ちはやブル劇場
ちはやブル
心霊探偵☆藤村沙織の事件簿
「あっ所長、先ほどから依頼人がお待ちかねですよ」
雑居ビルの二階にある事務所へ入るなり、助手の沢田くんにそう言われた。ついでに鼻をつまんで手をパタパタされた。
「うわ酒くさっ。また二日酔いですか、いいかげん徹夜で飲むのヤメてもらえませんかね」
若造のくせに小言が多い。
なにか言い返してやりたいところだが、まあよし。鏡のまえですばやく化粧をチェックする。
なんたって、ひさしぶりの仕事だもんねルンルン。
パンツスーツのしわをのばし「応接室」とコピー用紙を貼っただけのドアをあけた。
あん?
すぐにしめた。給湯室にいる沢田くんを手招きする。ティーカップにお湯をそそいでいた彼は、ヤカンを持ったままトコトコやって来た。
「なんすか?」
「ちょっとォ、なかにいるの子供じゃないのよ」
「たぶん中学生くらいだと思います」
「まさか、あの子が依頼人じゃないでしょうね」
「そうですけど」
沢田くんは意に介さぬといった様子ですぐに給湯室へ戻っていった。その背中に向かってたずねる。
「……てことは、もしかして裏稼業のほうの依頼かな?」
背中はこたえた。
「さあ、ちょくせつ訊いてみてください」
やはり中学生だった。
県内にある有名私立中学へ通っているとのこと。名刺をさし出すとオドオドしながら受け取った。
ニコニコ興信所 所長 藤村沙織
わたしの名刺を穴があくほど見つめてから、彼は恐るおそる顔をあげた。
「あの、ぼくネットでいろいろ調べて、それでここへ来てみたんですけど……霊と交信ができるって本当ですか?」
やはり裏稼業のほうか。でも残念、その『コウシン』じゃないんだな。
「悪いけど、うちは霊媒やってるわけじゃないのよ。ここは探偵事務所なの。イタコを探してるんなら恐山へ行ったほうがいいわ」
「でもホームページには、心霊調査も受け付けるって……」
「調査するだけよ。なぜそこに幽霊が現れるのか、どんな因縁が隠されているのか。あくまでも調べるだけ。霊とはお話できないの」
そう説明してやると、彼はちょっと考えてからわたしの目をまっすぐに見て言った。
「じゃあ、その調査というのをお願いできますか」
話はこうだ。
二年ほどまえ、少年の家族が暮らす家の向かいに病院が建った。五階建ての総合病院で、調剤薬局なども併設している立派なものだ。昼間は多くの患者がおとずれるその病院も、夜の十時を過ぎるころには入院棟の明かりが消され、なかはひっそりと静まり返る。ちょうど彼の部屋からは、市道をはさんでその建物の裏口が見渡せた。
「ある夜、受験勉強をしながらふと窓のむこうへ目をやると、裏口に女の子が立ってるんです。おかっぱ頭で、うす緑色の検査着みたいなやつを着ていました」
その女の子はしばらく敷地内をウロウロさまよってから、市道のほうへ出てきた。途方にくれたみたいに、あたりをぼんやり見回している。
「なにしてるのかな……って見てたら、とつぜんスーッと消えたんです。見間違いじゃありません、本当に霧のように消えてなくなったんですよ」
その日以来、二ヶ月か三ヶ月に一度の割合で幽霊が現れるのだという。幽霊は子供のときもあれば、若い女性のときもある。みな一様に途方にくれた様子で病院の周辺をさまよったあげく、最後には消えてしまうらしい。
「……なんとなく、あの病院で亡くなった患者さんのような気がするんですよね」
彼は引きつった顔でそう言った。わたしはテーブルのうえにある紅茶をすすめてから、訊ねてみた。
「でもきみ、それを調べてどうするつもり?」
「じつは、ぼくの妹が小児喘息で東京にある病院へ通ってるんですけど、せっかく近くに大きな病院ができたのだから、そこへ転院させようって親が言うんです。だけど患者が死ぬような病院なら妹を通わせるのは心配ですし……。もちろん幽霊のことは親にも言いました。でもまったく相手にしてもらえなくて」
「それで、うちが調査した報告書を見せて親を説得しようというわけね」
コクンとうなずく。
正直やりたい仕事ではないが、幽霊が出るという病院にはちょっとだけ興味がある。それに幸か不幸か、今ものすごくヒマであった。
