第9話
「何を絶望している。これだけの湯煙だ。体を洗ったのと同等の洗浄効果があったはずだ。」
「そういう問題じゃないわよ。お風呂はゆったりと浸かって、今日1日の良かったこと、楽しかったことを反芻して、長期記憶という思い出にするんだから。」
「それは残念だったな。今日はそんなに楽しいことに溢れていたのか。」
「楽しい!?そう言えばそんなこと、限りなくゼロに近い、いやマイナスしかなかったわよ!」
「ならば、記憶として保存しなくて良かったではないか。」
「いや、ウラミとして、とことん溜めておくんだから、覚悟しなさいよ!」
「よし。それぐらい元気ならば大丈夫だな。」
「はっ。」
反論する言葉が見つからない千紗季であった。
「もうお風呂からあがるわ。」
脱衣場に行った千紗季は自分の棚を探したが、大事ものが見当たらない。大事ものとは決まっている。
「アタシのパンツがないわ!誰かに盗られたんだわ。でもあんな大人数から見つけるなんて、到底ムリだわ。」
顔を青くして、しゃがみこんだ千紗季。
「どうしたんだ?自分のパンツを無くしたという顔をしてるようだな。あたしも一緒に探してやろうではないか。」
「いいわよ。ソコドルはすべて自己責任なのよね。自分で探すわ。」
「いい答えだ。ソコドルに一歩踏み出したな。」
「ありがとう。豊島区マネージャーも犯罪に三歩足を踏み入れたわね。バキッ!」
「痛い!あたしの顔に何をする!」
千紗季は、右手で山田の顔を覆っていた自分のパンツを剥ぎ取って、左手で顔面パンチを食らわせていた。山田は入口の外に吹っ飛ばされた。
「いいモノもらったなあ。見込みがあるかもな。」
千紗季はスッキリした表情で、廊下一番奥の寝室に向かっていった。
「宿泊室と言っても、多分ベッドなんかなくて雑魚寝ね。それも布団が人数分よりひとつ少ないとかに決まってるわ。」
時間はすでに9時を回っていた。
「アイドルは健康第一、お肌のケアも睡眠からということね。」
千紗季は宿泊室のドアをゆっくりと開けた。
布団は整然と並んでいた。畳六十畳分ぐらいはある広さだ。
すでにソコドルたちは寝入っていた。いびきひとつ立てず、静かに寝ている。
「また布団がひとつ足りないとか言うんでしょう。その手には乗らないわ。ジャジャーン!」
千紗季は白い布を取り出した。毛布のようである。
「お風呂場にあったバスタオルを集めてきたのよ。これを毛布代わりにすれば何とかなるわ。究極のリサイクルよ。アタシのアイデア、素晴らしいわ!アハハハ~。」
千紗季は、腰に両手を当てて高笑いしているが、バスタオルの再利用はリサイクルではなく、窃盗である。
「さて、布団がひとつ不足していることを確認するわよ。」
大きな部屋では多数の布団が人型に膨らんでいるが、予想外に2つの膨張未了の布団があった。千紗季の分を除くと、ひとつ布団が余る計算となる。イヤな予感が千紗季の脳裏を光の速度で駆け巡る。
しかし、この期に及んでは寝るしかない。所狭しと並んでいる布団の数からして、極端な不埒はできないだろうと考えて、千紗季は眠りについた。
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