2人で夢をぽしゃらせる?

 中学・高校の頃の僕の夢はコアなギターバンドでギターをかき鳴らし、Tシャツの背中が皮膚にぺったりと張り付いたままでも、前髪が汗でおでこに真っ直ぐにくっついたままでも、それらをすべてほったらかしにしてノイズと腕のストロークに全神経を集中させて生きていくことだった。

 そしてそれは千10-sセンテンスというバンドと出会ったことで一気に現実味を帯びた。ただ、そのほぼ同じタイミングで母さんが死に、僕は自分の人生というものに早い段階で向き合うことを、そしてそのプロセスにおいては様々な制約条件が存在することを思い知らされたんだ。


 以来、『夢』という言葉は僕の除外ワードに成り果ててしまった。


 そんな日々の中で出会った女の子。

 小倉姪カミツカエさん。


 彼女が僕の母さんと同一人物だとしたら、それこそ夢みたいな話だよね。


「月出」

「ああ、種田。昼メシ、学食?」

「うん。一緒に行くか」


 今日は久しぶりに日中は小倉姪さんと絡みが無い日だ。彼女は午前中に葬儀が1件入っていて、午後は49日の法要に檀家さんへお邪魔するそうだ。

 僕と種田は学食でいつも通りのカレー大盛りを頼んだ。


「どうだ、その後。例の小倉姪カミツカエさんとは」

「フルネーム、覚えててくれたのか」

「ああ。こんなインパクトのある名前なかなかないからな。しかもお寺なのにカミツカエ、っていいセンスだよな」

「彼女によると、神も仏も人間を救ってやりたいっていう大願は共通だからそれでいいんだそうだ」

「ふーん。で、初っ端に護国神社で号泣してた理由は分かったのか?」

「うん。お賽銭箱の前で死んでたスズメバチが死期を悟って神前まで必死にたどり着いたんだと思うと感極まったらしい」

「そうか・・・なんだか俺も小倉姪さんに興味が出てきたよ」

「ダメだ。小倉姪さんは僕の彼女だからな」

「ごめんごめん。でも、月出がそんなはっきりと自己主張するなんて思わなかったよ」


 種田は僕の親友だ。きちんとした自己を持ってる奴だから音楽も小説の趣味も干渉されることを極端に嫌う。

 だからこそ僕は種田に認められたい、という意識を持っていて、大学に入学して以来、バイトや家事を言い訳にせずに授業と課題を懸命にこなして来ることができたと思っている。恩人だ、と感じる。


 だから、種田に伝えてみた。


「小倉姪さんは、僕の母さんなんだ」


 種田はカレーのスプーンを口に運ぶ動作を静止して、僕の目に焦点を合わせる。

 いつもの、熟考する表情だ。


「月出がそう言うんなら、そうなんだろうな」


 ああ。

 種田ともやっぱり縁があるんだな。

 説明すれば分かってもらえるだろうという期待感は持っていた。

 けれども、まさか、即答とは。


 ・・・・・・・・・・・・


「ふう・・・今日もお疲れさんでしたねえ」


 ゲイバーのバイトから2人してマンションに戻った僕と小倉姪さん。


 小倉姪さんはさっきの労いの言葉をかけながらソファに腰掛ける僕の前にキッチンの椅子を持ってきて座り、正面から僕のこめかみや頬骨のあたりを指でマッサージしてくれている。

 僕もやってあげるよ、と言うと、セクハラだからいい、って答えられたけど、肩を指圧してあげるぐらいならいいでしょ、と言って、2人して交互に互いを癒しあった。


「ねえ、小倉姪さん。夢って持ってもいいのかな」

「夢? ギターのこととか?」

「うん。現実にはちょっと叶いそうにないけど、時折ギターを手にしていつかステージに立って・・・とかね」

「ダメ、だよ」

「ええっ!?」


 昼間の種田の反応はいい意味で僕を驚かせたけど、小倉姪さんの反応はもっとだ。根拠なくこういうことを言うはずはないと思うので僕は小倉姪さんの次の言葉を待った。


 ・・・けれども、待てど暮らせど、小倉姪さんは僕の首筋のリンパの辺りを無心にマッサージし続けてくれるだけで、追加の言葉をかけてはくれない。

 たまらず僕の方が声を出した。


「あの・・・僕ってやっぱり義務に生きるしかないのかな・・・」


 それでも小倉姪さんは一言も発しない。僕はなんだか情けない気持ちになってきた。


「なんか・・・母さんが死んだ時ぐらいから自分がこうしたい、ってことを自分で制限して縛ってきたような気がして・・・やっぱりそれって自己満足だったのかな。誰も頼んでいないのに自分で勝手に『僕は我慢してるんだ』って不遇なキャラを演じてただけなのかな・・・」

