10 涙の数だけ

 全てを切り裂き、捻じ曲げ圧壊するこの両手。望めば簡単に落とせる雷光。天を揺るがす恐怖の権化そのものの私。

 溢れ出る凶悪な力を嵐のように振りかざした時、筆舌に尽くしがたい解放感でいっぱいだった。


 立ち込めた暗雲は消え去り、徐々に青空を取り戻していく。

 

 

「バケモノ……こいつはバケモノだ!!」



 取り巻きの兵士が私にサーベルを向ける。わなわなと震える穂先に私はつい笑ってしまった。

 

「ええ、バケモノだもの。その剣で私を刺してみなさいな。ほら、心臓はここよ」


 大きな熊の手で私は自分の胸を叩くの。そして、私を囲む兵士に対してギラりと尖った歯をむき出しにしちゃう。

 怯えてすくんだ兵士たちは後退りし、冷や汗を垂らして恐怖する。私、今どんな表情なのかしら?

 

「あら、意外と臆病者なのね。自分の上官すら命張って守れない軟弱者なんて。

 少佐殿、そんな情けない人たちを護衛に任命するのはやめておいたほうがいいわよ」


 ガタガタと震えだした兵士のサーベルと指で摘み、バキっと真っ二つに割る。

 私は先生を傷つけた無礼者たちに、弱者の礼儀というものを教えてあげたわ。



「ああ、そうする……お前の力は分かった! きちんと本部に伝えておく、ヒィ!?」



 ビュンっと風切り音と共に、指で弾いた剣先が少佐の足元に突き刺さる。

 にやっと笑いながら、少佐のあまりにも情けない面をみて、私はとても満足な気分だわ。


「ええ、ちゃんと伝えてね。私がどれだけ怖いか、恐ろしいか。都合の良い兵器だとは思わないことね」

「わ、分かった。伝えておく!」


「ちゃんと任務は果たすわ。ええ、そうですとも。私は自由を愛しているのだから」


 ごきげんようの言葉も言えず、少佐とその護衛は走り去っていく。急いで山を降りる姿は滑稽だった。

 しかし、館のみんなが私を見る目は、あの情けない男達と一緒で、恐れおののいている。

 仕方ないもの。あれだけの事をやってしまったのなら、普通は子犬のように怯えてしまうわ。

 

「先生、今日はちょっと疲れたわ。お昼寝をしても大丈夫かしら?」

「……ああ、いいよ。夕飯になったら起こしてあげるから」


「ありがとう、先生。私のこと、嫌いになった?」


「恐ろしいと思う。ミーシャが破壊の限りを尽くしたときに見せた、愉悦の表情が頭の中にこびりついてる」

「そう……ごめんなさい、私が人間になるのは難しいのね」


 先生の顔はしょげているわけでもなく、強がっているわけでもなく。私のことをじっと見ていたの。

 幻滅したんでしょうね。私が本物のバケモノだって分かってしまったのね。

 遅かれ早かれ、そうなるのは分かってたのに、覚悟ができてなかった。

 

 □   □   □

 

「キャア!?」


 帰り路早々、廊下を歩いていると。出くわしたメイドさんがビクって後ずさりをしてしまった。

 いつもはニッコリと小さく微笑んでくれたのに、今は腫れ物に触れるみたいに。

 

「…………」


 何も、私は言えなかった。もちろん、言い返すことなんてしないわ。

 メイドさん以外にも、ボーイさんも。私が道の真中を歩いたら壁際に張り付いちゃうの。

 小さな、小さな悲鳴を浴びながら。私は自分の部屋の扉を開ける。

 

 

「ジャン」



 ドアノブを爪先で開こうとした瞬間、割って入るようにデジレの声が聞こえた。

 私が振り向くと、デジレは腕を組み、険しい顔でこちらに向いてくる。

 

「あの雷はジャンが落としたのかい?」

「……ええ、そうよ。それがなにか?」

「ジャンは……今、後悔してるの?」

「分からない。でも、とっても清々しい気持ちだったのに、今はとっても、とっても苦しいの」


 ゴトゴトと、まるで沸騰して溢れ出るお鍋のように心臓が煮え立つ。

 中身は理性を尊重する人間性と、魔王としての魅力的な暴力性。二律背反なこの感情を否定することも出来ない。

 私は、私は自分の醜さが苦しいのだわ。あがいても変わることの出来ない醜さがへばりつく。

 

