第216話地下

 薄暗い研究施設の中は不気味だった。長い通路の両脇にはそれぞれ5つの扉がある。扉一枚一枚に番号が割り振られており、中から唸り声や啜り泣く声、狂ったように叫ぶ声が聞こえてくる。その光景にゾッとするも、シオンが同じ状況にいるかもしれないと思った彼は、思わず駆け出した。そして一番手前にある部屋のドアを開けた。


「うぅ?」


 そこには人間とオークを半身ずつ強引に外科的処置で結び合わせたような歪な何かが床に倒れていた。人間の部分である右側と、オークの部分である左側は縫合によって繋がっている。頭部は切り開かれたのか無造作に包帯が巻かれている。


「うぅ、うぅぅぅ」


 ジンの方に弱々しく手を伸ばしてくる。思わずジンは左手で口を押さえる。『何か』の体からは3つの気を感じ取れた。一つは右半身から。一つは、左半身から。そして最後の一つは頭部から。正確には脳の辺りからだ。それらが意味する事は一つ。


「たす……け……て。お……にいちゃ……ん」


 その言葉にジンは顔を歪める。歪な体に子供の脳を強引に埋め込んだのだ。悍ましい惨状を前に彼の心は凍っていく。


「分かった」


 ジンは決断し、その首を切り落とした。なるべく痛みを感じないように。ゴロリと歪な顔がジンの足元に転がった。


「すまない」


 小さく呟いて泣きそうな顔を浮かべる。彼には目の前の少年を元に戻す事が出来ない。だからこそ、彼がこれ以上苦しまなくて済むように、その命を摘み取ったのだ。血が出るほど強く拳を握りしめ、すぐに顔を上げた。


「シオンを探さないと」


 そうして一つ目の部屋を出て、向かい側の部屋の戸を開けた。中には魔獣あるいは魔物たちを入れた檻が所狭しと並んでいた。どの檻からも、人語が聞こえてくる。中にいるのは頭に外科的処置が行われている者達だ。それが意味するのは目の前にいる全ての化け物が『人』であるという事だ。


 ジンが扉を開けた事で、檻の中の『人々』は一斉にジンに目を向けてくる。


「殺してくれ! 私たちを殺してくれ!」

「お願い! これ以上苦しみたくないの!」

「どうか、どうか、お願いだ!」

「死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい……」


 檻の中から死を求める何十もの懇願が聞こえてくる。それを聞いて唇を強く噛み締める。しかしあまりにも数が多すぎて、全て殺すには時間がかかり過ぎる。


「すまない。少し待っていてくれ。必ず戻るから」


 そう言うと、ジンは踵を返して部屋を出る。部屋の中から彼を呪う声が聞こえてきた。それを背に受けながら、ジンは次の扉を開いた。


 3つ目の扉の中では檻の中に10人ほどの女性達と、まだ小さい化け物達が彼女らに優しく抱かれていた。女性達は虚な瞳で嬉しそうに抱き抱える化け物達の頭を撫でる。目がまともに開いていないある化け物は甲高い声で小さく鳴いた。


 それを聞いて慌てたように一人の女性がその化け物の様子を見て、服から胸を出して、化け物の口元に差し出した。化け物はちゅうちゅうと母乳を吸い始めた。ジンは声を出せずに戸を閉める。『交配実験』という言葉が脳裏を掠めた。


 4つ目の部屋は想像以上に広かったが、中には誰もいなかった。ただし、夥しいほどの血液と肉片が周囲に広がっていた。恐らくこの部屋では魔物か魔獣に餌を与えていたのだろう。


 5つ目の部屋には3つの手術台が置かれていた。手術台には目を見開いたまま開腹された女性が寝かされ、彼女の近くには何かの溶液につけられた化け物の赤ん坊がいた。


 6つ目の部屋の中には先程の赤ん坊と同じように溶液につけられた化け物や人間、臓器など様々なものが所狭しと並んでいた。


 7つ目の部屋には無数の薬品が棚に陳列されていた。


 8つ目の部屋には、床に10個の人一人入れそうな謎の筒状のものが並んでおり、先端がガラス部分になっているので、その中を覗き込むと、そこには『セルト』と同じ顔の少女がいた。


