二人ぼっち
この小説を藤咲一さんに捧げます。
同期入社の愛川さんとは配属された課が違うということもあって、新入社員の歓迎会で一緒にカラオケ歌わされていらい親しく話す機会もなかった。
彼女、二年制の短大出てるって言ってたから、四年制の大学を一年留年して卒業した俺とは三つ歳が離れてる計算。最初見たとき、同期の他の女の子たちにくらべて清楚というか控えめな感じがしてずいぶん真面目な子だなって思ったけど、うちとけて話をするうちに頭が良くてしかもけっこう面白い子だと分かった。それに笑うとめちゃ可愛い顔になるから俺もう、ちょっとやばいくらいにときめいてしまった。こういう子ってガチで好み。俺、まわりの友達からは頭悪いって思われてるし、事実悪いんだけど、だからこそああいう知的な感じの女性には心惹かれてしまう。頭の良い子って場の空気読むのも上手いから、俺みたいなもろB型って感じで気配りとか全くできない男にとってはまさに天使のような存在。実際彼女がいるだけで話も盛り上がったし、俺が下ネタとか連発してみんなから引かれそうになる前に話の流れ修正してくれたから大助かりっていうか居心地よくて、ついついずっと話していたいなって気持ちになった。何より俺が彼女笑わせようとしたら、どんぴしゃのタイミングで笑ってくれたときなんか、もう天にも昇る心地になった。
そんなこんなで歓迎会のときは大いに盛り上がったんだけど、その後はっていうと、俺、営業部で外回りやってるし、彼女総務課でずっと事務所の中にいるから、電話番号やメールアドレス聞き出すどころか顔合わせることすらほとんどなくて、もう赤の他人って感じで半年くらいが過ぎた。その頃になるとだんだん社内の事情も分かってきて、彼女がいる総務課っていうのが、じつは男は事務系のエリート、女の子は比較的きれいな子ばかりを集めた部署だと知った。一方の俺はっていうと、成績悪かったらすぐに首切られるような使い捨ての営業マンだったから、同じ会社の社員なのに彼女のことは高嶺の花みたいに思ってた。俺ガキの頃から諦めるの早くて、おかげで野球選手にもパイロットにも芸能人にもなれずに、こうして売れないセールスマンなんかやってる。だから彼女はきっと総務のエリートと結婚するんだろうなって諦めてた。実際、総務課では社内恋愛で寿退社する子がとても多いって聞いている。しょせん俺には縁のない話だと、友達から紹介された女の子としばらく付き合ってみたりもしたけど、なーんか違うなって感じで一ヶ月もしないうちにいやになって別れた。おかげでよく一人で酒飲むようになり、バーのカウンターで酔いつぶれては愛川さんのこと思い出したりして、そんなときはちょっと切なくて人生がいやになった。
ところが俺って土壇場で運が向いてくるタイプ。恒例の休日出勤がいやで偶然見つけたカフェでアイスコーヒー飲みながらふて腐れてたら、偶然彼女とめぐり会った。「あら、藤崎くんじゃない」って声掛けられたとき、ちょっと信じられないって感じで自分の目を疑った。以前おもしろ半分で西新宿の占い師に手相みてもらったんだけど、そのとき「まれに見る強運の持ちぬし」なんて言われたこと思い出して、ちょっとだけ神様信じる気になった。彼女この近所に住んでるらしくて、ここへは散歩がてらよくコーヒー飲みにくるらしい。俺この店に来たの初めてなのに「偶然だね、僕もよく来るよ」なんて嘘ついちゃった。そのときは一時間ほど楽しく話して「また会えたらいいね」なんて言って別れた。俺、帰りの電車の中でそのときのこと思い出して吊り革にぶら下がったままニヤニヤしてたら、向かいに座ってた女の人が驚いて席を移動した。その日から俺、週末になると時間作ってはそのカフェへせっせと足をはこぶようになった。