「いいわ、やってあげる」
「本当ですか」
喜んだあとで、彼は恐るおそる長封筒をさし出してきた。
「ぼく、こういうのって費用がいくらかかるか分からなかったんで……これじゃ足りませんよね?」
封筒のなかには一万円札がきっかり十枚入っていた。もちろん不足だが、中学生にとっては大金だ。きっと苦労して用意したに違いない。わたしはそのなかから三枚だけ抜き取ると、あとは彼に返した。
「残りは成功報酬として、調査が終わった後であらためて請求させていただくわ。心配しないで、うちは明朗会計だし支払いの分割も可能よ」
「あ、はい」
「それに学割はきかないけど、きみの妹思いな優しさに免じて、安くしてあげる」
「ありがとうございます」
ホッとしたような顔で封筒をカバンへしまい、立ちあがってペコリとおじぎをした。
「それじゃ、あの、よろしくお願いします」
「引き受けたからには、きっちり調査させてもらうわよ。大船に乗ったつもりで、お姉さんに任せなさい」
「え……お姉さんって?」
少年はキョトンとした顔でわたしを見つめた。ドアの向こうで沢田くんがプッと吹き出す。
きみたちバケツ持って廊下に立ってなさい。
病院は新興住宅地の一角を切り開いて、堂々とそびえていた。
メディカルセンター三浦。
県道に面した正面玄関はひとの出入りもありにぎやかだが、少年の家があるという裏通りのほうは車の往来も少なく閑散としている。
裏口というからてっきり職員用の通用口かと思っていたが、どうやら物品を運び入れるための搬入口のようだ。今は産廃業者のトラックがきて、医療廃棄物の梱包された箱を荷台へ積み込んでいる。おそらく夜になればシャッターが下りてしまうのだろう。
駐車場もふくめると、病院の敷地はかなりのものだった。念のためここへ来るまえに役所へ寄って登記簿を調べてみたが、病院が建つまではずっと農地だったようで、土地にまつわる血なまぐさい過去を示唆するものはなにもなかった。
ワゴンRのエンジンをとめて一時間ほどながめていたが、なんということもない、ふつうの病院だ。もちろん幽霊がいたって、霊感のないわたしには見ることができないけれど……。
「今日は収穫なしか」
ちょうどお腹も減ってきたし、とりあえず何枚か写真を撮って帰ることにした。
事務所へ戻ったのは夕方近くだった。デスクへ着くなり、先に調査を終えたらしい沢田くんが肩を落としながらやってきた。
「所長ダメです。医療ミスで死亡した患者が大勢いるものと思って調べてみたんですが、亡くなったのは病院が設立されてからわずかに二人だけでした。どちらも老衰のようで、べつにあやしいところはありません」
「……そう。あてがはずれたわね」
「あの病院、評判は良いらしいですよ。医療ミスどころか、他所でさじを投げられたような重篤な患者さんを積極的にひきうけて、それをみごとに治療してるんです。とても死者の恨みを買うようなところとは思えません」
ため息をついて、沢田くんが入れてくれたコーヒーをすする。ちょっと調べればボロが出るかと思っていたが、どうやら考えが甘かったようだ。
「あの……さしでがましいようですが」
すみっこのデスクで電卓をたたいていた権田さんが、遠慮がちに声をかけてきた。うちの事務所で経理のアルバイトをしてもらっている老人だ。
「そういう場合は、亡くなった数よりも、生還したひとの数を調べたほうがよろしいかと存じますが」
「え、どういうこと?」
「プロスペクト理論の応用ですが、まあ難しい話はやめておきましょう」
そうだった。この老人、今でこそうちのような貧乏会社で嘱託をやっているが、かつては財閥系シンクタンクで分析員をしていた経済学のスペシャリストなのだ。それにしても幽霊と、命拾いした患者とのあいだになんの関係が……まてよ。
わたしの胸を、ある暗い予感がよぎった。
「ああ、それと所長」
悪い予感に追い打ちをかけるように、彼は言う。
「今月もどうやら赤字ですな」
「どんぴしゃりでした!」
翌朝早くに事務所を飛び出していた沢田くんが、お昼過ぎに興奮した面持ちで戻ってきた。
「見てください、これ」
