2010年・冬~大雪

第48話「クサレ社会主義思想」

「いやぁ、その先生アウトでしょ」

 和牛カルビをタレの入った小鉢に浸しながら、光蟲が半笑いで答える。


 水曜日。グラマーの授業を終えて、私たちは新宿三丁目の老舗しにせ焼肉店『長春館ちょうしゅんかん』で夕食をとっている。

 なかなかの高級店なので、二人で腹いっぱい飲み食いすれば、福沢諭吉と樋口一葉を一名ずつ出してもぎりぎりだろう。焼肉屋自体めったに行くことはなく、むろんこんなに高い店は初めてだ。光蟲は、たまに両親――彼の家庭は裕福で、目白に一軒家を持っているほどだ――やアルバイト先の人たちと訪れているらしく、慣れた様子でテンポよく肉を焼き進めている。


「子ども相手にねぇ」

 他人事のような口調で半笑いを返し、普段よりもハイペースでぐびぐびとハイボールを摂取していく。

「まあ、本来的に有している日本人の悪しき性質だよね。集団の中で少しでも目立っていたりはみ出していたりするのを見ると、どうにかして吊るし上げようとするクサレ社会主義思想だわ」

 光蟲も、いつも通りの手際のよさで生ビールのジョッキを空にした。

「社会の仕組みは資本主義でも、心の中は社会主義ってことかねぇ」


 ちょうど店員が通りかかったので、レモンサワーとエクストラコールド、そして人気三品盛――カルビ・ロース・ハラミの三種類――を追加する。

「特に知的運動神経が鈍すぎて、まともな意思疎通さえ困難に思えるようなレベルの低い集団においてはね」

「ははは」

 光蟲の刺激的な言葉選びは、いつも私の神経をくすぐる。


「それにしても美味いねぇ、ここの肉」

 カルビもハラミも、脂身が少なく噛むほどに味が広がり、頬が落ちそうなほど美味しい。

「でしょ。やっぱ高いだけあるよね。普段、いかにクズ肉を食ってるかがよくわかるわ」

「まったくだ」

 あちらこちらで肉や野菜を焼く音がすうっと心地よく耳に入り、いっそう食欲が増してきた。


「まあ、とりあえず悦弥くんが成績良くて、自分よりもはっきり賢いと悟ってしゃくだったんだろうね、その先生」

 光蟲はさっき追加したエクストラコールドもあっという間に飲み干し、テーブルチャイムを押して再度店員を呼び寄せる。

「同じの、もう一つください」

「あと、並ライス一つお願いしまーす」

 焼肉には白米が必要不可欠だという持論は、クズ肉でも高級肉でも同様に該当する。


「そりゃあ、トイレの水飲めるとか言う奴と一緒にされたくないけど、賢いかどうかはなんとも言えないなぁ」

 せっかく一流と呼べる大学に入れたにも関わらず授業をサボってばかりいるのは、とても賢い人間のとる行動ではない。結局、文化祭の翌日は疲労と面倒臭さが重なり、授業をすべてすっぽかした。

「いやあ賢いっしょ。フランス語のテスト、俺の三倍点数取ってるんだから」

 苦笑すべき内容にも関わらず、光蟲はどこか誇らしげな様子で相好を崩している。

 本日返却された小テストはなかなかに難しかったが、何とか九割を超えていた。

「そういうことにしとくかー」

 

 酒が入った状態でも、光蟲が自分を認めてくれていることを心強く感じた。

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