恋愛感情(ラブ)なんてない

@Ichifuda

第1話

 バイトをしても増えていくことはない通帳と、にらめっこをしていたときだ。彼から提案を受けたのは。

「マユ、俺とルームシェアしないか?」

 最初はこいつとうとう頭が逝ったかと思ったけれど、聞けば彼の方でも同じ悩みを持っていたらしい。生活の状況もわたしと似ていて、貧乏学生同士あと切り詰められるのは家賃しかなかった。

 家賃を減らす手軽な方法は、だれかと一緒に暮らすことだ。同じ家賃でもふたりで払えば、負担は半分になる。

 気持ちはよくわかる。正直なところ、金銭面だけでいえば即答してもよかった。

 彼は料理以外の家事ならできるし、性格も悪くはない。頼めばやってくれるし、助けを求めるべきときは求められる。幼なじみだからお互いのことはよく知っているし。

 しかし……だからといって、三年ぶりに再会した女子へいきなりそんな話を振るだろうか。

 もう子供じゃないのだから、小学生のころみたいに気軽に相手の家へ泊まるなんてこともできない。ましてやわたしたちは恋人同士でもないのに、同じ家に住むなんて。

 きっと我ながらとんでもない顔をしていたんだろうなと思っていると、こっちの気持ちを察したらしい彼は大きくうなずいた。

「安心しろ、おまえに手を出すなんてことは誓ってない。恋愛感情も性欲も、ゴリラ相手には持ってないからな」

「恋愛感情、ねえ」

「ラブと言ってもいいぞ」

 やかましいわ。

 とはいえ、実際こいつにそんな甲斐性がないことも知っている。そして中学までと同様、わたしに何かをすれば自分が痛い目に遭うこともわかっているだろう。合気道歴十年をなめるな。

 しかたない、と大きくため息を吐く。

「いいわ、その提案のってあげる。だけど条件がひとつあるわ」

「条件?」

「ええ。まず……その頭なぐらせなさい!」

 ノートの小気味いい「スパーン!」という音が自習室に響きわたる。

 こうして大学一年生の秋。愛も恋も犬とかに食わせておけ的なルームシェアがはじまった。

 はじめる前はどうなることかと思っていたけれど、想像していたより新しい生活は悪くなかった。

 家事は料理以外すべて彼がやってくれるし、バイトや講義の関係で一緒に家へいるのは夜に寝るときだけだ。実質、便利になった独り暮らしと変わらない。

 通帳の中身も少しずつ貯まっていって、これはいいわーとバイトを終えたある日の帰り道。

 ひたひたと着いてくる気配。だけど初冬の九時はすでに暗くて、闇の中に姿は見当たらず、背筋に悪寒が走った次の瞬間だった。

 人通りがない狭い路地で近道をしようと思ったら、ズボンを脱いでニヤリとわらう黒い帽子と上着の男が、現れた。

 声も出ず、腕を横からつかまれても合気道の技なんて出てこなくて。もうダメだと思えば、わたしはひろい胸板に抱きしめられた。

 そして。

「すいませんね、こいつ俺の同居人なんですよ」

 舌打ちをひとつして、逃げる黒い男。顔をあげればそこには幼なじみの彼がいて、わたしは彼に抱きしめられていた。

「あんた、どうして……」

「そこの脇道にいただけなんだけど?」

「だから、なんで!」

 思わず怒鳴ってしまう。たしか今日はサークルの飲み会で遅くなると言っていたのに。

「嫌な予感がして早めに切り上げたんだよ。いやー、危なかった」

「……バカ。ありがと」

「どういたしまして。ところでさ」

 彼はにっこりほほえむと、青い顔でいった。

「結構飲まされすぎたみたいでさ。吐いていい?」

「……サイテー!!」

 閃く平手打ち。きらめく虹のモザイク演出。

 やっぱりわたしたちの間に、恋愛感情(ラブ)はない。

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