第八章 白藤銀次は剣を振るう(4)

 もうXの気配はしない。

 残して来た他のXたちも、どうやら一掃されたようだ。

「御見事」

 ぱちぱちと、優里が拍手をする。

「倒してしまうなんて、さすがですね」

 さすがだなんてかけらも思っていなさそうな、淡々とした声で告げる。

 銀次は黙って、構えたまま優里を睨んでいた。今はもう、痛みはない。体内のXはおとなしくなったようだ。それは、他のXが消えたから? それとも……。思い浮かんだ不穏な考えを、そっと息を吐くことで逃す。それは今、考えることじゃない。

「あらあら怖い顔。まあ、お顔見えませんけど。ちょっとだけ、待ってくださいね」

 言いながら、優里は指先を宙に伸ばす。彼女の白い指先が動くと同時に、空中に液晶パネルのようなものが現れた。

「貴重なデータですから、星に送っておきますね」

 ぱぱっとそれを操作し、すっと指を下ろす。彼女の手が離れると、宙に浮いていたものも消えた。

 優里は、銀次を見ると少し微笑んだ。

「どうしましょう、優里は研究畑の人間だから戦うのは苦手なんですけど、少しは抗った方がいいかしら?」

 どこまでもいつもどおりな、淡々とした問い。

「優里さん、あなたはいったい、どうしたいんですか?」

 彼女に敵意がないのを感じると、変身を解く。いつもどおりの優里を見ていると、なんだか泣きそうになる。

「正直なところ、優里にとっても予想外だったんです。最初は、鈴間屋拓郎が程よく頭良くて、権力やお金もそこそこあって、扱いやすそうでってことで取り入ったんですけど、思っていたよりも楽しくって。鈴間屋での日々が」

 そういって笑う。彼女らしくない、楽しそうな笑み。珍しく、言葉と感情があっているな、と思った。

「優里の星では、他の星の研究は、星全体を上げたプロジェクトで。研究者になってからずっと、働いてばかりだったんです。そんな中で、鈴間屋での生活は本当に楽しくて。信じてもらえないかもしれませんけど」

「……信じますよ」

 厳密に言ったら、信じたいのかもしれない。それでも、優里がただ拓郎を利用するためだけに、鈴間屋にいたとは、銀次に思えなかった。

「それはよかったです」

 優里は記憶を思い返すように、遠くを見つめる。

「優里は研究も実験も大好きなんですけど、同じくらいアリスお嬢様も、シュナイダーさんも、銀次さんも、鈴間屋のみなさんのこと、大好きなんです」

「だったらやめればよかったじゃないですか! 実験なんて!」

 当たり前のように言われた言葉に、思わず大きな声で返してしまう。優里のその言葉自体に、嘘はないと思ったから。だからこそ、やめればよかったとしか言いようがない。

 そうすれば、もっとずっと、みんなで一緒にいられたはずなのに。

「ダメですよ。優里の研究は星で見守られています。さぼったら、殺されてしまいますから」

 自分の死にまつわる発言も、淡々という。たかだか仕事をやめたぐらいで、命をとられる。倫理観がずれている。噛み合わない。ああ、それが星が違うということなのだろうか。

「そうそう、先ほど送ったデータで、必要なこの星のデータは取り終わりました。優里がいなくなっても、すぐに他の研究者がくるということはないでしょう。だから、安心してくださいね」

「誰が来ても同じです。俺が、守ります」

「アリスお嬢様を?」

 くすり、と笑う。

「そうです」

「うふふ、アリスお嬢様のこと、よろしくお願いしますね。泣かせたら、ただじゃおきませんから」

「優里さんは、本当にお嬢様がお好きですね」

 何度か聞いたようなセリフなのに、意味が違って聞こえて、寂しくなる。

「大好きですよ。アリスお嬢様は可愛らしくて、不器用で、優里に優しくしてくれましたから。鈴間屋で活動を始めたころ、優里は感情表現が苦手で、笑う場面とかずれていたんですけど、アリスお嬢様は他の人のように嫌がったりしませんでしたから」

