第三章 鈴間屋アリスは告白する(1)
有能なる鈴間屋家の使用人達を使用する側の人間、鈴間屋アリスもまた、有能であった。
現在十六歳の彼女の、最終学歴はとある国の大学院卒である。学位は博士である。
有能で優秀過ぎる彼女は、飛び級に飛び級を重ね、日本の外で教育を終えたのであった。
「ああ、だからお嬢様はそういう性格でお友達がいらっしゃらないんですね」
と、かつて銀次には言われた。
余計なお世話だ、放っておいて欲しい。っていうか、雇用主に対する態度じゃないだろう、本当。もっとも、直接の雇用主は鈴間屋拓郎の方だが。
とはいえ、実際問題として、同年代の友人がいないというのが、自分の人格形成にだいぶ影響を与えているとは思う。
それから、はやくに母親を亡くしたことと、生まれつき足が動かないことも。
アリスの母親はアリスが小学校にあがったぐらいに亡くなった。元々体が弱く、入院をしていることも多かったから、アリスの母親の記憶は少ない。
母が生きていれば、もっと色々違ったのだろうな、と子供心にずっと思ってきた。
母親代わりに面倒は、優里をはじめとしたメイド達やシュナイダーが見てくれたけれども、代理人は、やはり本人ではない。そのことがずっと、寂しかった。
そして、父。鈴間屋拓郎。
製薬関係の研究をしているにもかかわらず、妻を病気で亡くした。そのことが、よりいっそう、拓郎を研究に駆り立てた。代表取締役社長という立場にいながらも、その毎日のほとんどを、彼は研究所で過ごしていた。
認めたくないけれども、アリスは幼いころそれが寂しかった。
母がいない分、父ともっと一緒に居たかった。
もともと、頭はよかったが、その寂しさを打ち消すように勉学に励み、気づいたら今の場所にいた。運動などができないので、勉強にさける時間が多かったのも理由かもしれない。
アリスの足は生まれつき動かない。原因は不明だった。多少不便を感じることもあるが、生まれた時からこれなので仕方がない。日常生活は、優里たちが手伝ってくれるし、今は銀次がどこにでも連れて行ってくれる。だから、アリスはこれを受け入れていた。
受け入れた上で、アリスは頭の良さを、製薬の研究ではなく、経営の方に発揮した。自分の足を治す方向について調べていたこともあるが、あまり向いていないと途中で諦めたのだ。
研究バカの父親に代わって、実際にスズマヤコーポレーションを動かしているのは、実権を握っているのはアリスだ。
だから、鈴間屋拓郎が唐突に失踪しても、スズマヤコーポレーションは代わりなく経営を続けていられる。もともと、アリスが仕事をしていたが、この半年、彼女の肩にのしかかる仕事の量は桁違いに増えた。
別にそれは苦じゃない。仕事は好きだ。
だけれども、そういう問題じゃない。
「バカ親父」
自室のバカでかい執務机に座りながら、アリスは思わず小さくため息をついた。
いくらアリスが仕事が好きでも、いくらアリスが実際に会社を動かしているといえども、それが代表取締役社長である鈴間屋拓郎が失踪していい理由には繋がらない。なぜそんな簡単なことをもわからず、ほいほい姿を消すのだろうか、あのバカ親父は。
終えた書類をひとまとめにして、大きく伸びをする。
時計を見たら、深夜二時半だった。今日こそ日付が変わる前に寝たかったのに。
頭が冴えてすぐには眠れそうもない。なにかあたたかいものでも飲んでから寝よう。
上着を羽織ると、キッチンの方に向かって車椅子を動かした。
白藤銀次は、うなされて目を覚ました。
またか、とうんざりしながら上体を起こす。
この半年、ちゃんと眠れたことがない。痛みに耐えながら気絶するように意識を失うか、今日みたいに嫌な夢をみてうなされて起きるか。
溜息を一つ。
それにももう、慣れてしまった。
慣れてしまったことが、怖い。