「夢は捨てるためにあるんだよ、月出くん」


 僕が涙をじわりと目尻に滲ませたのとほぼ同時に小倉姪さんはマッサージの手を外して椅子から立ち上がった。


 そして、僕の顔面の真ん前で、パン、と手を打った。


「ほら、夢から覚めた!」

「え」


 小倉姪さんは両手を組んで、くっ、と全身を上に思い切り伸ばした。

 ん、ん、と更に体を伸ばして、しゃきっ、とした笑顔で僕に語りかける。


「夢をきれいさっぱり無くしてあげる!」


 ・・・・・・・・・・・


 その夜、月影寺は藍色だった。


 彼岸の中日。


 檀家さんだけでなく、街の中の、うつむき加減の人たちが、ライトアップされる月影寺の本堂に静かに集まってきた。


 総合司会は小倉姪さん。


「こんばんは、檀家のみなさん。それからこの街に暮らしているみなさん」


 本堂前にはずらっとパイプ椅子が並べられ、50人ほどの老若男女が脚を組んだり、頬杖をついたりして楽な姿勢で座り、小倉姪さんに注目している。小倉姪さんたっての希望で喫煙も可としたので、エチケット灰皿を片手にタバコをくゆらせている人もいる。

 そして本堂袖には井ノ部ゼミの面々や首肯社のカナさん、Zさん、それから小倉姪さんのおばあちゃん、お師匠、お母さん。


 それから、正面の50人の中には、種田。


 小倉姪さんが総合司会としてステージを盛り上げる。


「お寺でコンサートをするというのは今や一般的となりました。ですけど、本当に純粋なロックンロールをやろうとする試みは意外となかったと思います。この惨状を目に、1人のギター少年が立ち上がりました。あ、ギター青年、ですかね。月出 日昇光つきで ニショーコーくんです!」


 パチパチパチ、と50人のオーディエンスは遠慮がちな、けれども温かな拍手を投げてくれた。


「そしてバックバンドは女子だけのロックバンド、千10-sセンテンスの皆さんでっす!」


 本堂の御本尊の前にマイクやアンプをセッティングして『ステージ』に立つ僕と千10-sセンテンス

 プロのバンドをバックバンドと紹介する小倉姪さんに、けれども千10-sセンテンスのみんなは嫌な顔ひとつせずにお辞儀でオーディエンスに答えてくれた。後の進行は僕が引き継ぐ。


「こんばんは、皆さん。月出 日昇光です。お彼岸のお中日にコンサートを、と月影寺の跡取りである小倉姪さんから依頼されてこの一週間懸命にギターを練習しました。正直まともに弾くのは1年ぶりぐらいでした」


 しん、と僕のMCに聞き入るオーディエンス。


「夢は持っちゃいけない、と彼女が言いました。夢は持つんじゃなく、持って抱えてる時間などないぐらい素早く、やってしまうものなんだって。やったらすぐに次の『夢』とやらを夢想してその瞬間にまたやってしまえばいいんだ、って」


 言いながら僕は赤い錆の浮いているエレクトリック・ギターの弦を、ジャラ、っと軽く鳴らす。自分好みにチューンしたエフェクターが心地よい歪みを実現してくれる。


「実際、小倉姪さんから「一週間後お彼岸の中日にね」と告げられた瞬間からそれは『夢』などと言ってられない状況でした。授業や課題を前倒しでこなしてギターの練習時間を捻出しました。家が自営業なので店の手伝いもなんとか父親に融通してもらって、とにかくギターに必死に向き合いました」


 ピーっと指笛が飛んだ。


 種田だ。

 僕は涙が出そうになった。


「今日のコンサートは檀家さんだけでなく一般の方々にも声をかけさせていただきました。ただひとつの条件をつけて。それはツイッターでお示ししたとおりです。『夢を我慢している人』」


 改めて僕はオーディエンスの顔を見渡す。この人たちの静けさは偶然じゃない。夢を我慢している人、という不思議な条件のとおり、必然なんだ。

 その中に種田も混じっている。


「今夜こうしてステージで演奏する僕はもはや夢なんて曖昧模糊なものは持ってません。あるのはただひたすら、『ステージに立ってギターを演奏する』、というその事実だけです!」


 拍手が次第に大きくなる。


「小倉姪さんは僕に言ってくれました。『我慢とて仏の嫌わせ給う自慢あればこれを慎み給うべし』と。人生の制約条件は実在します。けれども、僕はやっぱりその制約条件に抗います」


 ミカゲが拳を突き上げてオーディエンスを煽ってくれる。僕は決め台詞を吐いた。


「だって、それがロックだから!」


 ガーン、と僕がこの世で一番好きな曲のリフを叩きつけた。


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