 9つ目の部屋には、様々な魔核が保管されていた。


 10個目の部屋は人間が檻の中に詰め込められていた。一つの檻に10人ほど入っており、それが10個以上あった。ジンは鍵を一つ一つ壊し、そこから人々を出した。彼らは口々にジンへ感謝の言葉を述べた。


「誰かこの中にシオンという女を見た奴はいるか? 銀髪でポニーテイルにしていて、スレンダーな」


「シオンとは使徒の彼女の事ですか?」


 ジンの質問に、50代ほどの男性が質問してくる。


「ああ、そうだ」


「それなら何日か前に地下に連れて行かれるのを見ました」


「地下? どこにあるんだ?」


 通路の先には下に降りるための階段などなかった。ジンの質問に対して、男は地下に通じる階段が隠し扉の先にあり、それを開ける方法を教えてくれた。


「なんでそんな事を知っているんだ?」


「ここにいる我々は実験材料であると同時に実験の補助の仕事を担っているんです」


 自嘲した表情で言う男に礼を述べると、ジンは部屋を出て言われた通りに地下へと繋がる隠し扉を見つけ、下に降りて行った。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


「ついに始まった!」


 シオンの体から闇色のオーラが立ち上り始める。初めは少しだけ、しかし徐々にその量は増していき、部屋の中を突風が吹き荒れる。


「ヒャハハハハハハハハハハハハハハハハ!!」


 男は狂ったように笑い続けた。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


 地下には先程とは違って小さめの部屋が両脇の壁に10個ずつあった。中には一つ目と二つ目の部屋の様に、多くの実験された個体が眠っていた。その中を一つ一つ確かめる度に、どんどんジンの心の中に絶望が広がっていく。


 そんな気持ちを必死に隠しながら開いた扉の中には、10人の『ナギ』が微動だにせずにただ立っていた。一見すると人形の様に見えるが、微かに胸が上下していることから彼女らが生きている事を理解した。しかし彼女らの瞳には生気が感じられなかった。ジンが部屋に入って目の前まで来ても、視線すら動かさない。


「姉ちゃん……」

 

 複製体を作った人物も一連の黒幕と同じであった事を改めて確認し、心の中に強い怒りの火が灯る。


「必ず報いを受けさせる。だから待っていてくれ」


 返事がない事を知りながらも、ジンは彼女達にそう告げて、部屋を出た。


 次の部屋は寝室だった。そこには先程同様感情の無い『ナギ』がいた。彼女は裸でベッドの上に寝かされていた。更によく見ると部屋の隅の床には、首が変な方向に向き、ピクリとも動かない『ナギ』が転がっていた。他にも部屋の中を見回すと、四肢の無い『ナギ』や、身体中に拷問を受けた痕跡のある『ナギ』、目をくり抜かれたり、歯を抜かれたりした『ナギ』、首を切り落とされた『ナギ』、胸を喰い千切られた上に、所々に噛み跡のある『ナギ』。計7人の裸体を晒した『ナギ』がその部屋にいた。


「どこまで……どこまで姉ちゃんを辱めれば気が済むんだ」


 ジンはあまりの怒りに頭から血が出るほど掻きむしる。痛みを感じても止める事が出来ない。ジンの目の前が怒りで真っ赤に染まろうとしたその時、微かな笑い声が聞こえてきた。


 後ろ髪を引かれながら部屋から出て、声のする方へと駆ける。どす黒い感情が彼を支配した。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