慣れは彼がメタリッカーと付き合って来た時間の長さを示す。彼の中に巣食うメタリッカーが、彼を浸食していることを示す。彼が正義の味方メタリッカーではなく、ただのXに成り下がる日へのカウントダウンを示す。
もう何度も見た夢が、過る。
Xとなった自分が、シュナイダーを、優里を、そしてアリスをも殺す夢。
「……勘弁してくれよ」
両手で顔を覆い、大きく息を吐いた。
うなされて起きることになっても、この夢には慣れない。そのことの少しだけ安堵する。この夢の内容にまで慣れてしまったら、もう人間じゃない。
喉の渇きを覚えて、立ち上がる。
ベッドと簡易な書き物机、それから小さな冷蔵庫がある部屋。さながらビジネスホテルの一室のような。
その小さな冷蔵庫を開ける。
「……あれ」
いつもペットボトルの一本ぐらいはいれているのだが、今日はなかった。そういえば、昼間飲み切ってしまったのか。
仕方ない、キッチンの方へ行けばなにかあるだろう。
時計を見る。午前二時半。
もう警備の人間以外は眠っていることだろうから、スーツ姿じゃなくても怒られはしないだろう。シュナイダーは服装にうるさいから、勤務時間外であってもだらしのない格好で廊下を歩くことを許さない。勤務時間外であっても見苦しくない格好でいることが、住み込みで働く人間の義務だ、と彼は言っていた。骨の髄まで執事である。
寝間着に使っているスエット姿の自分を一度見下ろし、まあいいよな、バレなきゃ。バレないだろ、この時間なら。と結論付ける。寝ている間に外れかけた手袋だけは、もう一度きちんとはめ直し、キッチンの方へ向かった。
音をたてないようにそっと自室から出る。
鈴間屋の屋敷は広い。
長い廊下をそっと、足音をたてないように注意しながら歩く。横に長い建物の二階の北側は、住み込みの使用人達の自室がある区域だ。長い廊下にそってドアがずらっとならんでいる。ホテルのように。
反対側、南側にはアリスや拓郎の部屋などがある。ああ、それからアリス付きのメイドである優里をはじめとして、何人かの使用人は南側の住人だ。なにかあったとき、直ぐに対応できるよう。
一階中央、やや南側にキッチンと食堂はある。
暗いと不気味だよな、と思いながら廊下を抜け、階段を下りる。
キッチンの近くまで来たところで、
「……誰?」
正面に人影が現れ、誰何の声。
しまった、人がいたか。
「白藤です」
努めて冷静に答えると、
「……ああ」
納得したような声は、アリスのものだった。
車椅子を動かし、近づいてくる。
「お嬢様、こんな時間にどうなさいましたか?」
「さっきまで仕事してて。寝ようと思ったら寝付けなくて、なんか飲んでから寝ようかなーって思ったの」
そう言いながらこちらを見上げてくるアリスは、夕方見たときと同じ、いつものリネンのワンピースの部屋着だった。ということは、本当に今の今まで起きていたのか。まだ子どもなのに無理ばかりする。
それもこれもバカ旦那様のせいだよな本当、と心の中で諸悪の根源を殴り倒した。
「大丈夫ですか? あまり夜更かしなさると、お肌に悪いですよ」
「もっと普通に心配してくんない? 若いからへーき。白藤は?」
小首を傾げたアリスは、銀次の格好を上から下に眺め、
「へー、スーツ以外も着るのね」
楽しそうに笑った。
「あの、お嬢様。この格好のことは」
「シュナイダーには秘密でしょう? わかってる」
くすくすとアリスが笑う。そういう顔をしていれば、年相応なのに。
「うるさいもんね、シュナイダー。……眠れないの?」
ほんの少し心配そうな顔をしながら、アリスが問うてくる。
「顔色悪いよ、平気?」
「大丈夫です。暑くて喉が渇きまして。部屋の水、切らしていたので。それだけです」
「ふーん」
強く言い切ると、アリスは納得しているのかしてないのか、曖昧に頷いた。
まったく暗いのに目敏い。アリスに会うとわかっていたら、顔ぐらい洗ってくるべきだった。いや、そもそも部屋からでるべきではなかった。