「たくさん傷ついた人のほうがね、私は信じられる。

 だって、痛みを知っているからこそ、人に優しくできる」

「傷ついた人……私は自分のことを人間だと呼ぶのは難しいわ。

 雷を放った時に、私は何もかもを傷つけるバケモノだって。分かっちゃったから」

 

 自分を憐れむのも、とても嫌で嫌でたまらない。他人に憐れまれても、虚しい。

 今の私にはどんな言葉も必要もない。ただ、1人にさせて欲しいのに。

 

 

「じゃあ、なんでジャンは泣いてるの?」

「え……っ」



 全然、気づかなかった。私、泣いてたの? 泣かないって、決めてたのに。

 デジレが私の目元に人差し指を添わせる。ぺっとりと涙が肌に触れて、湿り気を感じた。


「うん、しょっぱい」


 涙がついた指を口に挟んで、デジレは舐め取った。

 

「ばっちいわ! デジレ……」

「しょっぱいよ、ジャン。あんたの涙はしょっぱいんだ」

「それが、どうしたっていうの」


「涙の味はちゃんと人間と一緒だ。

 悲しい気持ち、苦しい気持ち。全てをひっくるめた、人間の感情の結晶だよ」

「感情……でも、私は!」


 人の感情があるから、私は自分のことを一生許せないんだわ。

 なら、そんなもの、最初から持ち合わせず、ただ獣のように生きていれば!


「あんたは自分を傷つけすぎてるだけ。優しいから、そうやって自分が悪いって思い込んじゃう。

 でも、傷跡にはかさぶたが出来て、痛みに負けないように強くなっていくもんだよ」

「違う! 違うの! 私は、私は……悪いことをしなきゃいけないから。人の感情は……」


「なにをするかは分かんないけどさ、これはちゃんと言っておくよ。


 あんたは人間だ。誰がなんと言おうと、可愛くて優しい、からかい甲斐のある美少女だ!!


 そんなあんたが私は大好きってことだよ!!」

 

「あっ、えっ……やぁ、デジレ、私は……」


 唐突なプロポーズで私は気が動転してしまう。お顔を真っ赤になっちゃって、ドキドキが止まらない。

 呆然としてる私に、デジレはまた私の目元から涙をすくって見せた。

 

「ほら、目をつぶって、口出して。いつもみたいに」

「わかった、わ……あーん」


 ご飯を食べさせて貰う時のことかな。デジレの言うとおりに、涙の露が溜まった瞳を閉じて、口を大きく開けた。

 ギザギザの肉を切り裂く歯を通り越して、デジレの人差し指が舌にぺたりとくっつく。


「あんたの涙の味、どう?」

「しょっぱい。とってもしょっぱいわ」


 一雫の涙を舌で味わう。

 塩分をうっすらと含んだ涙が口の中に溶けてしまい、もう一度味を確かめるように舌を動かす。


「デジレ、私の涙はしょっぱいの。これって、デジレの涙と同じ味なのかしら?」

「人によって味は違うけどさ、大体同じ味だよ」

「人によって、悲しいことや辛いことが違うから?」

「ジャンは賢いね。そうさ、賢いんだから、もっと自分を愛せるように努力しな。今を一生懸命に生きるんだよ」


 がちゃっと扉が開く音がする。デジレが開けた扉へと、私の背中を押す。

 私が振り返ると、デジレはくすっと小さく笑ってくれた。

 

「ジャン、あんたの問題はあんたが解決しなきゃいけない。

 誰かが良いアドバイスをくれたとしても。結局自分で決めなきゃ、解決しなきゃいけないんだ」

「そうね……」


「今は自分ひとりで考えな。あんたがどんなやつで、どんな目にあってるかは知らん。

 それも含めて、自分で考えて、行動に移しな。とりあえず、眠ってから考えると良い」


 不器用ながらも、デジレは私を慰めてくれている。

 甘えた言葉を使うことなく、私にちゃんと年長者として教えてくれる。


「目が覚めたら、私はまた現実を見なきゃいけないわ」

「ずっと目を閉じてばっかりじゃつまらないだろ? ジャン」


 それもそうね、と呟いて。ピンクの髪を揺らしながら、私は寝室の中へと消えていく。

 でも、これだけは言っておかなきゃいけないわね。

 


「それと、私の名前はミーシャよ。間違いないでよね」



 悩みなんか忘れちゃったみたいに。この時だけ、私は自然と笑うことが出来た。

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