第37話「ひとときの芸術」
午後に入っても客は途切れることなく盛況だが、おおむね予定通りに進行していた。
私の出番は一番最後なので、気持ちを整理する時間は十分にある。目を閉じ、全体の流れをイメージする。客席に浅井や光蟲が座っている姿を思うと、ふと半笑いがこぼれてきた。
私の土俵だ。暗記だけでどうにかなるものではないものの、様々なケースを想定し、シミュレイションしておくことはできる。むろん、お菓子や道具――特にお茶碗は客が直接触れるため、何かと質問を受けることが多い――については安定した説明ができるよう、今一度再確認する。
そして、新たに導入する"私らしさ"という秘策。昨日、ルノアールでまとめ直したメモを確認し、後は本番を待つだけだ。
「よし、いよいよ次で最後だな」
東は、本日だけで三席も半東を務めている。
「お互い、悔いの残らないように頑張ろう」
午前中は少し暑いぐらいだったが、午後に入ると暑さは和らぎ、でも肌寒いわけでもなく理想的な気候だ。
水屋から覗くと、すでに客は待機していた。午前に亭主で入った時ほどの人数ではなさそうだった。浅井と光蟲の姿もあり、光蟲はどういうわけか――おそらく偶然だろう――
菓子器を持ち、水屋から茶席に入る。視線と表情を一定に保ちながら、
一手一手、流れ作業にならないよう慎重にこなす。背を向けて水屋に戻る際、浅井と光蟲がそこにいる安心感を享受した。
東とともに再度入り口につき、席入り。次客茶碗を所定の場所に置き、正客のほうに向き直し、一礼。
正客は、他大学の茶道部員と思われる女性で、扇子や
ちょうど十名。午前の席と異なり、気心の知れた人がいるぶん様相はかなり異なるが、それでもこの十人が集結した席が、今この時しかない芸術であることは変わらない。彼らが、このひとときを多少とも幸福なものとして感じられるよう努めたいと思った。
「本日はソフィア祭茶会にお越しいただき、まことにありがとうございます」
手始めに、正客へ向けて挨拶する。
「お招きいただき、ありがとうございます」
正客の女性が、丁重に一礼する。
この後の全体に向けての挨拶で、私は奇策を企てていた。
* *
※1:
正客ほど茶道の知識は要求されないものの、正客の次に重要な客となり、場合によっては正客と同等の知識をもつ人が次客席に座る場合もある。
※2:
他の客に代わって招かれたお礼を言ったり、タイミングに合わせて当日に用意されている抹茶や茶道具、掛け軸やお花について尋ねるような役割がある。
茶道に馴染みのない方には分かりづらいかと思いましたので、補足説明を記しました。
次客の隣の
とは言え、上記は正式な茶会においての慣習で、大学生が文化祭で行うような席でしたら、そこまで深くこだわる必要はないだろうと思われます。正客の役割なども絶対ではありません。その席に入ったお客さん全員が茶道未経験者、なんてことも十分考えられますからね。
なんにせよ、お客さんは茶道の知識の有無などに関わらず、気楽に、肩の力を抜いて参加して良いのです。皆さん、ぜひ大学や高校の文化祭などで行われるお茶会に足を運んでみて下さい。
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