「さあ、目覚めの時だ! 私の理論が正しかった事を証明させてくれ!」


 吹き荒れる闇色の嵐の中、ディマンは嗤う。


 突然風が収まり、充満していた闇のオーラが巻き戻るかのようにシオンの体に入っていく。


「シオン!」


 全てが彼女に収まった丁度その瞬間、入り口が吹き飛び、中にジンが駆け込んできた。ディマンはそちらに顔を向けて心底楽しそうな顔をした。


「やあ、ジン君。遅かったな。いやそれとも早かったなと言うべきか」


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


 ジンの目には裸のまま椅子に拘束され、虚な目で天井を見上げているシオンが入ってきた。彼女の横にいるディマンの事など、目に入らなかった。一目彼女の状態を見ただけで、気が狂いそうだった。


「シオン!」


 急いで彼女に駆け寄り、彼女の手足に嵌められた枷を引きちぎる。


「おやおや、随分と強引だな」


 横から誰かの声が聞こえてくるが、ジンはそれを無視してシオンの肩を掴み軽く揺する。拷問を受けた生々しい跡がそこかしこに残っている。


「シオン、シオン! 俺だ。ジンだ!」


 必死に何度も彼女の名を呼びかける。ビクンと体が震え、その目に生気が戻ってきた。


「ジ……ン?」


「ああ、ああ、俺だ。大丈夫だ。今ここから出してやる」


 ギュッと一度強く抱きしめると、ジンは彼女を抱き上げようとした。


「あ、ああ、ああああああああああああ!!!」


 しかし彼女は狂乱したように叫びながら暴れ出す。


「ど、どうしたんだシオン!? 落ち着け!」


「殺した! 殺した殺した殺した殺した!」


 何の話をしているのかジンには理解できない。彼女が意識を【レト】に奪われていた時に行っていた事などジンには知る由もなかった。彼女がどれだけ多くの人間を殺したのかなど、ジンは知らなかった。


「何をした!」


 そこでようやくジンはディマンを睨む。ディマンはニコリと笑顔を浮かべた。そこには悪意など一欠片もなかった


「少しばかり魂を刺激して、記憶を思い出させただけだ。どうやらその記憶はよほど重かった様だな。ああ、あと悪夢も少しだけ見せたかな」


 狂った様に腕の中で暴れるシオンを見て、ジンは舌打ちすると、彼女の首に素早く手刀を叩き込み気絶させた。


「許さねぇ」


 ジンはそっとシオンを床に横たわらせて、裸の彼女に着ていた上着をかける。ディマンを睨みながら、一対の短剣を両腰から引き抜いた。


「許さない? それはこっちのセリフだ。私の最高傑作を破壊したお前をどうして許せると思うか?」


「殺す」


 小さく呟くと、ジンは一気に駆け寄り、その首を刎ねた。ディマンは目を見開いて、呆然とした表情を浮かべていた。


「地獄に堕ちろ、クソ野郎」


 その顔に唾を吐きかけ、シオンの方へと顔を向ける。


「地獄、か。悪しき魂がその報いを受ける永久の牢獄。君はその存在を信じているのかい?」


 突然投げかけられた質問に、ジンは驚愕しながら、急いでディマンの方を向いた。そこには転がった顔を拾い上げる、首のないディマンがいた。やがて、顔と体の切断面からうねうねと動く無数の糸が飛び出してきて、結び合い、すぐに元の姿に戻った。


「何を驚いている? これだけ人で実験してきたんだ。有用な力を自分に埋め込まないはずないだろう? それよりも、後ろを見るがいい」


 ジンは警戒しながらもチラリとシオンの方を見る。そこにはいつの間にか立ち上がっていた彼女がいた。


「さあ、目覚めの時だ」


 ディマンの言葉に呼応するかのように、膨大な力が彼女の内側から外側へと迸り、それが漆黒の服を形成していく。そうして闇色のドレスを身に纏った彼女がゆっくりと目を開けた。


【暫くぶりだな。フィリア様の贄よ】


 美しくも邪悪な魂がそこに再臨した。

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