カッパとキュウリと晴れた午後に

街戸窓

カッパとキュウリと晴れた午後に

扉を開けると、カッパが立って居た。

昼間から酒を飲み、脳みその緩みきった休日の晴れた午後の事だった。


「……は? 」


思わず声が出てしまったけど、無理もないだろう、何せ目の前に絵に描いたようなカッパがいるのだから。

深緑の肌にクチバシのように尖った口、頭の上には白い皿らしきものが乗っていて、トドメとばかりに全身ずぶ濡れ。


うん。


カッパだ。


人間、驚きすぎると却って冷静になるようで、私は「カッパくらい居るかあ。だって年末だもんね」と自分を納得させると、目を合わせないように下を向きながらそっとドアを閉じ——ない?

見れば、カッパがドアの間に足を挟んで阻止している。なんだコイツ、強引なセールスマンか。壺でも売ろうっていうのか。カッパのくせに。それともアレか、尻子玉か! 私の尻子玉を抜こうってのか!! その緑色の腕で! 私の尻子玉を抜こうっていうのか! まだ彼氏も居たこと無いのに!


完全なパニックである。


なけなしの冷静は大気圏へと吹っ飛び、

私は全体重をかけてカッパの足を引きちぎる勢いでドアを引っ張る。


「ちょっ、待って、話を聞いて! 何もしないから! 痛っ!痛い! 足取れる! 取れちゃうから!! 」


焦った様子で声を上げるカッパだが私の知った事じゃない。不用心にも素足を突っ込んできた自分の愚かさを後悔すればいいのだ。

私は力を少しだけ緩めると、今度は小刻みに開けたり閉めたりを繰り返して、ダメージの蓄積を狙う。


「君容赦無いね?! 扉越しでいいから話聞くだけ聞いて! 本当に困ってるんです! 助けて下さい! お願い、助けて! 」


「うるさい! そんな事言ったって騙されないんだから! 私の尻子玉を狙ってるのは分かってるのよ! 」


阿鼻叫喚である。

仮にも20代のOLが、住宅街のど真ん中で叫ぶセリフでは無いが仕方がない。カッパに尻子玉を抜かれて一人寂しく死んでいくなんて、絶対、絶対に嫌だ。まだ彼氏もいないのに。


「抜かないから。尻子玉抜かないから! あの、お皿を下さい! 頭の皿が割れちゃったんですっ! このままだと東京砂漠のど真ん中!カラカラに干からびて死んじゃ」


カッパの足も限界だったのか、けたたましい音を立ててドアが閉まった。

ドアの外からは泣きそうな声で、助けて下さいだとか、死んじゃうだとか聞こえてくる。

覗き窓から様子を伺うと、しゃがみこんで少し血の滲んだ足をさすりながら、涙目で声をあげてるカッパの姿。

その姿が何だかとても可哀相に思えて、私はチェーンをかけたドアを少しだけ開いた。


「……お皿が欲しいの? 」


はっと顔を上げて、縋るような目つきで私を見つめるカッパ。


「……海が見たくて川を下ってたら、子供が投げた石にぶつかって頭の皿が割れちゃったんです。このままだと旅を続ける事も帰る事も出来ません……」


蹲っているカッパの頭を見れば、確かに皿が真ん中あたりからぱっくりと割れ、端から水が漏れている。


「……わかった。いいよ。ちょっと待ってて」


私はドアを閉めるとキッチンの戸棚からぽむぽむなプリンが描かれたプラスチックの皿を一枚取り出し、薄く開けたドアからカッパに手渡した。

いつだったか、酔った勢いで100円ショップで買って、真夜中一人でフリスビーにして遊んだまましまいこんでた皿だ。

カップルにドン引きされて落ち込んだ思い出の品である。


「はい、あげる」


蹲ったまま下を向いていたカッパは、皿を受け取るなり目を輝かせると、頭の皿をキュッと左回しに外し、残っていた水をぽむぽむなプリンの皿にザバッと流し込むと、今度は右回しにキュッキュッと入れ込み、これで一安心と大きく息をつく。


「それ、ネジ式なんだ……」


衝撃の事実に唖然としている私を置き去りに、カッパは おもむろに立ち上がると、先ほどの焦りようとは打って変わった落ち着いた様子で礼を述べ始めた。


「ありがとうございます。本当に助かりました。お礼に、僕の出来る事でしたら貴女の望みを叶えて差し上げます」


「望みって言われても……」


急にそんなおとぎ話じみた事を言われても困ってしまう。なんせ相手はカッパなのだ。

ランプの精みたく何でも3つ叶えてくれるわけじゃないし、鶴みたいに機織りが出来るとも思えない。亀だったら竜宮城に案内してもらえるかも知れないけれど、おみやの玉手箱は遠慮したい。

