第25話


控え室は只ならぬ空気に包まれております。



これがまだ内々に収まっているから良いのです。

けれど、殿下は何をするのでしょう、お嬢様にあまり無理をさせては欲しくないのですが。

そうで無くとも、お嬢様の先程の言動……あれでは高飛車に見えてしまうでは無いですか!! 清楚なお嬢様になんて事させてくれやがっておりますのかしら?! あの方!!


私が1人憤慨している中、殿下が言葉を続けます。


「……ジョセフィーネ嬢、貴女に紹介したい方が居る。まだ公爵家として……いや、淑女として矜持を持っているのなら、黙って見ていて欲しい」


「……殿下の仰せのままに……」


ぶすくれたまま、ジョセフィーネ様は返事をしました。ここまで来れば、誰も何も注意する気もおきません。もう、取り繕うのも難しい状況です。



「と、言う訳なのだが、入って来てくれ」


殿下が扉へ合図を送ると……ヒース王子に連れられて、ミレニスさんが入室してきたのです。


……確かに、殿下のせいでお友達を作る間さえ貰えなかった彼女です。しかし、よりにもよってヒース王子にエスコートさせるとは、いくらマーレイ家の御落胤とはいえども、殿下? これは1人でパーティーに出席するよりも拷問です!! 緊張のあまり倒れてしまったらどうなさるんですの?!


ん? 待って下さい……まさか、ここでミレニスさんを使いましたか?! 彼女の了承は?! 違う心配が浮上して、私は最早混乱しております!



「ジョセフィーネ嬢、貴女の妹君に当たる、ミレニス嬢だ。顔は知っていたかな? 改めて挨拶でも済ませておいた方が良いかも知れないね? 」


ジョセフィーネ様は驚愕とも、憤怒とも取れる何とも言えない表情でミレニスさんを睨んでいます。睨まれたミレニスさんは少しヒース王子の陰に隠れます。お可哀想に……


「な……んで、このひとっ…この方と私が姉妹なんてっ、嘘に決まっていますわっ!! 」


「ジョセフィーネ、あの色ボケだ、彼女は私達と血の繋がった兄妹で間違い無い」


「っ!! 何が兄妹よ、兄妹の様なやり取りが私とお兄様にも微塵もありもしなかったのに、その上更に妹?! ……もううんざりだわ」


そう言って押し黙ってしまうジョセフィーネ様。

聞いているだけで、複雑そうな家庭環境だとお察し致します。しかしながら、ミレニスさんを表舞台に立たせずとも、もっとやりようが……、けれど確かな血筋が分かった上で放置も芳しくはないですか……。


不思議です。こう色々と複雑な事を考えると、怒りが薄れて、寧ろ同情すら芽生えて来ます。


「今日はね、ミレニス嬢が新しくマーレイ公爵家に入り、貴族仲間としての顔見せでもあるんだ。貴方方には欠席する権利は無い。只黙って、現実を受け入れて欲しい。後、ジョセフィーネ嬢」


ジョセフィーネ様はすっかり気力を無くしたのか、ちら、と殿下に視線を投げるだけです。


「貴女が砂竜サンドワーム討伐で頑張っていたのは認めるよ。だから、貴女には今回重要な役目も果たして貰いたい。……もうすっかり言葉を紡ぐ気力も無い様だが、これは義務だ。公爵家の者として、演技ぐらいして欲しいね。期待しているよ」


「……期待? 殿下が私に。……どんな道化を演じさせたいのでしょう、王太子殿下は」


「……そんな悪いものでも無い。さ、皆が待ち草臥くたびれている。先ずは私達から向かおうか、アリアナ? ここからは……彼等はかなり出難いだろうからね」


「……はい、スチュワート様」


そう言って殿下はお嬢様の手を取られたので、私は広間へと続く扉を開け放ちました。お二方の登場に、会場内は盛り上がりを見せます。





「こんなの、こんなの……どうすれば良いのよ……」


残されたジョセフィーネ様がぶつぶつと文句を言っていますが、私は声を掛ける気も起こらないでいました。


そもそも、ジョセフィーネ様は本当に殿下をお慕いしていたのでしょうか?


恋愛初心者の私には分かりません。

只、今後を考えると学園に居辛いのでは……と思ってしまいます。彼女は、殿下にエスコートして貰うと、言って回っていたのですから。



「ジョセフィーネ様」


そこへ、トール・ベガモットがジョセフィーネ様の肩にそっと触れました。


「これが終わったら即刻帰りましょう。温かいお湯に浸かって、甘い物でも食べましょう。大丈夫、お嬢様は強い方でございますから。いつもの負けん気はどうしました? ジョセフィーネ・マーレイ公爵令嬢はそんなものですか? このトールをがっかりさせないで下さい」


