第50話「傲然と無気力の狭間」

 しかし、上村の奴にはしてやられた。まさか、あの会話を首藤に伝えているとは。

 改めて考えれば、彼がご機嫌取りの一環として告げ口することぐらい予想できるだろうと自分自身にツッコみたくもなるのだが、あの時は思ってもみなかった。


 当時の私は、今と比べて思ったことを忌憚きたんなく口にする傾向にあった。もちろん、何でもかんでもべらべらと話していたわけではないが、つまりは馬鹿正直だったのだ。



 自分の気持ちに正直に生きて痛手を被るのと、偽ってその痛手からまぬがれるのと、果たしてどちらがよいだろう。

 極端すぎる対比かもしれない。多くの人はきっとそのへんを無意識的に、ちょうどよいバランスでこなしている。私はおごっていたのかもしれない。

 それが悪いかどうかと考えると、今でもよく分からない。

 傲るのはそれを裏付ける内的要因と、そうさせる外的要因とが合わさって起こる現象で、その両者のうち外的要因のほうが責任が軽いとどうして言い切れるだろう。


 大学生となった今の私は、環境的にたぶん傲然ごうぜんさは薄い。

 しかしながら、それに代わるエネルギッシュな感情をどれだけ持てているだろうか。部活動に精を出したり、光蟲と関わったりすることでそれなりに面白おかしい日々を過ごしてはいるが、それ以外のことはどうだろうか。勉強にやる気がなくなったのは、確かに記憶力ゲーム的手法で通用しづらくなったことが関係しているが、それだけではないはずだ。

 高校時代まで成績が良かったといえども、別に楽しんで勉強に取り組んでいたわけではない。むしろ死んだように手を動かし、死んだように暗記を繰り返していただけだった。無気力だった。


 首藤たちとの一年間に及ぶ不毛なやり取りで疲弊した私は、生きる活力や気勢をずいぶんと削がれた。

 この数ヶ月の様々な出来事を通じてそれらはかなり回復を見せているが、将来に対する希望や展望が見えないのだ。

 いくら努力して社会に出たところで、どうせろくなことにはならないという理不尽な暗示にかかっているのかもしれない。だから本気で勉強しようという気持ちにならないし、かつての栄光――などという考えこそ傲りかもしれないが――を取り戻さんという意思も芽生えないのだろう。言い訳に過ぎないかもしれない。首藤に仮託かたくして逃避しているだけなのかもしれない。

 私は、でも確かに首藤戦争の果てに無気力を植え付けられた。無気力は、ある意味では傲然よりも罪深い。


 二学期に入って早々の暴力以降、首藤の体罰行為はエスカレートした。

 九月半ばの体育の授業中のことだ。体育館は冷房の効きが悪く、活動を続けるうちに暑さが増し、途中から私はジャージのチャックを胸元あたりまで下げていた。

 数分後、突然首藤が背後からやって来て、手荒にチャックを上まで戻された。チャックは私の首を強くはさみ、すぐさま強烈な痛みが走る。

 たまらず「いたっ」という声が漏れたが、首藤は無言で立ち去った。

 首から出血し、親指大ぐらいの傷ができた。数本の指に付着した血を舐めると、苦く、わびしい味がした。痛みはズキズキと執拗しゅうねくまとわりつき、消えるまでに数日を要した。




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