依然、会社では彼女と顔合わすことなんてほとんどなかったけど、でも日曜日のカフェで偶然を装って出会う回数はどんどん増えていった。最初のころ、ただ挨拶かわすだけで二人とも別々の席に座って大人しくコーヒー飲んでたけど、回をかさねるごとに会話する機会も増えて、いつの間にか同じテーブルはさんで向かい合うようになってた。これってひょっとしてデート? そう思ったらなんだか嬉しくなるし、ちょっとだけ勇気もわいてきた。まったく手のとどかないところにいるって思ってた彼女を、すごく身近な存在として感じはじめた。
そんな宙ぶらりんの関係が二ヶ月ほど続いて、俺もそろそろ次の段階へ踏み出さなきゃって思いはじめたとき、彼女の誕生日が近いことを知った。それとなく聞き出したらまだなんの予定も入れてないって言うし、これってきっと神様が与えてくれたチャンスだと思う。でも食事とか誘って警戒されたら彼女もう俺のことかまってくれなくなるかもしれないし、そうなったらこのささやかな幸せも失うことになるから、俺もう清水の舞台から飛び降りる覚悟で行動に出た。すごく緊張しながら「美味しい中華料理の店みつけたんだけど、そこで一緒にお祝いしない?」って誘ったら、彼女拍子抜けするくらいあっさり「やったあ、ありがとう」って言ってくれて、それから二三日はもう夢見心地でふわふわ雲の上歩いてるみたいに浮かれまくってた。
初めてのデートはメシ食ってカクテルで乾杯して一緒にカラオケ歌っただけで別れたけど、でも彼女すごく喜んでくれて、別れぎわに「今日は楽しかったあ、また誘ってね」なんて言ってくれたのでもう大成功ってかんじ。その日から、カフェで約束とりつけては、週末の夜に食事したり映画観たりするようになった。でも恋人同士ってよりは同期入社の仲良しって感じかな。俺ここぞというタイミングで腰砕けになること多いから二人の関係もなかなかそこから先へは進まずじまい。
でも男女の関係って勢いだけで急展開したりすることがあるから不思議。ある日、いつものようにデートした帰り彼女をマンションの前まで送っていったら、なんか急にそういう雰囲気になっちゃって勢いでキスした。俺たぶん見た目には冷静に行動してたんだと思うけど心の中はちょーパニクってて、「好きです」って言ったあとに「け、結婚して下さい」なんてうわずった声上げちゃった。彼女すごく驚いて、俺も「やばっ!」って思って、ああもうこの先どうなるんだろうってびくびくしてたら、彼女「本気なの?」って訊いてきたから「本気です」って答えたらいきなり抱きつかれた。二十数年生きてきて、もっとも驚きと嬉しさに満ちたハプニング。結局その日はじめて彼女の部屋へ招かれて、朝まで一緒に過ごした……。
うだつの上がらない営業マンの俺と総務の花みたいに言われてた愛川さんが結婚するって話は、もの凄い早さで社内に知れ渡って、しばらくは社員食堂でも休憩室でもその話題で持ちきりになった。やっかみ半分でちょっとひどいこと言われたりもしたけど、でも式が近づくにつれお祝いムードも高まってきて、披露宴でうたう歌を会議室で練習してる女の子たちや、二次会三次会の出欠とってる幹事の姿なんかをよく目にするようになった。
記念すべき二人の結婚式まであと二週間、ほんとあと二週間というところまで迫ったとき……。
俺、会議中に突然総務課長から呼び出されて、いったい何ごとだろうと思ってたら、愛川さんが出勤する途中交通事故に遭って病院へ運ばれたって聞かされた。なんかもう目の前がまっ暗になって、会議で使う資料やら商品のサンプルやらを抱きしめたままタクシーに飛び乗った。車の中でうわ言みたいに「神様、神様……」ってつぶやいてたら、運転手が心配して「どうしたの?」って何度も訊いてきた。俺なんにも答えられなくってただ黙って涙ぽろぽろこぼしてたら、病院の前で料金払い終えたとき「気を落とさずに頑張れよ」って声掛けられた。
ところがナースステーションで教えてもらった病室へ駆け込んだら「あれっ?」って拍子抜けするくらい彼女元気で、お見舞いに来ていた友だちと楽しそうに談笑してた。俺がもの凄い形相で飛び込んでいったものだから、最初驚いて「いったいどうしたの?」って笑ってたけど、俺が泣いてるの見て目を伏せて「ごめんね」って言った。横断歩道で車に引っ掛けられて転んだとき、ちょっと頭打ったんで救急車に乗せられたけど、怪我はかすり傷程度だからぜんぜん心配ないって。俺まじで胸がつぶれるほど心配したけど、でも無事でほんと良かった。
