かいながら、スクールバッグを開ける。腕を突っ込んで中をまさぐると、指先に覚えのない感触があった。

 疑問に思い取り出してみると、それは何かのパッケージだった。

 薄く平べったい、三センチ四方の物で、感触からして中には柔らかいリングのような物が入っているようだ。

 何かの拍子に入ったのだろうか。スクールバッグは教室ではいつも机の横に掛けている。誰かのポケットから転がり込んだとしても不思議はない。

 週明け、教室で誰かが探しているようなら声をかけてみよう。そう思って再びスクールバッグの中にそのパッケージを――


「何、それ」


 失敗した。

 音もなく後ろに立っていた母は、恐らく僕の手の中にあるものを凝視している。これが何かは分からないが、そうか、これは『トリガー』だったか。


「ああ、何かバッグの中に入っててさ、誰かの落とし物――」


 言い切る前に、母の手が僕の首に掛けられた。刹那、ものすごい力で僕の首を絞めにかかる。


「ああ、そうなのね。珍しく門限を破りそうになったのはそういうことだったのね」

「ァ……ッ……!」


 言い訳をしようにも声が出せない。じたばたと動かした足はスクールバッグを蹴り飛ばしただけだった。全力を出せば母の細腕から抜け出すこともできるのかもしれないが……もう少し早く決断するべきだった。数瞬後、僕はだろう。


「信じてたのに。あなただけは裏切らないって信じてたのに!」


 涙と怒りを湛えた母の顔を見ながら、僕の意識は薄くなっていく。頭から足まで、ぴんと張られた糸が切れて全身がばらばらになって言うことを聞かなくなる。白い雲海が目の前に広がって、意識も光も途絶えて、ただ暗いだけの闇の中に取り込まれる。

 しかし現実、そうはならなかった。


 ピンポーン


 僕を救ったのは間抜けなチャイムだ。その音を聞いた瞬間、母は余所行きの顔を取り戻し「はーい」と明るく返事をして見せた。床で盛大にむせる僕を放って、玄関へと向かう母に、もう涙の跡はなかった。

 誰が来たのかは知らないが、とにかく助かった。今日はまだ課題も終わっていないし、プロットも考えられていないのだ。いくら明日から連休でも、気絶で一晩を棒に振るのはよろしくない。

 母が玄関で話している間に、涎をぬぐって、蹴り飛ばしたスクールバッグの中身を集める。と、ふと気づいた。

 これ……僕のバッグじゃないぞ……?

 スクールバッグは男女共に同じデザインで、キーホルダーなどをつけていなければ、見た目にわかる違いはほとんどないといっていい。名札もあるにはあるが、つけている者は少数派だ。

 僕自身、その少数派だったこともあって、名札がついている物はだいたい自分のバッグだと思っていた。だから間違って持ってきてしまったのだろう。

 今、手元の名札に書いてある名前は「上月」だ。僕の苗字ではない。


りょう


 またしても、音もなく隣に立っていた母から名前を呼ばれる。


「そのバッグ、他の人のなんでしょう?」

「……えっ?」

「取り違えちゃったって。女の子が来てるわよ」


 僕が慌てて玄関に行くと、そこには息を切らせた上月さんがいた。彼女の家の方向は知らないが相当走ってきたのだろう。額からは汗がにじんでいる。


「はぁ……はぁ……これ……」


 差し出してきたのは僕の名札のついたスクールバッグ。中身を確かめてみたが、確かに僕の物だった。


「ありがとう」

「私のバッグは……」

「ああ、はい、これです」


 僕も持ってきたバッグを彼女に渡す。受け取った彼女は、しかし僕の顔を見つめたまま動かない。


「……中身、見たりした?」


 おそるおそる、といった様子で上目遣いをする彼女。よほど知られたくないものが中に入っていたのだろうか。


「いや、見てないです」


 彼女のためと思い、僕は嘘をついた。


「そう……わかった。あ……」

「はい?」

「いや……やっぱいいや。じゃあね」


 眉にしわを作って、どこか釈然としない風だったものの、彼女はそれ以上聞いてはこなかった。足早に玄関を後にする。

 上月さんが扉を閉めた後、母が話しかけてきた。


「さっきの、あの子の持ち物だったの?」

「うん。そうだったみたい」

「……ごめんなさい」


 突然、母は床に頭をこすりつけそうな勢いで頭を下げる。そして次はきっと、謝罪の言葉を垂れ流すのだろう。


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」

「いい、いいって母さん。大丈夫だから」


 僕も慰めの言葉を吐きながら、母さんの背中をさする。いつもならだいたい五分もすれば泣き止んでくれる。この調子なら夕飯前に課題まで終わらせられそうだな、と皮算用をしながら母さんを慰め続ける。