「お嬢様、ホットミルクでよろしいですか?」
「え?」
アリスの思考を遮るように声をかける。
「シュナイダーさんに黙って頂く代わりに」
「ああ、口止め料? 作ってくれるの? レンジじゃ嫌よ?」
「はい」
「ならお願い」
ふふっとアリスが笑って、キッチンに向かう。
そのままアリスは、広いキッチンの片隅に置かれた、小さなテーブルの前に車椅子を止めた。
「こちらでよろしいのですか? 食堂ではなくて」
食堂の方が綺麗なテーブルだし、と尋ねてみると、
「いいよ、別に」
あっけらかんとアリスが答えた。
「ね、はやく」
「はい」
広いキッチンには、コック達が使うのとは別に、各々が使えるよう小さなコンロが用意されている。使用人達だってそれぞれお茶やらなにやらいれたいこともあるし、料理人達は自分達以外がこの場所を使うのを嫌うから、苦肉の策だ。
小さな片手鍋を取り出し、牛乳を温め始める。
「白藤、自分の分も作りなさいよ?」
「……はい」
背後から命令されて、少し躊躇ったあと素直に頷いた。スエット姿という弱みを握られているし、アリスがホットミルクを飲んでいる間自分だけ立ち去るわけにもいかない。それならば、一緒に飲んでもいいだろう、と思ったのだ。
牛乳を少し足す。
ついでに水も取り出して、喉の渇きを癒した。人心地をつく。
アリスは何も言わない。ただ、視線を背中に感じる。ほんの少し居心地悪く思いながら、温めた牛乳にそっと蜂蜜をいれる。
横の棚をあけて、マグカップを出す。出来上がったホットミルクをそっと、そこに注ぎ入れた。
「お待たせ致しました」
それをアリスの前に一つ置く。向かい側に自分の分を置いて、椅子に座る。
「ありがとう」
ふふっと笑い、アリスが両手でカップを持った。
「やけどしないでくださいね」
「子どもじゃないってば」
言いながらアリスが、ふーっと息をふきかけた。銀次も同じように少し冷ましてから口に含む。
温かくて、甘い。
「……白藤」
「はい?」
名前を呼ばれて顔をあげる。けれどもアリスは、銀次の方ではなくマグカップを見ていた。両手でそっと、壊れものを扱うかのようにもったマグカップを。
「あなたが来たばっかりのころも、よくこうやってたわよね」
「……そうですね」
今日のように夜眠れなくて、一人でホットミルクを飲んでいるところをアリスに見つかったのだ。なにそれ頂戴、とねだられて、同じように作ったら甘くて美味しいと気に入られた。それからしばらく、夜に限らずホットミルクを作るようにねだられていた。
あの頃はまだ、銀次は高校生で、運転手の役目を負う前だった。
そのあとしばらく、アリスが学校の関係で国外に行くことになって、その習慣は無くなった。アリスが戻って来たときには、銀次はもう運転手になっていて、きっちりアリスとの間に使用者と労働者という線を引いたことも大きい。
「懐かしいなぁ」
とアリスが笑う。
その横顔は、あの頃よりも大人びていた。
そっとそれから視線を逸らそうとするのを、
「ねぇ」
アリスの声が引き止めた。
「はい」
「覚えている? あなたが運転手になってすぐ、ぐらいのこと」
真っすぐに彼女がこちらを見てくる。少し憂いを帯びた瞳に、どきりとした。
「……なんでしょうか」
本当は薄々アリスがなんの話をしようとしているのか気づいていた。それでも首を傾げてとぼける。そうすることで、出来ればその話がなくなればいいと思った。プライドの高いアリスが、覚えていないのならいい、と言うことを期待した。
「……付き合って欲しいって言ったこと」
アリスは不満そうに一度唇を歪めたものの、結局そう言った。
ああ、やっぱり、その話か。アリスにばれないように、そっとため息を吐いた。
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