 なるほど。喜怒哀楽の発露がなぜかずれていたような気がしていたのも、異星間ギャップか。それにしても、

「今もだいぶ、ずれてますよ」

「あらやだ、だいぶうまくなっていたと思うのに」

 笑ったまま首を傾げた。

 今も、ずれている。だって、

「死を覚悟しているのに、なぜ、笑うんですか?」

 ここは、笑うところじゃないだろう。

 銀次の言葉に、優里は少し驚いたように目を見開く。

「あらいやだ、どうしてわかりましたの?」

 肯定されて、少し泣きそうになる。本当に勘だったが、当たるなんて。どうしてそんなことを? と笑い飛ばして欲しかった。

「わかりますよ。なんとなくですけど。優里さんが考えていること、わかりにくいですが。それでも、付き合い長いですから」

「あらまあ。ですが、死を覚悟しているのは、この星に来た時からですよ」

 優里は微笑んだまま続ける。

「優里が来た宇宙船は、片道用ですから。実験が終わっても、戻れないことが確定していたんです。そして、実験が終われば用済みですから。優里の内部構造は、もうすぐ崩壊します」

 胸元に手を当てて微笑む。

「それが私たちの運命です」

「なんだよ、それ」

 最初から死ぬために、わざわざ他の星にきたっていうことか?

「使い捨てってことかよ、あんたたちは」

「それが私の星のやり方です」

 笑う。優里は綺麗に笑っていた。

 銀次が何も言えないでいると、

「ねえ、銀次さん。本当なら、あなたを戻してあげたいの。そうしたら、きっと、アリスお嬢様も喜ぶはずだから」

 残念そうに言った。その無念さは、本物な気がした。

「でも、あなたはもう、戻らないわ。だって、Xを完全に飼いならしてしまったんだもの。今の、戦いで」

「そうでしょうね」

 自分の体のことだ。自分でもわかっていた。言葉を素直に受け止める。

 あんなに騒いでいたXが、今は静かだ。痛みもない。前は戦いが終わった直後には、痛みが残っていたのに。

 手袋をしたままの右腕に視線を移す。

 この手が元に戻ることはない。もう、人間には戻れないのだ。

「いいですよ、別に。この星に、正義のヒーローは必要なはずですから」

 いつ何があるのか、わからないのだから。強がりだけれども、そう言った。

「正義のヒーロー?」

 揶揄するようにつぶやかれ、

「お嬢様のヒーロー、ですかね」

 自嘲気味に答えた。それに優里は嬉しそうに笑う。なんだってこの人は、そこにこだわるのか。

「ねぇ、銀次さん」

 優里が小首を傾げる。

「わがままなのはわかっているんですけど、優里のこと、あなたが殺してくださらない?」

 優里が動いた瞬間に、ほろりと、肩のあたりから何かが崩れた。

「ああ、やだ、壊れそう」

 優里の肩の一部が、えぐれている。倒されたXのように、塵になって。

「見てのとおり、優里はもうすぐ自分で壊れるんですけれども。そういうじわじわしたの優里、あんまり好きじゃなくって」

「……死ぬのが、好きな人なんていないでしょう」

「あら、確かに」

 うふふ、と優里が笑う。

「死ぬのなら、銀次さんに殺してほしいと思っていたんです。そうしたら、忘れなくなるでしょう? 優里のこと」

 忘れないでほしいんです、あなたには、と続ける。

「ねえ、銀次さんは、動物の顔の区別ってつく方ですか? 犬とか、猫とか」

「は? いや、俺、動物は飼ったことないのでよくわかんないんですけど」

 いきなりのずれた質問に、少し戸惑いつつ返事をする。よく似た三匹の猫をちゃんと見分けていた友人がすごいと思ったことを思い出す。

「優里にとっての地球人も、そうなんです。見た目じゃ区別がつかなくって。いつも、遺伝子情報を自分のライブラリーと照合して確認していたんです」

「はい?」

「人間を見ると、優里にはその人の遺伝子情報が見えるんです。それを蓄積してきたデータと組み合わせて、知り合いか、そうじゃないか。知り合いなら誰か。知らない人ならば男か、女か、年齢はいくつか。そんな風に検証して対応してたんですね」

