みんな一緒に回ってる

 僕があとがきを脱稿したのと、千10-sセンテンスが論文のテーマ曲のレコーディングを終えたのとが同じ日だった。


 そして。


 小倉姪さんが妊娠3か月だと分かったのも、また同じ日だった。


「ちょちょっと! どうゆうことなの!?」


 冷静なカナさんが焦りまくっている。


「どうもこうも、そーゆーことです」


 小倉姪さんが、あっけらかんと返事する。

 瞬時に頭を抱え込むカナさん。


「で・・・母子ともに順調なのね?」

「はいっ!」


 カナさんは小倉姪さんのその一言を聞いたあと、にっこり笑ってあとは何も言わず、彼女の妊娠も織り込んでのプロモーション展開へと切り替えてくれた。


 男子どもは大騒ぎだった。


「な、なんということを・・・うらやましい・・・」


 とは矢後。


「うー・・・小倉姪さんだけはそういう女性ひとではないと思ってたのに・・・」


 とは金井。


「よかったな、月出」


 種田だけはあいつらしい応対をしてくれた。


 月影寺の面々はおばあちゃんもお師匠も意外なことにみんな冷静な反応だ。

 そもそも僕と小倉姪さんがひとつ屋根の下で暮らすことを許してくれた時点で、こういうことを想定しないほど長閑な人たちではなかった、ということなのか。

 あるいは赤子の芽生えは自然の摂理であって、起こった瞬時に飲み込んで対応できるよう訓練を続けてきた人たちである、という捉え方もあるだろう。


 人それぞれ。


 けれども僕と小倉姪さんは、絶対に誰にも言えないし、言っても仕方の無い秘密を抱えてしまった。


 僕と小倉姪さんは、一度もをしていないんだ。


 最初、僕は悩みに悩んだ。

 僕自身がをした覚えがないのであれば、小倉姪さんが他の誰かとした、という風に考えざるを得ない。


 僕がその素振りを見せた時、小倉姪さんは号泣した。


 護国神社でスズメバチの死骸を見て泣いていた時と同じように。

 今度は僕の胸の中で。


 彼女は僕の胸が痛くなるぐらいにおでこを押し当てて、泣きじゃくった。


 そして、『信じて』という言葉は使わなかった。

『事実を見て』という言葉を彼女は使った。


 その言葉を聞いた時、僕はこう思ったよ。


「そうだよね。小倉姪さんだもんね」


 その夜、僕と小倉姪さんは、初めて同じ毛布にくるまって眠った。

 事実を確かめるために。

 でも、何をするわけでもない。

 僕はただ彼女を優しく抱擁して、そういう美しいバラードがあるのだけれども、手を繋いで寝たんだ。


 予知夢とは言わないんだろう。

 無理に命名するとしたら、実証夢とでも言えるだろうか。


 白い象が、小倉姪さんのお腹の中に、すうっ、と吸い込まれていく夢を、2人して見たんだ。


 だから、彼女は、処女おとめだ。


 これはもしかしたら何者かの慈愛なのかもしれない。


 だって僕は小倉姪さんを抱くことはできても、母さんを抱くことだけはできないから。

 だから、赤ちゃんを授かるはずのない僕と小倉姪さんのために、1人だけ、そのまんま小倉姪さんのお腹の中に、ぽん、と入れてくれたのかもしれない・・・・


 ・・・・・・・・・・


「わ、見て見て月出くん! 山積みだよっ!」


 論文が無事出版されて本屋さんの平台に置かれたのは小倉姪さんのお腹が大きくなり安定期に入った頃だった。


 何より嬉しいのは、この論文が学術コーナーだけじゃなく、文芸コーナーにも並べられていることだ。


 井ノ部ゼミ、種田、ゲイバー、月影寺、檀家さん・・・首肯社とWhite Elephantからの支給本だけじゃ到底足りなくって、自腹でごそっ、と論文を購入して配った。


 それから、僕はお腹の赤んぼのためにアコースティックギターを一本買ったんだ。


 小倉姪さんと2人で部屋にいる時、僕はそのアコギを静かに奏でるんだ。


 そしたらさ、喜んでるんだろうね、赤んぼの足が、ぐりぐりと小倉姪さんのお腹の皮をなぞるように動いているんだ。最初は触って分かるぐらいだったのが、最近は、ぐにゅっ、てはっきり目で見て分かるよ。


 それでね、僕はこう思ってるんだ。

 

 もしも生まれて来たのが女の子だったら、産声を上げた瞬間に、誰にも聞こえないぐらいの小さな声でこう言うんだ。


「お帰り、母さん」


って。

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