彼女が元気なこと知って安心したら、会議の途中だったこと思い出して慌てて会社に連絡入れた。こっぴどく叱られるかなって思ってたら俺の上司なぜだかくすくす笑ってて「今日は仕事もういいから、愛川君のそばにいてやれ」って言ってくれた。その日は二人で見舞い客の相手をするかたわら、式の手順とかもう一度確認したりして面会終了時間まで一緒に過ごした。病院からの帰り道、神様にお礼しとかなきゃって思い立って、でもどの神様にお礼言ったらいいのか分からなくて、偶然見つけた神社に立ち寄ってお賽銭投げて「ありがとうございました」って手を合わせた。と同時にいい歳して人前で泣いてしまったこと思い出して、急に恥ずかしくなった。
その三日後に愛川さんは突然死んだ。
頭の中で出血してたのを医者が見落としてたらしくて、気づいたときにはもう手遅れだった。どうせ最後に奪ってしまうのなら、こんな幸せ初めから与えなければいいのにって、俺めちゃめちゃ神様のことを恨んだ……。
告別式が終わって焼き場で彼女の骨拾って骨壺におさめてるとき、焼け残った骨に混じって変なものが転がっているのを見つけた。ぐにょぐにょに溶けて道路へ吐き捨てたチューインガムみたいに変形してたけど、それ、たぶん俺が贈った婚約指輪。彼女のお母さんに訊いたら、どうしても指から外れないって葬儀社の人が困っていたので「だったらそのまま一緒に焼いて下さい」って頼んだという。俺その指輪そっとハンカチにくるんでポケットに入れた。彼女の両親も親戚も、だれも咎めたりしなかった。
初七日が過ぎて、本当だったら明日が結婚式だって日に、俺のもとに一通のメール便が届いた。差出人の名前見て、俺飛び上がるほどびっくりした。だってそれ、死んだ愛川さんからの手紙だったから。送り状の日付確認したらかなり以前に出したものみたいで、配達指定日が今日になってた。慌てて封切って読んでみると「明日から私の旦那さまになる人へ」って書き出しで、ちょっとくだけた感じの彼女の文章が便箋三枚にわたって綴られていた。将来の夢とか新しく妻になる意気込みなんかが書かれていて、俺読み進めるうちに涙がぽろぽろこぼれてくるのを止められなかった。きっと結婚式の前日にこんな手紙届いたらびっくりして緊張もほぐれるだろうなって彼女なりに考えてくれたんだと思う。なんか愛川さんがまだ生きていて、手紙の向こうから俺に語りかけてくれてるみたいに思えて、いてもたってもいられない気持ちになった。便箋の上に涙こぼさないよう気をつけながら読み進めていくと、手紙の最後のほうに「私が勝手に決めた夫婦の約束ごと十箇条」というのがあって、その十番目にこんなことが書かれていた。
十、もし二人のうちどちらかが先に死んでも、いつまでもくよくよせずこれまでの思い出を大切に頑張って生きてゆくこと。
俺、手紙顔に押しつけてわんわん泣いてしまった。愛川さんがすぐそばにいるみたいな気がして、手紙に頬ずりしたら彼女の肌にもう一度触れられるような気がして、便箋がくしゃくしゃになるまで顔にこすりつけて泣いた……。
しばらくして少し気分が落ち着いてから、捨てようと思って玄関に積んでおいた二人の思い出の詰まったフォトアルバムもう一度本棚へ戻して、あと今日送られてきた手紙と火葬場で拾った婚約指輪を机の引き出しに大切にしまって、そして会社の上司に連絡入れた。
「有給まだ残ってるけど、俺明日から出社します」
しばらく沈黙があって、それから「がんばれよ」って言われた。
まじ、俺なんかのこと好きになってくれた愛川さんのためにも頑張って生きてゆこうと思う。
明日ケーキ買ってきて、ここで結婚式やることにした。
俺たち二人ぼっちの、結婚式。
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