牧場の生活(4)

 牛乳であれほどなんだからチーズはどれほどなんだと思ったらこれだ。相棒が立て替えるから金を払わせてくれ、ビビアン。そして腹いっぱい食わせてくれ。


「あらら、そんなに私を舐めて。美味しかったのね? 良かったわ」

 あんな黙って酒食らってる旦那はやめて俺の嫁になれ。

「キグノー?」

 痛い痛い! 耳を引っ張るな。

「今、ろくでもないこと考えてたでしょ?」

 どうしてこんな時ばかり察しが良いんだ。雌の勘か?


 ほら、皆に笑われちまってるじゃんかよー。尻尾が下がってるから反省してるってわかるだろ?


「まだ喜ぶのは早すぎるわ。お楽しみはこれから」

 うお、ウインクしてよこすなよ。蠱惑的な雌だぜ、ビビアン。

「君とラウディはこっちのほうが好きでしょ?」

 見事な肉塊じゃん。生か? 生なのか?

「はい、どうぞ」

 震えるぜ。


 それほど脂が乗ってるってわけじゃない。なのに柔らかくて溶けるようなこの肉質。噛んでいる暇もなくするりと喉へ落ちていっちまった。でもまだ余韻が舌の根っこを刺激してやがる。

 なんだこの肉は。若いやつだな? 若い仔牛の肉だな? しかもしっかりと熟成してあるやつだな? 俺をどうしたいんだ?


「困るでやすよ。美味しすぎて腰が抜けそうでやんす」

 お前、本当にふらついてんじゃん。

「こんなお肉食べたら他のお肉が食べられなくなるでやんすよー!」

 だよな。俺、ここん家の子になるわ。


 はっ! 殺気!


「キーグノー?」

 いや待て、相棒!

「今、とんでもないこと考えていたでしょ!」

 痛い痛い! 頬を横に引っ張るな。その黒いところは案外敏感なんだ!


 この後もめちゃくちゃ笑われたじゃんか。


   ◇      ◇      ◇


 まだ朝の四の刻五時前。ポレットに揺すられた相棒と俺はのそのそと起き出して雌牛の柵に向かう。搾乳作業があるってんで、興味を持ったリーエは手伝いを申し出ていた。


 空が白み始めたころだというのに、搾乳棟には結構な数の子供が作業準備を始めている。こいつら、当たり前のように整然と動いてんな。

 外でも子供たちが雌牛の様子を窺っている。これから順にお乳を搾っていくんだな。


 誘導すんのか? 俺だったら追いかけなくたって話が付くぜ?

「この大きなわんちゃん、どこの子?」

「あの、見掛けないお姉さんのとこの子だって」

「うろうろしてたら危ないよ。お姉さん、この子邪魔ー!」

 うへ、邪魔だって言われた。


 よく見てみりゃ、確かに誘導しなくたって雌牛たちは列を作り始めている。なるほど、慣れてるのは子供だけじゃないってか?


「言われなくても並ぶから見てなさいな」

「そうよ。ここの流儀は私たちのほうが知ってるんだから」

 こりゃ失礼。

「役目っていうのを理解してやっているの」

「そうじゃなきゃ人間の子供なんかじゃ相手にならないでしょ?」

 ごもっともで。


 どうも出番は無さそうだ。美味いもん食わせてもらった以上はお返しを考えてたんだけど、俺は役に立たないかもな。


「お姉さんも邪魔」

「え? でも大変じゃない? そんな小さい身体で」

「馬鹿にすんなよ。俺のほうが働きが良いんだぜ」


 実際に細長いホースを持って雌牛の下に入り込む小さい雄は機敏に動いて搾乳の準備を終えてる。そのホースの先に付いてる細い漏斗みたいなのが乳首に吸い付いて牛乳を搾るのか。ほほう。

 ホースは分岐を経て太くなっていって、天井梁にあるでっかい槽に牛乳を吸い込んでいってる。こいつは風魔法の応用だな。


 搾乳棟の裏手に回ってみると、別の建物まで太い管で繋がっていて、そこにも同じくらいの槽がある。そこから細めの管を通り過ぎて下の槽へと流れ込んでるみたいだ。

 そこじゃウッドとフィールズがこれまた結構な大きさの牛乳缶へと詰める作業をしていた。


「どうしたんだい、キグノ。興味があるのかい?」

 何だ、これ。

「ここは製乳棟。その管を通す間に加熱殺菌してしばらくは痛まないようにしてるのさ。で、この保冷缶を使うことで更に持ちを良くしてる」

 驚きの仕掛けだぜ。


 手搾りしてたら全然追い付かないだろうと思ってたら、びっくりするほど完成された仕組みで牛乳を作り出してるじゃん。


「はい、搾りたてをお裾分けだ」

 気を遣わせてすまん、フィールズ。

「追い出されたんだろう? うちに来る子たちの連携は完成されているからな。入り込む隙間なんて無かったんじゃないか? はっはっは」

 おっしゃる通りだぜぺろぺろ。おおう、搾りたてはまた堪らないな。


 搾乳棟に戻ると、相棒はまだおろおろとしてる。

 見てみろって。ポレットでさえゆったりと見回ってはちょっと補助してる程度なんだぞ。お前の出番なんて有るわけ無いじゃん。


「お姉さん、そこ触ったら危ない! 焚き釜なんだから火傷しちゃう!」

「ご、ごめんなさい」

「もっと下がって見てて、リーエ。そうしたら彼らがどんな風に動いているか掴めると思うよ」

 ポレットも忠告してくれてるぜ。

「そうね。本当に邪魔だもん」


 しょげ返るリーエだけど、子供たちは微笑ましげに見守ってる。まあ、こいつらも最初はそんな感じだったんだろうし。

 搾乳作業は順調に続き、七の刻七時過ぎには皆がそれぞれの鳥車に乗って帰っていっちまった。


「……いつもこんなに慌ただしいの?」

 とんでもない光景だったな。

「朝はね。自分のところに牛乳を持って帰らなきゃいけないから。夕方はもっとゆっくりなんだ」

「はぁー」


 素人なんだからそんなもんだろ。落ち込むなぺろぺろぺろぺーろぺろぺろ。

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