別れの日

寝る犬

SIDE:男

 降り始めたな。

 約束の時間はもう過ぎている。

 雨の中を走ったぼくは、赤信号の横断歩道の向こう、市ヶ谷の駅で待つ彼女を見つけ、足踏みをする。

 灰色の景色の中、そこだけ光が指しているように鮮やかな白。

 もうこんなの着る歳じゃないわ。なんて笑っていたけど、記念日の度に、彼女はぼくの買い求めたその服を着てくれた。


 ううん、私も今来たところよ。と微笑む彼女はやはり可愛らしい。

 それでもぼくらは、今日のこのデートで最後にすると約束して、ここで逢っている。

 レースのあしらわれたハンカチで雨を払ってくれた彼女の手を引いて、ぼくはタクシーへと乗り込んだ。


 タクシーの中でも、ちょっと奮発したホテルでの食事の最中も、彼女はぼくの趣味の話を熱心に聞いてくれる。

 女の人がこんなに釣りに興味があるなんて思っても見なかった。

 それが嬉しくて、何度も食事に誘っているうちに、ぼくは彼女を好きになっていた。

 家に帰れば妻もいる。それでも彼女は別なんだ。


 別れ話をされた時、ぼくは何が起こったのか理解できなかった。

 やっぱりこんな関係、良くないわ。と、彼女は電話口でつぶやいた。

 謝ったぼくに笑顔をくれて、彼女は、最後のデートを申し出た。

 彼女の言うとおりだ。

 いつまでもこんな関係を続けているのは彼女に迷惑だっただろう。

 もちろん、ぼくの妻にも。

 そして今日ぼくらはここに居るんだ。


 ホテルの部屋。スウィートとは言わないが、彼女との最後の記念に、少しいい部屋を取った。

 キレイね。と彼女は笑った。


 シャワーもそこそこに、ぼくは二度と会えない彼女を求める。

 彼女もぼくを感じ、一緒になって恋人の時間を過ごしてくれた。

 もう一度シャワーを浴び、ワイシャツに袖を通す。


 送るよって彼女を見る。

 ありがとう。優しいのね。って彼女は答える。

 ネクタイを締めてもらって、ぼくらは最後のキスを交わした。


 雨の止んだ市ヶ谷の駅。

 コーヒーショップのネオンが明るい。


 それじゃ。って改札へ向かう彼女に向かって、ぼくは、ありがとうと手を振った。

 彼女は振り返って笑顔をくれる。


 人波に消えてゆく彼女の姿を見送り、ぼくは、心の中で何度もありがとうと愛してるを繰り返し叫んだ。

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