日常生活において、カッパの手を借りたい事なんてほぼ無いと言っていいのだ。濡れてなくてふわふわしてる分、借りるなら猫の手の方がマシである。


「……あっ! 」


そうだ。

あった。


あったじゃないか。カッパにして欲しい事。

こんなもう機会二度と無いのだ。今やらなきゃいつやるんだ。


「あのね、して欲しい事というか一緒にやりたい事があるんだけど」


「一緒にやりたい事ですか? 相撲くらいなら取れますけど」


「ううん、相撲じゃ無いの。とりあえず、ここだとちょっとあれだから上がって」


少し迷ったが、カッパを家に招き入れる事にした。

何か大人しそうなカッパだし、いきなり尻子玉を抜かれるような事にはならないだろう。いや、大人しそうも何もカッパを見ること自体初めてなわけだけど。


「はあ。じゃ、お邪魔します」


カッパは何をさせられるのかと、少し不安そうな表情を浮かべながら玄関の中へと入ってきた。意外と表情豊かな事に驚く。

全身ずぶ濡れな所為で廊下が水浸しだが、それは仕方がないだろう。乾いたら死ぬらしいし。リビングにカーペットひいてなくて良かった。


「さて」


「はい」


カッパと向かい合わせに立つ。

向こうの方が頭一つ分ほど背が高いので、私が若干見つめる形だ。

果たして出来るだろうか、きちんと伝わるだろうか。

緊張で手が震える。心臓がばくばくと音を立てている。

無意識に飲み込んだ喉がごくりと音を立てて、そうして口を開いた私は——。


「かっぱかっぱらった! 」


「……」


「……」


沈黙。

カッパの、何を言ってるんだコイツはと言いたげな視線が痛い。

けど私は負けない!


「かっ……かっぱかっぱ……らった」


私の思いが通じたのか、しばしの沈黙の後カッパが口を開いた。


「かっぱらっぱかっぱらった……? 」


通じた!

私は嬉しさのあまり声を張り上げて後を続ける!


「とってちってた! 」


私の勢いに押されて、カッパもノってきたようだ。


「かっぱなっぱかった! 」


「かっぱなっぱいっぱかった! 」


「「かってきってくった! 」」


最後はユニゾンである。

完璧ッ。完璧だ。

今、私の夢が一つ叶ったのだ——。

達成感に包まれて拳を掲げた私に、戸惑った様子のカッパが話しかける。


「えっ、ちょっと待って。一緒にやりたい事ってこれ? 」


「え? うん」


別に相撲に興味ないし。


「カッパとかっぱを読みたかったの? 」


「うん! 」


「……何で? 」


私は机の上に置いてある手帳を手に取りあるページを開くと、カッパの鼻先に突きつけた。


「死ぬまでにしたい100の事? 」


「そう! 絶対に出来ないと思って書いたけど出来ちゃったね! 」


「そりゃ普通は出来ないでしょうね……」


呆れた様に呟くカッパだが、その通りだ。正直こんな状況奇跡に近い。


「これで99個達成した! 残るは一つ! 」


「何でそんな生き急いでるんですか!? ……ちなみに最後の一つは? 」


「彼氏を作る」


「……」


「……」


部屋に満ちた気不味い空気を誤魔化したくて、私は咄嗟に話題を探す。そんな哀れな生き物を見る様な目で私を見ないでほしい。やめてよして。


「あー、えっと……というか良く知ってたねこの詩」


「ファンなんです。詩集も持ってます」


「へー」


ふと疑問が湧いたので、問いかける。


「カッパって濡れてひちゃひちゃじゃん。本読めるの?」


「バラバラにしてラミネートしてます」


「本への冒涜だ! ていうか機械はどこで……」


「かっぱらいました」


「んふふ」


くそ、思わず笑ってしまった。妙に得意げな顔してるのがムカつく。カッパの癖に。というか、それ犯罪だぞ。

……カッパのかっぱらいは犯罪なのだろうか?カッパに人権はあるのだろうか? 人権? カッパ権?

そんな思考の泥沼にはまりかけた私を、カッパの声が現実に引き戻す。


「さて、お礼も済んだ様ですし僕はそろそろお暇します。本当にありがとうございました……ん? 」


カッパの視線の先を追ってみれば、飲みかけのビールとつまみのキュウリの浅漬けが置いてある。

そうだ。すっかり忘れていたけれど、私は酒盛りの真っ最中。一週間の疲れを癒し、この干からびた生活にせめてもの潤いをと、ひび割れた大地にアルコールを流し込んでいる所だったのだ。

カッパはやっぱりキュウリが好物らしく、物欲しそうな目でテーブルの上の浅漬けをじっと見つめている。気づいてるのかいないのか、喉からクークーと声が出ている。

カッパと飲む休日も、悪くないだろう。きっと。少なくとも、一人よりかは。


「食べる?」


「食べます! 」



その後一緒に飲み始めた私たちだったが、カッパは大変良く飲み良く食べた。

キュウリの浅漬けはあっという間に無くなり、追加のキュウリを買いにスーパーまで走ったほどだ。

すっかり酔いの回った私が「皿をねだった挙句キュウリまで食べ尽くすなんて、とんだかっぱらいだ」と愚痴ると、キュウリの箱を抱えたカッパは「かっぱですから」と言って嬉しそうに目を細め、キュウリをしゃくりとかじって小さく笑ったのだった。

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