新・光神話雑記の鑑

kl

第11話 正しくすることの馬鹿々々しさ

世は正しくあるべし。

そして我々は正しくなくてはいけない。

そのため我々は聖人となり、正しき方向へ導く礎と成らねばならない。

間違った者を解き伏すのは我々聖人の役目である。

悪しき者を正しくすることは我々聖人の役目である。

いーい心掛けじゃあないか。

世を正しくして、皆を幸せにしようとする試み。

まさに正義とはここに有りって感じでさ。

誰しもが他人へ気遣いができるなら、もっと生活はしやすくなるさ。

他人の善意を元に行動だってできることは利用するようだけど、互いにし合うんだったら問題なんてなかろう。

だが人間は元来孤独であり、己を優先する生き物さ。

つまりそんなに甘くはないってこと。

人間が人間に手を貸し、助け合うってときは大体己にも利があるときさ。

利益があるなら腰は軽くなりやすい。

そうした仲間内みたいな利益が生まれやすい間柄なら簡単にその中での正しさは追求できる。

けどもその枠を外れ、全体になったとたん人間は手を貸さない。なにせ利益が不確定だから。

そもそもの話だけれど、人間は誰しもが賢くないし、最低限度の知性すら持ち合せていないのもいる。

そういった連中ほど自分の利益しか考えていないし、かといって他者とのそうご利益は考えずに自分のみ利用とする。

そういったやつらはさぞかし楽しいだろうね、なんてったって自分の事だけを考えてればいいから。

馬鹿みたいに前しか見えなくて余計な物も見なくていいから。

そういった奴等に話なんて通用するかい?

聖人諸君の話を身に染みて理解するかい?

いいやしないね、断言してもいいさ。

いいかい、そういった奴は相手するだけ無駄なのさ。こっちが勝手にやられてしまう。

もとから五万といる人間の一人を改正させようなんてことが無駄なんだ。

だから放っておく。勝手にさせる。

いくらわめき散らかそうが意味の無いことに真剣に向き合う必要はない。

我々は正しくなくてよいのだ。

中途半端な正義をもって、仲間内だけを快適にしておき、その外部は無視する。

聖人諸君は一度認めるがいいさ、『我等は正しくなくてよいし、悪しき者を正しくする必要などない』と。

そうした淪落の道を進めばまた聖人としての正しい在り方を見つけられるだろうさ。

悪しき者に構う必要はない。

放っておけ、そしていつか勝手に自滅したらその時は憐れみ、そして笑うがいいさ。



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