わたしのデスクに二枚の紙がならべられる。一枚は依頼人の少年が書いたもので、幽霊の出没した日時が記してある。もう一枚はどうやらあの病院で命を救われた患者のリストらしい。
「いいですか、最初に女の子の幽霊が現れたのは、一昨年の六月二日です。その三週間後に、末期の腎不全で入院していた少年が完治して退院しています」
リストを順に指で追ってゆく。
「つぎの目撃が八月の十九日。その半月後には、劇症肝炎で運び込まれた二十代の男性が退院しています。こんな感じで、調べてゆくと幽霊が現れた後には必ず重症患者が退院しているんですよ」
どうやら嫌な予感は当たったようだ。もう疑う余地はないだろう。
「所長のほうでも、なにかつかめましたか?」
興味津々で沢田くんが訊いてくるので、わたしは仕方なしに重たい口をひらいた。
「あそこの院長ね、三浦誠太郎っていうんだけど、それはいわゆる通名で、本名は徐水英。いちおう日本の医師免許は取得してるみたいだけれど」
「なるほど、日本人ではなかったのですね」
「しかもこれは県警二課にいる大学の先輩からこっそり教えてもらった話なんだけど。税関と協力して密入国の一斉取り締まりをしたとき、ある蛇頭の大物が逮捕されたんですって。こいつの供述調書のなかに、徐水英という人名が繰り返し登場していたそうよ」
なんのことはない、ようするにくだんの病院はすでに警察から目をつけられていたのだ。
「じゃあ、きまりですね」
沢田くんと目でうなずき合う。
――臓器の密売。
あの病院は、中国から密入国させたひとたちの臓器を使って患者への移植治療をおこなっていたのだ。
権田さんのほうをチラッと見やる。黙々と電卓をたたいている。彼はわたしたちの話を耳にしたとき、すでに事件の真相を予測していたのだろう。だてにシンクタンクで分析員などやっていない。経済学者おそるべし。
「徐水英の兄弟は、本国で政府の高官をやってるらしいのよ」
「えっ、じゃあ国家ぐるみの犯罪ってことですか、信じられない」
沢田くんが持ち前の正義感から握りこぶしをつくる。
コホン、と権田さんの咳払いが聞こえた。
「ああ、沢田さんは、カール・マルクスの資本論をお読みになったことは?」
老眼鏡を指で押しあげながら訊いてくる。
「あ、いえ、ぼく法学部だったものですから」
学部は関係ないと思うが。
「マルクス主義の思想に、弁証法的唯物論というのがありましてな。分かりやすく言うならば、国民の財産はすべて国家の共有物だという考えかたです。この場合の財産とは金品や不動産だけでなく、それこそ国民の髪の毛一本から爪の先まですべてを指して言うのですが」
「じゃ、じゃあ臓器や目玉も国家のものだといいたいわけですか……そんなバカな」
動揺する沢田くんの肩をポンとたたいた。
「おたがい共産国に生まれなくて良かったわね」
「まったくですよ」
権田さんは湯呑みをズズーッとすすってから、ちょっとまぶしそうに目を細めた。
「でも、これだけは覚えておいてください。供給があるということは、それに見合うだけの需要が存在するということなのです。経済学的な見地から言わせてもらえば、すべての犯罪は、収支のバランスのうえに成り立っているのですよ」
ううむ、老人おそるべし、言うことにいちいち重みがあるわ。うちで赤字の財務管理なんてやらせてよい人材じゃないのかもしれない。
「ところで所長」
権田さんは曲がった腰でヨチヨチ歩くと、わたしの目のまえにクリップでまとめた領収書のたばを置いた。
「今回の調査にかかった経費ですが、依頼人あてに請求書をお作りしておきましょうか」
わたしはちょっと迷ってから、その領収書を丸めてくずかごへ放った。
たしかに共産主義にも問題はあるけれど……。
「資本主義の、こういうところが嫌いなのよね」
沢田くんと権田さんは「やっぱりね」という顔を見合わせると、同時に深いため息をついた。
※この小説はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。
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