第七章 鈴間屋アリスは痛みに耐える(4)

 優里の言葉どおり、すぐにシュナイダーたちがやってきた。自分は近づけない銀次は、彼らがアリスを屋敷に運ぶのを、ただ見ているしかなかった。

「旦那様……」

 拓郎の遺体を前に、シュナイダーが両手を合わせる。

「どうしましょうか」

「本当に、どうしましょうかね」

 シュナイダーらしくない投げやりな言葉。

「警察の介入を頼まなければいけませんかね、さすがに」

「宇宙人が殺しました、と?」

「信じませんよねぇ」

 頭が痛いですね、とため息をついた。

「そうだ、これ」

 優里から渡されたUSBメモリをシュナイダーに手渡す。

「Xの研究データが入っているそうです。本物、ではあるそうです」

「なるほど。唯一、今回の話で希望が見えるところですね」

 少しだけ彼は笑い、近くの研究員にそれを渡す。

「とりあえず事後処理はこちらでやっておきます。今日一日で何度も変身してお疲れでしょう。銀次くんは一旦、帰ってください」

「でも」

「君の代わりはいないんです。無理はしてはいけません。適材適所です」

「……わかりました」

 確かに、自分がここにいて頭脳的な部分で役に立てるとは思えない。素直に引き下がる。

「それと、お嬢様があんな状態である以上、銀次くんに鈴間屋のお屋敷に戻ってもらうわけにはいきません」

「そうですね」

 いくら広いとはいえ、同じ家の中にいるなんて、アリスを苦しめるだけだ。先ほどのアリスの姿が脳裏をよぎり、心臓を掴まれたような気分になる。

「ホテルの方を手配したので、そちらに。詳しいことは、敦さんに来てください」

 何から何まで、手際が良い。

「はい。あと、お願いします」

 頭を下げて、その場を後にする。

 ふっと右手を見ると、手袋が一部赤く染まっていた。USBメモリに付着していた、拓郎のものだろう。

 怒りや後悔、喪失感、いろいろな気持ちが一気に湧き上がってくる。それをこらえるために、一度右手をぐっと握った。


 痛い、痛い痛い痛い痛いいたい……。

 腹部から胸元にかけて、焼け付くように痛い。

 体の内側にいる何かを吐き出したくて、アリスは何度も咳き込んだ。だけど、痛みは引かない。

 コンクリートの床の冷たさが、少し気持ち良い。

「お嬢様っ!」

 誰かの声がする。

 でも、うるさくてちゃんと聞こえない。自分の悲鳴がうるさくて、聞こえない。

 痛い痛い痛い熱い、痛い。

 怖い。

 何かが、体の内側で暴れている。

「ふははははは」

 誰かが笑ってる。

 痛い。

 熱い。

 怖い。

「アリスお嬢様」

 誰かが自分に触れる。

 そこにいたのは、ここにいるはずのないメイドの姿だった。

「ゆ、り?」

 優里が優しく笑う。いつもと同じ笑顔。

 でも、彼女のメイド服が一部赤く染まっている。なんで?

 涙でにじんだ視界に、怖い顔をして立っている銀次が見える。

 その後ろで、誰かが倒れている。

 血が流れている。

 誰が?

