―閃光の二重影―


「はあはあ……巻いたか……?」


 真夜中、障害物のない道路で、解は息を切らしながら背後を見た。


 自分が走ってきた道を見ると、カチカチッと、点いては消えるを繰り返して、今にも消えそうな電灯が音を立てている。

 その音を妙にうざく感じていると、電灯の明かりが時折照らす誰もいない道路に、目がいった。


 そこに誰かいるのではないか。

 もしいるのであれば、それは自分を追ってきた死神以外何者でもない。


 目を凝らし集中するが、しばらく待ってもそこには誰もいない。


 どうやら巻いたようだと思いながら、ほっと安堵のため息をつき、息を整えだす。


 改めて、本体と合流するために先を急ごうと自分が走ってきた道を見直す。


 かちかちと鳴る電灯の先には酷い目に遭った元凶の田舎町が見え、遥か遠くでは解が逃げてきた駕籠のアパートの方角から、火の手が上がっているようにも見える。

 鼻が仄かに薪が焼けるような臭いを捉えた気がした。


 全てを焼き付くすかのような大きな赤い炎。


 逃げ出す時に見えたあの死神の瞳に似た真っ赤な炎に、恐怖が再燃した。


 最初はレベルの高い少女で楽しめると思った今回の依頼。

 そこにいる、低レベルの殺人許可証とも戦えると聞いて、久し振りに優越感のある戦いができると喜んだ。


 蓋を開ければ、ただの恐怖と、自分の弱さを痛感するだけの実りのない依頼。


 もう、この町に来ることはあるまい。


 そう思いながらため息とともに目を閉じ、気持ちの整理をつけて目を開ける。





 点いては消える電灯の光を浴びながら。




 「人」が立っていた。






 閃光の二重影。

 SS級殺人許可証所持者、ナノ。






 今は誰よりも会いたくない、黒衣の中国服を着た死神が、そこに、いた。


「……いい年して、鬼ごっこはやりたくはないんだけど、な」


 ナノを凝視していると、目の前にいるはずのナノの声が背後から聞こえ、解は慌てて振り向きざまナイフを振るう。ナイフはただ空を切るだけだった。


「……型式とは、5つの型で成る」


 そんな声が聞こえると、左腕か急に軽くなった。

 元の位置からまだ動いていないように見えるナノが話し出す。


「許可証所持者が覚えなければならない、ある意味、試験以外の試練の1つだ。受け方はいたって楽。先輩達に師事するだけだ」

「あ……がぁ……」

「……問題は師事してからだけど、な」


 いつの間にか左腕は切り落とされ、ナノの手の中に収まっていた。

 ナノは興味がなさそうにその腕を捨てると話を続ける。


「駕籠に使ったのは『ほむら』の型。

 会得することにより、自身の細胞を刺激して熱を出すことができる。

 その気になれば炎を操れるようになる。ほんの少しだが、な」


 左足が熱くなってきた。


「……使い方と熟練によっては、相手の細胞を刺激し、燃焼させ、暴発させ、あのような殺し方も出来るようになる」


 左足の爪先から徐々に熱が広がっていく。

 あまりの熱さに思わずその場に蹲ってしまった。


「食らって、みるといい」


 ぼこぼこと、内部から焼けるような熱さが伝わってくる。血液が沸騰し熱く滾りながら周りの肉を、皮膚を焼いているようだった。どんどんと脚が煙を上げながら黒くなっていく。


 しかし、その熱さは次第に収まっていくと、今度は太股までが白い湯気に覆われていく。

 

 あまりの熱さに炭化するかのように黒く変色していたはずの脚が、白くなっていることが解せない。


 煮えたぎるような熱さではなく、今では冷たささえ感じる。

 すでに左脚は、そこにあるとはわかるが感覚はなく。だが、冷たいとだけは感じることができた。


「……次は『ながれ』の型。治癒能力を高めて、軽い傷を治したりすることを主とする。これも、使い方と熟練によって、このように活動停止させることも出来る」


 ぱきんっと、ありえない音が聞こえた。

 白くなった脚がひび割れ、氷のように割れて落ちた。


「本当はを元通りに治せたら、この型式の有り難みも分かるんだろうが、な」


 ナノが指をくいっと持ち上げた。

 先程凍り付いて地面に落ちた脚が宙に浮くと、解の頭上をくるくると回り始める。

 一度、宙に浮いたまま静止し、解の頬の近くに移動し停止する。

 自分の焼け焦げた脚が、氷の中で保管されているかのように真横にあるのは不思議な光景だった。

 先程までその脚で歩いていたと思うと笑えてきた。

 その脚は、勢いよくカタパルトから射出された槍のように風を切り裂きながら飛んでいき、近くの道路に叩きつけられ破砕した。

 飛んでいくときに解の頬の一部と耳を、その凍った塊で抉り取っていくことも忘れない。

  