 一度トリガーを引いてしまえば、その日に再発する可能性は低い。帰ってすぐに遭遇した事には驚いたが、少なくとも今日中は静かに過ごせると考えれば、むしろ幸運と思ってもいいくらいだ。

 そうこうしているうちに、母さんが泣き止む。まだ目は赤いままだが、その瞳に狂気はない。いつもの優しい母さんの瞳だ。


「ごめんね。すぐ晩御飯の準備するからね」


 そう言うと鼻をすすりながら、無理に笑って見せた。


「うん。僕も先に課題を終わらせてくるよ」


 母さんが台所に戻るのを見送って、僕もリビングへと向かう。上月さんが持ってきてくれたスクールバッグからノートを取り出して、いつもより少し多めの課題をちょこちょこ進めていった。



***



「ごちそうさまでした」

「片づけはしておくから。先にお風呂入ってきなさい」

「うん。ありがとう」


 夕食後、僕がやるような家事はほとんどない。後は課題やプロットをこなして寝るだけだ。

 湯船につかりながら、今日、上月さんに資料室で言われたことを反芻する。

 小説を、文章を書きたい気持ちがないわけではないのだ。ただ、僕のこの感情が間違った形で出力される事が、とても恐ろしいことのように思えてならないのだ。もしも薄っぺらにこびへつらったものを書いたりなんかすれば、その時点で、僕の感情がそれに定義されてしまうような気がして、どうしても最初の文章が書きだせずにいた。

 僕は、どうして小説を書こうなんて思ったんだろうか……

 あの日、上月さんと知り合って、彼女に小説の書き方を教えてほしいと懇願した日。僕の心の中には確かに書きたい何かがあったはずだ。それを思い出すことさえ出来れば……

 ぶくぶくと湯船に泡を浮かべても、思い出すのは今日彼女からもらった辛辣な言葉の数々だけだった。

 恐れているままでは進めない。今はまだ見失っているだけで、きっと僕には書かなければならない何かがあるのだ。ならば怖くとも、進んでいくしかない。自信を持つのだ。本当に僕が書きたい何かを、絶対に見失わないという自信を。

 とりあえずは小説の体を成そう。なんでもいいから書くのだ。書けなくても、書くのだ。技術だなんだのを気にしているようなプライドも持ち合わせてはいない。初心者の特権だ。まずはそう、今日ボツにされたプロットの導入を書いてみよう。上月さんにはまた何か言われるかもしれないが、プロットだけ作り続けるよりは何倍もマシだろう。

 風呂から上がったあと、早速僕は課題に取り掛かった。僕は自室をもっていないため、母が起きているうちは小説を書けない。秘密にしているのだ。

 母さんは11時頃に寝室に向かったので、小説はその後書いた。どうにも書き方がわからなくて、書いた僕でさえ、ただ単語をちりばめただけのように見える。が、まだ次の勉強会まで一週間もあるのだ。労せず読めるくらいの文章には仕上げて見せよう。

 結局この日は午前1時まで小説を書いてから眠った。リビングに敷いた布団に入る前に携帯を開くと、上月さんから「今日はちょっと言い過ぎたかも。ごめん」と短いメールが来ていた。時間が時間だったので、返信はしなかった。どうせ週明けには会うことになるのだ。焦る必要もないだろう。

 僕は上月さんからのメールをしっかり削除して、すぐに布団に入った。

 目を閉じて思い出そうとしたのはあの日の想い。雨の中走り回って、どうしようもなく何かを吐き出したかったあの瞬間。悲しいのか苦しいのか冷たいのか、涙が止まらなくて、体の全部を放り投げて谷底に落ちたいと願ったあの瞬間。叫んでも叫んでも足りなくて、喉をからしたあの激情。

 そのすべてを引き起こした、あの日生まれた僕の想い。

 掴もうとしては霧散するそれを、必死に追いかけていくうち、僕の意識は泥の中に沈むように、ゆっくりと眠りに引きずり込まれていった。

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