第五十四話 鬼の、慈悲

 高遠頼継は陣の中心で、睨む。

 高遠(かれ)から泉の如く湧き出る殺意に、俺は目を背けなかった。

 剥き出したところで、どうせ彼のステータスが変わることは無い。


 「生きておったか」

 郎党共は揃って俺に槍を向けるが、高遠の一言でその動きを止める。

 身に纏わりつくほのかな血の臭いを感じながら、俺は笑う。

 「このような地で死ぬ男ではないわ」

 「はっ、可笑しなことを申すものよ」


 ほくそ笑む高遠の目に、光は灯らない。

 どうやら、援軍もさほど集まらず仕舞いだった様だな。

 俺は顔に付く血を拭う。


 「儂は、其方と語り合いたいが為に、此処へ参った。しかしその前に一つ、訊ねたき事が有る。

  何故、其方は此処へ陣を立て、兵を一方から次々と送り込んだ?」


 高遠は以前表情を変えぬまま、俺を見る。

 俺の問いは、既に彼によって予期されていたものだと悟る。

  

 「《何者かが裏で指示を出し、兵を送り込んでおる》と、

  兵が一箇所より送り出されておれば、誰もが考える事であろう。

  儂ならば、自陣より兵を送る等という、分かり易い事はせぬ。

  まさか、其方が何も考えず此処に自陣を置くとは考えにくい。

  其方も儂と、話をしたいと思って居たのではないか?」


 高遠がこの状況で、嘘を吐く利は無い。

 高遠はただ一度、息を吐いた。

 「晴幸殿、ちと此方へ来い」

 

 そう言って、高遠は地に座る。

 俺は馬を下りて刀を外し、対面する形で胡座をかく。

 周りの者は俺を睨みつつも、俺に対して危害を加えて来る事は無かった。



 「......血に塗れた今の其方は、まさに〈鬼〉の様じゃ」


 目先で突如発された高遠の言葉。それは俺がいつか、晴信に対して抱いた感情と似ていた。

 俺は返答に要する言葉を、彼に向け出すことは無かった。



 「儂は唯、焦っていたのだ。

  儂に語りかけてきた其方が、儂には怖かった。

  しかし気づいたのじゃ。今となれば、あの時と今の其方は、何処か違う。

  本能を浮き彫りにした目で、儂を睨んでおった。

  晴幸殿、儂からも一つ聞かせよ。

  あの夜と現在いま、どちらが誠の其方なのだ」


 そう口にした高遠に、俺は暫くの沈黙の後、微笑む。

  

 「儂は儂じゃ。誠も偽りも無い。

  その時々の儂が、誠の儂じゃ」

 その言葉に、高遠は口を緩ませる。


 「はは、そうか」


 高遠は力が抜けた様に、天を仰ぐ。

 高遠には気づかれていないだろうが、俺の発した言葉には、どうせ本当のことを信じてもらえないという諦めの心が込められていた。


 あの一件だけを見れば、きっと悪いのはこちらの方だ。押し倒した挙句、刀を突き付ける晴幸に対する高遠の行為は、恐らく不可抗力だといえるだろう。

 元凶は晴幸といえども、きっと俺もそれに近い事をしていただろうから、同じ事だ。


 「高遠、一つ其方に伝えておく。

  もはや其方に勝ち目は無い。早々に陣を去る事を勧める」


 そう言って、俺は口を噤む。

 転生前からの悪い癖だ。

 しかし、もはや援軍のストックが足りていない高遠側に、勝利は見えないだろう。


 少なくとも、高遠が死なない事はスキルによって分かっている。

 なら、俺が此処で敵を引かせても問題はない。

 此処は大人しく引いてくれるはずだ。

 この時の俺は、そう思い込んでいた。




 「いや、もはや遅い。

  最後まで戦って死ぬのが、我らの宿命」

 「......!」


 俺は顔を見上げる。色をなくした彼の表情が、俺のまなこに映る。


 「我らは負けぬ。

  申したであろう。武田は既に囲まれておると」



 その時、俺は固まる。


 まて

 まさか




 気付くのが遅かった。

 俺はばっと振り返る。

 既に数人の手勢が、俺を囲んでいた。


 「もはや手遅れじゃ。其方が此処へ参った事で、上手く事が進みそうじゃ」




 しまった


 俺は直ぐに立ち上がろうとする。その時、俺は周りの者によって肩を掴まれ、地に押さえつけられた。


 「うぐ......っ......!」

 身動きが取れない。四人の大人が本気で押さえつける力は、恐ろしく強い。



 「憐れなものだ」

 耳に刺さる、凍りついた声。



 馬鹿だった。

 俺は、地に伏せたまま悟る。


 完全に読み違えていた。

 この男は、唯の囮。

 敵兵に指示していた本当の人間は、別の場所にいる。

 俺を座らせ話を持ちかけたのは、その《最後の砦》が動き出す為の時間稼ぎ。


 この男は、最初から誰かを此処に誘い込むつもりだったのだ。



 やられた。

 俺は目を細め、為す術なく拳を握る。

 高遠は笑みを浮かべず、俺を見下ろしていた。




 「形成逆転、か」





 この時からだった。

 俺の計画が、徐々に崩れ始めるのは。

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