「……何故トールの機嫌を気にしなきゃいけないのよ。でも……そうね、とりあえず帰りたいわ。その為なら黙って見ている……いいえ、笑って会場を出てやるのよ」


ジョセフィーネ様の目に光が灯ったと思えば、丁度殿下が挨拶を終えて、ジョセフィーネ様とミレニスさんの名前を呼びました。


ジョセフィーネ様が黙って手を挙げると、すっと横にマーレイ様が並んで腕を出します。その所作は流れる様で、流石公爵家の者と思わせられました。そのまま……彼女は前を真っ直ぐに見つめ、控えの間を後にします。

そこには、先程の姿など全く嘘の様な気さえさせる程、堂々とした覇気が漂っていました。


続いて、ミレニスさんとヒース王子が並び立ったのですが、私はミレニスさんの本意が分からず、曖昧に微笑みました。


ミレニスさんも曖昧に微笑み……というか、がちがちに緊張しております。私は慌てて声を掛けました。


「ミレニスさん、大丈夫ですか?! 」


「えと、は、はいぃ……。何で全力で避けてたのにこんな事にっ、トール兄! 後で殴るっ!! 」


ミレニスさんは最早涙目です。ジョセフィーネ様を見送っていたトール・ベガモットは、ミレニスさんに向き直ると、彼女の両肩を強めにぱんぱんと叩きました。


「お前が居ないと始まらなかったから仕方ないんだ、正直な所すまん! ほら、堂々と行って来い! お前がだっ」


いたーい……とぶつぶつ言うミレニスさんと、トール・ベガモット……長いですね、ベガモット様とのやり取りをくすくすと面白そうに放置していたヒース王子は、『大丈夫、今日はデビュタントの中で一番君が可愛いから、自信持って』と殿下もびっくりする程の口説き文句を吐き、その言葉に固まってしまったミレニスさんを颯爽と会場へ連れて行ってしまいました。

流石、キャンベル様を夢中に? させるだけはございますね。



頃合いを見て、私達護衛もこっそりと会場へ出なければいけません。

私はそろそろかと、ガイの方を見ました。ガイは私の首元を見て、嬉しそうに頷きます。……そう言えば、彼、昨日私のおでこにキ、キス……!!


私が1人照れていると、そこへ、すすす、とベガモット様が隣へ移動して来ました。


「……会場内じゃなくて良かったよ。殿下の配慮には感謝してます。後、アリアナ嬢にも。きっぱりと憎まれ役をやってくれてありがとうと、レイン女史から伝えておいてよ」


「あれは必要でしたの? うちのお嬢様に何をさせてますの、貴方! 」


私は半目でこの要領の得ない御仁を睨みます。ベガモット様はそんな私に苦笑されております。いえ、それでは許して差し上げませんよ?事の原因は貴方なんでしょう??

どうして差し上げましょうかっ!


「仕方ないよ、今回はミレニスが公爵家の一員として殿下と共に居て、初めて達成出来るものだから……そして、人目がある所できっぱりと言って貰わないといけなかった。あれでうちのお嬢様は目が覚めるさ。でも、まさか殿下にはなーんにも伝えて無かったのに、恐れ入ったよ」



……結構ご自身の主人にとっては大変な局面だと思いましたけれど、そこまでして仕える主人を思いやっているのかと思うと、お付きとしては立派な方なのかも知れない、と私はほんの少し彼の見る目が変わった気が致します。


「貴方、ジョセフィーネ様を敬愛しておりますのね? とても……」


私がそう言うと、ベガモット様は一瞬目を見張って……また苦笑したのです。


「しょうがないよね。あんな高飛車でも、良い所が無い訳では無いんだよ。最初はミレニスの為に護衛に入ったんだけどさ、もう、ね」


そう言って、ベガモット様はへにゃりと表情を崩しました。それは私が見て来た数少ない彼の苦笑の中でも本物の……心からの笑顔に見えました。



「まあ、私の敬愛するお嬢様は天使の顔した悪役令嬢だからさ。バッドエンド悪い道には行って欲しく無かったんだよ」



「悪……やく? 」


私が眉を寄せて質問すると、ベガモット様は『内緒〜』と言って、会場内へするりと出て行ってしまいました。

悪……悪女、と言いたかったのでしょうか?? 私が内心首を傾げていると、今度はガイが横へ立ちました。ほんの少し纏う気配が冷んやりしているのは気のせいでしょう。


「……随分と仲良くなってないか? 俺が居ない間に何をやっていた? 」


「仲良く……とは遠い気も致しますけれど、何となくガイが気にする事柄は無いですから、大丈夫ですわ」


「気にする事柄? 」



怪訝な顔をするガイに、私は彼を見上げて不敵に笑って見せます。だって、ベガモット様と横に並んでつくづく思いましたから。



「私が意識するのは、ガイだけですもの」



その瞬間、ガイの大きな影が私に覆い被さり、私は声を出す前に唇を塞がれてしまったのです。彼のこのまま食べられてしまうのではないかと思わせる、大きな口によって。




会場内では、ジョセフィーネ様が来期から、海を渡った外国へ交換留学生として赴く旨が殿下の口から伝えられた最中でございました。


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