「え、それって、シュナイダーさんと俺とお嬢様が同じように見えていたってことですか?」

 年齢も体格も、バラバラだが。

「シュナイダーさんのことは覚えられなくて、ずっと遺伝子情報見ていましたね。他の鈴間屋の皆様も、それこそ鈴間屋拓郎のことも、そうです。だけど」

 優里は小首を傾げると、少しいたずらっぽく続けた。

「アリスお嬢様と銀次さんは別です」

「別?」

「あなたがたお二人のことは、遺伝子情報を見なくても、誰だかわかったんです。もちろん、最初からではないんですけど」

「なんで、俺たちだけ……」

 銀次の言葉に、優里は少し言い淀むように視線を外す。そして、少しためらいながら、

「優里が地球でのよりどろことして選んだのが、アリスお嬢様だからです」

「よりどころ?」

「ええ。他の星に来て、いきなり肉体を持ってそこの生物たちにまぎれて生活するのは大変ですから。しばらくの間、現地の生物たちに寄生して、その星のことを学習しているんです。優里がアリスお嬢様を選んだのは、星に来る途中でターゲットに決めていた鈴間屋拓郎の娘だからというだけなんですけど」

「寄生って……。いつぐらいから?」

「アリスお嬢様が生まれてすぐ、ですね」

 優里はまた少し、言いにくそうな間をおいてから、

「アリスお嬢様の足は、優里のせいなんです」

「え……?」

 アリスは足が動かないのは生まれつきだと言っていた。そして、原因不明だからどうにもならない、とも。

「優里が寄生していたせいで、悪影響がでてしまったんです」

「そんなっ、あんたがっ」

 思わず怒鳴ってしまう。アリスを苦しめている原因の一つが、優里だなんて。

「銀次さんが怒るのも当然です。優里も、自分が原因だって気づいた時には、まずいと思ったんです。だけど、何をしても、どうにもできなくって。治せなくって」

 早口で、言い訳するように言葉を並べていく。

「それだけは、本当に、謝らないといけないって思ってたんです」

 ぐっと拳を握って優里が言う。どこか、震えた声で。

 それを見ていたら、怒りを彼女に向けることができなくなってしまった。

「優里さんは、アリスお嬢様が大好きですもんね……」

 彼女が悔やんでいることは、間違いないだろう。腹は立つが、それを言葉にして投げつけることはできない。きっとそれは、アリスも望まないだろう。なんとなく、そんな気がした。

「優里は、アリスお嬢様が大好きです。それはさっき言ったように、アリスお嬢様が優里にやさしくしてくださったというのもそうですし、優里が寄生していたのがアリスお嬢様だから、というのもあります。優里は優里としてみなさんに接していましたし、そこにきちんと優里の意識はあります。感情はあります。それはそれとして、アリスお嬢様の目を通して、この星を見ていた部分もあるんです」

「お嬢様の?」

「定期的に、アリスお嬢様の意識に触れて、地球の知識を更新していたんです。だから、優里には、アリスお嬢様の感情がわかります」

 そして銀次に、やわらかい笑顔を向ける。それは初めて見る優里の顔だったが、同時にどこかで見たことあった。その顔は、

「お嬢様?」

 どこかアリスの表情に似ていたのだ。

「そう、優里にはわかってしまうんです。同調してしまったんです。アリスお嬢様の、恋心が。困ったことに、優里にもちょっと移ってしまったのですが」

「へ?」

 なんだか驚いて、間抜けな声が出てしまう。

「言ったでしょう? 優里はアリスお嬢様と銀次さんのことだけは、見ればわかるっって。それはアリスお嬢様に同調していたからですし、そのアリスお嬢様が銀次さんのことが大好きだったからですよ。誰よりも、特別だったからです」