「ぱ、ぱ……?」

 倒れている父親は、もう息をしていないように見えて。

 違う、これは夢だ。夢に決まってる。

 優里に打たれた注射で、痛みが引いていく。同時に眠気が訪れる。

 視界に映る優里は、いつものように微笑んでる。

 だから、これは夢なのだ。

 もう痛みはない。なのに、なぜだろう、怖い。

 夢だから泣く必要なんて、ないはずなのに。

 夢に決まっているのに。怖いことなんて、あるはずないのに。

 なのに、

「たすけて」

 どうして私は、助けを求めているのだろう。

 どうして私は、まだ彼に頼るのだろう。

「白藤、助けてっ」


 鈴間屋アリスは自分の叫び声で目を覚ました。

 頬に当たる柔らかい感触。見上げた天井は自室のものだ。いつの間にか、自分のベッドに寝かされていた。

 体を起こそうとして、

「ぐっ」

 腹部に走った激痛に体を折り曲げる。

「お嬢様っ」

 誰かがアリスの背中をそっとさする。

「……シュナイダー」

 心配そうに顔を歪めた執事長の姿がそこにはあった。

「起き上がらないほうが、いいですよ」

 言われて再びベッドに寝かされる。

 落ち着くと、痛みは遠ざかった。

「一体何が……」

 言いかけて、愚問だったな、と思う。

 だって、覚えてるから。

 ああ、夢だと、思ってたのに。

 信じたかったのに。

「全部、本当だったんだ」

 泣きそうになって、慌ててきつく目を閉じた。ここで泣くわけにはいかない。泣ける立場に、自分はない。

「説明、してくれる?」

「無理に今でなくとも、いいんですよ」

「ううん、今して」

 体がしんどいのは事実だが、何もわからないままでは、いられない。

 シュナイダーは一つ息を吐くと、

「どこまで、覚えていらっしゃいますか?」

「たぶん、大体は。ドライブ中にさらわれて、クソ親父に取引を持ちかけられて、白藤が助けに来てくれて。私は……」

 そこから先は口にするのに少し勇気が必要だった。

「私にも、Xが……?」

「はい」

 シュナイダーが眉根を寄せたまま、一つ頷く。いつも冷静な彼らしくない態度だった。

「メタリッカーにだけ、特別に反応するXだそうです」

「そう……」

 ぐっと胸元を握る。

 痛みで、おかしくなるかと思った。あの痛みだけで、そのまま、死んでしまうんじゃないかと思った。あんな痛みに、銀次は一人で耐えていたのかと思うと、過去の何も知らなかった自分を殴りつけたくなる。

 痛くて、熱くて、そして怖かった。自分の中に何か別のものがいることが、感覚的にわかった。それが、どうしようもなく、怖かった。

「お嬢様」

「平気」

 できるだけ表情を取り繕ってシュナイダーを見る。強がっていないと。だって、話はまだこれで終わりじゃない。

「ここから先は、夢じゃないかと、思っている部分もあるんだけれども」

 厳密に言うと、夢ならばいいと思っている部分だ。

「クソ親父は……」

「亡くなりました」

「……そっか」

 涙の塊が喉をかけあがってきて、慌てて息を吸う。

 いらないと言われても、他人に迷惑をかけるダメ人間でも、自分の父親なのは事実なのだ。そして、自分は彼のことが決して嫌いにはなりきれなかった。いなくなって、嬉しいわけがない。

 ああ、それにしても……最期まで、認めてもらえなかった。

「……今は、どういうことになってるの?」

 こみ上げてきた悲しみを飲み込むと、現状確認に徹する。

「勝手ながら、私の知り合いに相談しました」

「警察上層部のね?」

「はい。いろいろありまして、事故死で処理してあります」

「そう、ありがとう」

「いえ。そして、その、いろいろですが……」

 珍しくシュナイダーが言い淀んだのを、

「優里が、いた気がするの」

 こちらから促す。

「はい。信じられないかもしれませんが……優里さんは、宇宙人なんだそうです」

 はっと乾いた笑いが口から漏れた。普段だったらシュナイダーも冗談言うのね、なんて笑い飛ばすところだ。でも、これが冗談じゃないことはわかっている。

「優里さんが黒幕で、Xのことは彼女の星での研究なのだと」

「おかしいの。いつのまにか、話が宇宙規模になってる。何それ」

 信じなくてはいけないとわかっていても、信じられない。ずっと自分のそばにいてくれた、信頼していたあのメイドが宇宙人だなんて。

「宇宙人を裁く法は、現代日本にはありませんし、そもそもその存在を認められませんから。旦那様のやったことは、表向きにはなかったことになりました」

「まあ、Xも夢物語みたいだものね」

 表向きにはということは、裏では何かあるのだろう。それは、今は考えないでおこう。

「シュナイダー」

 今は、今できることをしなくては。

「私は、どうしたらいい?」

「体内のXを根治することから、始めましょう」

「できるの?」

「これまでの研究成果と、優里さんから渡されたデータでなんとかなりそうです。できたら声をおかけするので、それまでは休んでいてください」

「わかった。……白藤は?」

「別の場所にいてもらっています。銀次くんが近づくと、お嬢様のXが暴れますので」

「ああ、そっか」

 あの痛みを思い出して、ぐっと喉の奥が詰まった。

「なにか召し上がりますか? それとも、もう少しお休みになりますか?」

「ちょっと、寝るかな。一人にしてもらえる?」

 わかりました、とシュナイダーは出て行く。

 ドアが閉まる。両腕を持ち上げると、目元を覆った。

 情報量が多すぎる。自分の体の中のX。実験体としてしか自分を見ていなかった父親。もういいない、父親。宇宙人だったという優里。Xの痛み。

「パパ……、優里……」

 どうして、こうなってしまったのだろう。

 今は、誰もいないから。

 自分にそう言い訳して、流れる涙をそのままにした。

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