「今のが『しつ』の型。自然界の気、というか、大気だな。それを操り、風を巻き起こすことも出来るようになる。特に――」


 破砕した足を見ていた解が、ナノの言葉にナノがいるはずの電灯の下を見ると、電灯の下にいたナノの姿が陽炎のように消える。

 消えかけだった電灯が割れ、辺りに明かりのない暗闇が現れた。


「移動が楽で、重宝する」

「う……う、うわあぁぁぁぁ!?」


 背後からの声。

 解は体を震わせながら、情けない叫び声をあげて逃げようとする。

 片足がない為、四つん這いで逃げる。今は恥など考えてはいけない。

 とにかく、この男から逃げなければ。

 

 しかし、足や残った右腕は、地面に張り付いたかのように動こうとしない。


「ぅう……?」


 解は自分の足に視線を移す。

 足は地面と一体化していた。右手も地面に埋もれて抜くことができない。


「……『ばく』の型。地面の気を操ることにより、相手を動けなくするすることが出来る。……ま、これは初歩的なものだ」


 ナノは解から離れていき、間合いを作り、解の背中を見つめる。

 解はゆっくりと自分の背後を見ているナノを見る。


「な、なぜ……なぜだ」

「何が?」

「なぜ、あんな女子寮にこだわる! 閃光の二重影であれば、裏世界の大量虐殺者であれば、今更あそこにいる少女達が何をされても、死のうが、なんとも思わないはずだ! なぜだっ!」

「なぜ?」


 ナノがため息をつくと、少しの静寂が訪れた。

 解は、ほんの少し命が長引いたことを感じる。

 もしかしたら、このまま話を続ければ、生き残ることもできるのではないかと思える程に、この一瞬に安堵を感じていた。


「そうだな。強いて言うなら、楽しかったんだろうな」


 そう言ったナノは、今まで感じた恐怖とは違い、優しさに溢れていた。

 表情から読み取れたわけではない。

 ナノから常に感じていた気配が、優しい気配に揺らいだ為だ。


 生き残れる。


 そんな考えが甘いということはわかっている。わかっていたのに、期待してしまった。

 あまりのナノの殺し合いには不釣り合いな、場違いな言葉と雰囲気に、そう思ってしまった。

 ただ、それと同時に、絶望も感じた。


 楽しかった。


 たった、それだけで。それだけで俺等は殺されるのか?

 この男の楽しみを奪った。ただそれだけで俺達は狙われたのか?


 優しさを垣間見たせいか、より一層、解は絶望の底へ叩き込まれていた。



「で?」


 その言葉の後、周りに変化が起きた。

 辺りに微かに吹いていた風が消えた。それに合わせて風にそよぐ木々も動きを止める。辺りの空気が急激に重くなり、押し潰すかのような圧迫感が押し寄せてくる。

 息ができず、酸素を求めて呼吸は荒くなるが、そのいつもの日常動作の呼吸が、肺に酸素を送り届けることがない。

 周りの空気さえも動くことを止めているかのようだった。


「で? お前は。お前達は、そう俺が感じていた場所に、何をした?」


 それは、女子寮でも感じた気配。

 ナノから発せられた殺気だとすぐに気づいた。


 動くことさえ許されない。絶望を与える、支配の殺気。


「さて。

 最後の型式は……現役の所持者内では、俺しか使うことは出来ない。言ってしまえば、特殊な型式だ。

 名称は、『じゅ』の型」


 ナノの周りが、辺りの暗闇よりも濃くなり始める。錯覚かもしれないが、解にはそれを錯覚と思えるほど、余裕がなかった。


「こいつは……食らったことがあるが、今までの型式以上に、痛いぞ?」

「!!!!」


 声にならない解の叫び声が、突然の闇にかき消された。


 そして、惨殺死体は出来上がる。


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