 それは総合すると、優里の中にも銀次への恋心があるというのだろうか。アリスからもらった、かけらのようなものであっても。そんなことを、こんな場所で言われても、どう反応していいか、わからない。

 優里は少し、目を細め、

「だから銀次さん、優里が壊れるまえに、優里にとどめをさしてください」

「何が、だから、なんですか」

「優里の星の人は、優里のことなんてすぐに忘れます。データが欲しいだけですから。でも、大好きなアリスお嬢様と、銀次さんには、優里のこと、忘れて欲しくないんです」

「わがままですね」

 渋い顔をして言うと、

「やっぱり、ダメかしら?」

 優里が困った顔ををする。

「放っておいても滅びるものを、自ら手を下すことはないですもんね」

 銀次は返事をせずに、デバイスを操作した。変身せずに、レーザーソードが出せるのか心配だったが、素直に出てきた。

 生身で持つのは初めてだった。

 だが、メタリッカーとしてではなく、白藤銀次としてこの仕事はしなければいけない気がした。

「俺がけりをつけます。それが、力を得たもののとしての責任で、優里さんに対する怒りの表明です」

 それは、自分がアリスにいざとなったら殺してくれと頼んだのと、ほぼ同じ気持ちだと思ったのだ。思ってしまったのだ。

 アリスにわがままで託してしまった自分に、優里のお願いを断る資格はない。

 レーザーソードを構える。

「ありがとうございます」

 そう言った優里は、微笑んでいた。

 だっと、地面を蹴る。

 優里は微笑んだまま動かない。

 そしてその胸に、

「ぐっ」

 レーザーソードを突き立てた。

 閉じたくなる目を、必死にこらえる。見届けなければいけない。これは自分が、背負うべきことだから。

 優里の手が銀次の頬に伸びてきた。

 すぐ近くにある優里の顔。

 彼女は軽く目を閉じると、そっと銀次に口付けた。

 一瞬だけ触れた熱に驚く銀次に、

「うふ、ロマンチックでしょう?」

 なんだかズレたように、優里が笑う。

 そして、そっと、だが力強く、銀次の肩を押した。

 二人の距離が離れ、レーザーソードが優里から抜ける。

「優里!」

 別の声が飛んできた。

「お嬢様っ」

 いつの間にやってきたのか。アリスが大きく目を見開いて、悲鳴をあげる。そのまま、こちらに寄ってこようと、慌てて車椅子を操作する。乱暴に。

「あぶなっ」

 思わず銀次が声をあげた時、瓦礫に車輪を取られ、車椅子ごと倒れた。

「アリスお嬢様」

 そんなアリスに、優里は微笑む。

「待って、優里!」

「最期にお会いできてよかった。今まで、お世話になりました」

 スカートの裾をつまみ、美しいカーテンシーを披露すると、塵になって、消えた。

「やだ、やだやだやだ、まって優里っ。私、言いたいことがたくさんあるのに」

 ずりずりと、腕の力で前進しようとする。メタリッカーたちの先ほどの戦いで瓦礫が散乱した床で、その腕が傷つく。

「お嬢様っ」

 レーザーブレードをしまい、慌てて彼女に駆け寄る。

「危ないですから」

「だって、なんでぇ」

 腕を伸ばしたアリスが、銀次にしがみつく。

「信じられないのに。優里が宇宙人だって話、やっぱりまだ信じられなかったのに。だから、言いたいことも聞きたいことも、たくさんたくさんあったのに。なのに、なんで。あんな風に」

 床に残った塵。Xを倒した時と同じ塵を震えた指でさし、

「消えちゃうのぉ」

 泣きそうなアリスの背中をそっと撫でる。

 諸悪の根源である優里は、自分たちの価値観では罰せられなければならなかった。だから、倒したことに後悔はなかった。それが、優里の望みでもあったし。

 だが、失ってしまったことに、変わりはないのだ。

 鈴間屋の少し表情が硬いけれども、有能なメイドを。

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