マリオネット─破壊と硝煙の傀儡─

菅原 龍飛

プロローグ

プロローグ

「おい、本当に大丈夫なんだろうな?」


 チェックのシャツを着た髪の整った40代くらいの男が日頃から思っているであろう疑問を投げかけた。


「そんなことが俺にわかるわけないだろ。ただ言えるのはS.A.T.Oの奴らは俺たちのことをよく思ってねぇってことだろうな」


 その隣にいる安っぽいスーツを着た頭髪が寂しい先ほどの男と同じくらいの男が答えた。


「ここは比較的国境に近いんだから勘弁して欲しいぜ。もし戦争になったら雲南省なんかすぐ落とされるんじゃないか?」


「どうだろうな。まあ、揉めてるのは海の話だから陸まで来るかわからないし、来ても来なくても兵隊さんに任せるしかないさ。そんでもって俺たちはただ自分たちが生きてけるだけ稼ぐ、それだけさ」


「だな」シャツを着た男は残っていた酒をグイとあおった。「マスター、同じのもう一杯。なあ、マスターは最近のご時世どう思うよ」


「そうですねぇ……」


 マスターを含めた3人の会話に少し聞き耳を立てながら、この辺りには似合わない高級そうな(実際高いのだが)スーツを着た30代あたりの白人の男は、店にあるテレビを見ていた。


 テレビでは、何人かのコメンテーターが、先ほどの男たちの話題にも出ていたS.A.T.Oについて解説していた。


 S.A.T.O─南アジア条約機構─とは2039年5月12日に締結された『アジア経済連携協定』、同年6月29日に締結された『アジア諸国間条約』に基づく、南アジア、東南アジアの経済的統一、民族の平等と自立を目的としたASEANを前身とする同盟関係のことだ。


 当初こそはその目的に沿って、通貨の統一などを果たし、ついには経済規模をEUに迫るほどにまで発展させ、『アジアは国際市場そのもの』とまで言わしめ、国際的立場を確立していった。だが、それをよく思わなかった中国など国境をともにする大国による各方面(経済的政治的なもの)の圧力を受け、それに反発するかのごとく、融和的な同盟は軍事同盟へと変貌していった。


 そしてインド軍やベトナム軍など屈強な戦士たちを含むS.A.T.Oの軍事力は中国やロシア、果てはアメリカのそれに匹敵するほど、あるいはそれを上回るものに膨れ上がっていた。


 恐らくこの先起こることは回避できないだろう、と白人の男は思った。『世界市場』たるS.A.T.Oと『世界の工場』たる中国。この人口と経済の多くを占める両者がもしぶつかることがあれば、世界はどうなるのだろうか。少なくとも大規模な経済的打撃、人的損失は避けられないであろう。


 しかし、戦争というのは平時以上の速度で技術を促進させる。事実、比較的大きな戦争が起きなかった21世紀前半、ある程度の新技術は見出されたものの、その発見ペースたるや大戦期や冷戦下に比べれば微々たるものであった。この先戦争が起こるならば、何か(それが何かはわからないが)人類を救うものかあるいは滅ぼすものを見出すかもしれない。そういう意味では生産性があるともいえなくはない。とはいえ、被害対効果を考えれば圧倒的に失うものの方が大きい。


 だが今回についていえば、そんなことはどうだっていい。少しの間こちらを気にしなくなる時間さえ取れれば、そんな技術などどうでもいい。


 そのようなことを考えているとテレビでは場面が変わり、S.A.T.O加盟国の一つであるインドシナ半島に位置するベトナム、その国家主席グエン・フー・リオンが映っていた。彼は今、南シナ海を実効支配している中国を非難し、自分たちの領海を取り戻すために我々は立ち上がるべきだ、というようなことを言っている。


 白人の男は腕時計を見た。そろそろだな、と彼は思った。


 中国に関して、領海にまつわる揉め事が絶えなかった。中国に空母打撃群が設置されたからというもの、南シナ海は完全に中国のものであった。そこに勢力を強めたS.A.T.O。何もないわけがない。そう、全ては自然発生的なものに見えるはずだ。問題ない。


 そのとき、彼は意図せず思考を中止し体を震わせた。この後に起こる悲劇に悲観したのではない。どこからか銃声がしたので思わず体が動いたのだ。


 周りでは店のいたるところで同じように中国人が身を低くしていた。


 音の出所はテレビであった。少なくともこの一瞬でそれを察したのはテレビを見ていた数人と白人の男だけだった。それでも先ほどの出来事で驚かないものはいなかった。


 そう、彼を除いて。


「始まるぞ」


 白人の男は呟いた。マスターに中国語で声をかけてカウンターに代金を置き、店の外に出る。


 外には治安維持のための中国軍の『ヒューマー』(そこまで詳しくないためそれがなんという機体かは分からなかった)が何体か立っていた。


 男は店の外で待たせていた車に乗り込んだ。


「空港まで頼む」


「分かりました」


 車のモニターにはニュース速報が流れていた。どうやらベトナムの国家主席が暗殺されたらしい。と、助手席にいた黒服の男から電話を渡された。


「Ms.エマからです」


「ありがとう」男は電話を受け取った。「……あの、エマ」


「遅いですよ、サイモン、あなた今世界で何が起きてると思ってるんです。飛行機は確保したのでそんなところで油売ってないで急いでください。この国から出られなくなりますよ。ああ、それと、についてですがご心配なく」


「わかったよ。それで……」


 すでに通話は切られていた。なんで秘書なのに一方的に電話を切るんだろう。女性というのはよくわからない。わかるのは、エマを怒らせたということくらい。


「ということだ。どうせ聞いてたんだろ?急ぎで頼む」


「この歳でもお嬢に振り回されるとは、坊ちゃんも大変ですね。わかりました、急ぎましょう」


 ベテラン運転手がそう答えた


「坊ちゃんって言うのやめてくれよ。もう私もいい年なんだから」


 坊ちゃんと言われた白人の男─サイモン・ブラッドリー─は、少し恥ずかしそうに言った。生まれた時から自分を知っていると言っても一言多いだろうよ、と思う彼であった。


 時は2057年8月3日、ベトナム及びS.A.T.Oによる中国への宣戦布告の2週間ほど前のことだった。

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