牧場の生活(8)
思い知ったぜ。牧場って場所は危険すぎるってな。
あの後もポレットは、スモークチーズまで持ち出して俺を悶絶させやがった。味覚だけじゃなく嗅覚でまで圧倒しにくるとはどれだけ計画的なんだ。完敗じゃん。
晩メシの今だって、俺の皿には刻んだスモークプロセスチーズが仕込まれている。さんざん柔らかい腹毛をわしゃわしゃさせてやったってのにまだ足りないのか? 陥落させる気だな?
「あははは、あんなに喜ぶとは思わなかったー。特にキグノが」
「本来ほぼ肉食だもん。動物性の旨味には弱くても仕方ないでしょ?」
「へぇ、この子にチーズをあげると一撃なのね?」
ナネット、お前もか!?
「甘いものと動物性にはめろめろです」
そんなに簡単に弱点をばらしてくれるなよ、相棒。
「今度私もお腹触らせてもらおうっと」
「構いませんけど、太らない程度にしてくださいね」
売られた!
あいかわらず笑顔の絶えない食卓だ。ここはリーエに優しい場所だな。
「じゃあ、先に行っておく。ゆっくり来なさい、ポレット」
ウッドはどこへ行ったんだ?
「おじさま、お休みになられないの? ポレットも?」
「うん、今夜は院の子供たちが来るからお世話しなくちゃね」
「え、夜中に?」
なにごとだ?
「お産があるんだ。だから見学にね」
「牛の出産!」
毎回じゃないんだけど、都合のつく時にはルドウ託児院の子供が出産の見学に来るんだとさ。情操教育の一環で、本部から依頼があるって話。
「わたしも見たい」
「良いけど、割と衝撃的……。いけない、リーエも田舎の娘だったね。そんなに珍しくもないか」
「うん。でも、何度見ても感動するから一緒してもいい?」
自動的に俺もだな。夜更かしは久々じゃん。
「歓迎。今夜は初めての子もいるから、もしかして手が要るかもだし」
「ええ、それにわたしだから役立てることもあるの」
確かにな。
◇ ◇ ◇
雌牛はひとしきり唸った後に産み落とした。特に問題無かったようで自然分娩だ。介助の必要も無かった。
しかし、あまりに苦しそうな様は、初めて見る小さい子供を怯えさせ、半泣きにさせちまってる。引率の職員やポレット、相棒にも一人縋り付いてた。
「女の子だよ。みんな良かったね?」
「わーい! これで仲間が増えた!」
「僕、可愛がってやるんだ」
母牛が羊膜を舐め取っているのを俺も手伝う。
この産まれたばかりの仔の匂いはどうもおかしくさせやがる。舐めなきゃいけないって気にさせるんだ。こいつは本能なんだろうな。
仔牛は無事に呼吸を始めてうるさいくらいに鳴き始めたが、全然意味になっちゃいない。動物だって周囲から学んで言葉をしゃべれるようになるんだ。
ただ、人間に比べりゃ遥かに早くしゃべり出す。言語が単純なのと、産まれた時の成熟度が違う所為。脳も早く大人になる。
「大丈夫。仔牛には何もしないから近付かせてね?」
「
そのまま動くな。疲れを取ってやる。
「
「
母牛にロッドリングを触れさせた相棒は治癒を掛ける。接触発現にしたのは全力の効果を狙ってのことだな。
「ああ、楽になったわ。お乳をあげるまで座れないからつらかったの」
だろ? リーエは分かってるから。
「今は無闇に動けないからお礼はまたにしてね」
気にすんな。お前も仔牛も無事ならあいつは満足だ。
ふらふらしてた母牛の足元は確かになった。これで間違っても仔牛を踏んじまうことはないじゃん?
「ありがと、リーエ。かなり楽になったみたい」
「必要ならいくらでも。だって彼女は素晴らしい仕事をしたんだもの」
「うんうん、最高の仕事だね。うちの家族が増えたんだもん。
雄はなぁ。
「やっぱり?」
「お肉になってもらうんだ。この前焼いたのもうちの子」
「分かってるつもりだけど、ちょっと……」
最高に美味かったけどな。
ポレットは初めての子供を集めると説明を始める。たぶん、これが本番だ。
「
「どうして?」
「あんなに大変そうだったのに?」
分からないよな。
「男の子は大人になってもお乳を出さないから。あの、一番狭い柵に居るお父さん牛はほんの一部が残っているだけなんだ」
「でも、かわいそう」
「かわいそうじゃないだろう?」
年長の雄が一人、窘めてる。自分も通って来た道だから頑張って導こうとしてるんだな。
「僕たちはお肉も食べないと大きくなれない。その為に雄牛はお肉になってくれてるんだ。かわいそうじゃなくて、ありがとうって言わなきゃ」
「……ごめんなさい」
「謝らなくてもいいんだよー」
空気を和らげようとしてる。慣れてるな、ポレット。
「食事が終わった後にする還しの礼の時に、本当にありがとうって念じてくれる?」
「はい!」
「良いお返事でした!」
完璧に理解したんじゃないだろうが、最初の一歩にはなったんじゃないか?
でも、一人だけすぐれない表情のままの雌がいる。
どうした、相棒? 分かってるだろすりすりすりすーりすりすり。
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