第23話「語らえる存在」

 池袋のジュンク堂書店には初めて訪れた。

 そもそも池袋自体が馴染みの薄い街だが、そういえば以前、光蟲が骨折により入院した際に訪れたことを思い出した。

 地下一階から九階までの大規模な造りは、新宿の紀伊國屋書店に似ている。いや、フロア数だけならそれ以上か。しかしこちらは紀伊國屋書店と異なり、エレベーターガールがいないところに物寂しさを覚えた。


 光蟲が何階にいるか分からなかったので、下から順に見て回ることにした。フロア案内を見るに、ゼミで指定された参考書があるとすれば六階の医書コーナーのようだ。


 日曜日の池袋の盛況ぶりは新宿に匹敵しており、どのフロアもまんべんなく客が入っている。

 例えば歴史書コーナーには、私と違って真面目に勉学に励んでいそうな大学生風の青年、趣味・実用コーナーの麻雀本のエリアには、定年退職して暇を持て余しているのであろう老人。漫画コーナーには、妻からたいして小遣いももらえていなさそうな冴えない中年男性(妻がいるのかどうかは知らないが)、料理本のコーナーには、対照的にいかにも人生潤っていますと言わんばかりの雰囲気を醸し出した子連れの夫婦。

 他にも列挙すればきりがないが、そのバリエーションの豊富さは目を見張るものがある。様々な風貌の彼らと、彼らが興味を向けている書籍とを何とはなしに眺めていると、そうした実にくだらない種々の想像が次々に湧いてくるのである。金を使わない暇潰しとして、大型書店以上の場所を見つけるのはなかなか難しいかもしれないと感じた。


 レジにはスタッフが三、四名常駐しているため、どの階もそれほど長い列はできないが、客が途切れたところを見計らってその他雑務もこなしている様子なので、遠目にも慌ただしさが伝わってきた。


 目的の六階に到達し、福祉関連のコーナーを覗く。

 大学の丸善では見当たらなかったが、さすがはジュンク堂だ。検索機で調べると、すぐに在庫有りの表示が出た。情報をプリントし、広大な店内を歩いて回ると数分で目的の書籍を発見した。『統合失調症を理解する――彼らの生きる世界と精神科リハビリテーション』という専門書だ。深井教授は精神障害の中でも精神科リハビリテーションに造詣が深く、この手の内容はいかにも彼の好みそうなところだった。三冊重なっているうちの真ん中を抜き取ってレジに向かう。


 六階のレジ担当三名のうち、右端に光蟲がいた。しかもちょうど、彼だけ手があいている。


「お願いしまーす」

 こともなげな口調で言いながら本を差し出す。

「いらっしゃいませー……あれ?」

 こちらに気付くと、光蟲は途端にいつもの半笑いを見せた。

「ゼミで使う本なんだけど、上智の丸善になくてね。光蟲くんいるかなーと思って来てみた」

 半笑いを返しながら、青のカルトンに五千円札を置いた。


「日によってフロア変わったりもするけどね。今日、大会じゃないの?」

「ん……ちょっとね。ところで今日、飯行けたりする?」

 ちょうど、自分の後ろに客が待っていなくて良かったと思う。

「七時に終わるから、その後で良ければ。待てる?」

 手慣れた様子で、光蟲はカルトンにお釣りを並べて置く。

「オッケー。その辺のサ店にいるから、終わったら連絡ちょうだい。ありがとね」

 黄唐茶きがらちゃ色の袋に入った本を受け取り、フロアを後にした。


 深刻なことではなく、取るに足らないことで気が滅入るときこそ、心安く語らえる誰かの存在が大切だな。案内ガールのいないエレベーターに、見知らぬ男女たちと揺られながらそう痛感した。

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