第168話狼狽
「う…そだ。ありえない……ありえない!」
今、目の前にいる女性がどれだけ姉と似ていようが、そんなはずがない。どれほど法術が発展しようと、人が生き返ることだけは絶対にない。そんなことが可能なら、フィリアがとっくにやっているはずだ。つまり、彼女は他人の空にのはずだ。それなのに、慌てている仕草も、首をかしげる仕草も、指先の動かし方も、喋り方も、何もかもが姉と似ていた。
「えっと、大丈夫ですか?」
気がつけば女性が目の前に来ていた。ティータは弟のそばにいるらしい。近くで見れば見るほど姉とそっくりで、頭がおかしくなりそうだった。
「……たは、一体なんなんだ?」
「え?」
「あんたは誰なんだ!」
突然大声を上げたので、目の前の女性は目を丸くした。
「えっと、ナギって言います。ナギ・レナウス」
「ナ…ギ?」
「はい、そうですけど……あの、大丈夫ですか?」
女性がナギと名乗った途端、ジンは顔を真っ青にした。まるで幽霊を見るかのように。
「は……はは、ははははは、そんな、ありえない……ありえない」
片手で顔を隠し、ジンは呟く。訝しげに見てくるナギの視線には一切気がつかない。やがて覚悟を決めたような表情を浮かべ、ジンがナギに尋ねた。
「……俺のこと、分かりませんか」
しかし返ってきたのは予想通りの、しかしジンにとってどこか望んでいなかった答えだった。
「ごめんなさい。人の顔を覚えるのは苦手じゃないけど、多分あなたとは会ったことがないと思う」
その言葉を聞いたジンはほっとしたような、しかし悲しげな表情を浮かべる。それを見てなぜか分からないが、ナギは胸が強く締め付けられた。
「すみません。あなたとよく似た知り合いがいて……」
「その人は今どうしているの?」
「……死にました。いや、俺が殺しました」
不穏な言葉だが、そこには計り知れない後悔の念が含まれている。「殺した」とは言っているが、額面通りの意味ではないことをナギはなんとなく感じ取った。
「ごめんなさい。その人のこと、大切だったんですね」
「はい。……俺の命よりも」
2人の間に沈黙が流れた。
「カルル!」
突然、ティータが声を上げる。どうやらカルルが目を覚ましたらしい。
「ちょっと失礼します」
そう言うとナギはカルルの方に小走りで駆け寄って、様子を観察し始めた。その後ろ姿を、ジンはただただ茫然と眺めていた。
〜〜〜〜〜〜〜
「さっきは悪かったな。カルルを助けてくれてありがとう」
ぶっきらぼうに言うとティータはナギに頭を下げた。目を覚ましたカルルもそれに釣られて上半身だけ起こして同じように頭を下げた。
「いえいえ、頭を上げてください。それよりも無事でよかったです」
ナギが慌てたように言うと、ティータは顔を上げた。カルルもそれに追従する。
「それにしても……」
ティータは隅で膝を抱えて蹲っているジンに目を向ける。
「あいつはどうしたんだ?」
先ほどからあの姿勢で微動だにせず、「あり得ない」とか「信じられない」とか、ぶつぶつと呟いている。彼女を助けてくれた時とはまるで別人のような姿だった。
「分かりません。でもなんだか……」
悲しげな顔でジンを見つめるナギを見て、ティータはカルルの恩人のはずなのになんとなくイラッとする。
「とりあえずあたしが聞いてみるから、あんたは心配しないで」
そう言うとジンに近寄って軽く肩を揺すった。
「なあ、大丈夫か?」
ジンが酷く疲れた顔を上げてティータをぼんやりと見つめた。
「……ああ。済まねえ。今立つから」
ジンはゆっくりと立ち上がろうとするも、体から力が抜けているのか、うまく立てない。
「本当に大丈夫ですか?」
不安そうな瞳でナギがジンを見つめる。その瞳にジンは怯む。
「大丈夫、大丈夫です」
決してそうは見えないが、これ以上尋ねても、おそらく同じ答えしか返ってこないだろうとナギは判断した。
「それじゃあ、えっと、私はこれで。って、道に迷ってたんだった!」
今更思い出して頭を抱えた彼女を見かねたティータが提案する。
「そんならあたしが通りまで連れてってやるよ。あんたは少し休んでな。カルルを見ててくれ」
そう一方的に言うとナギの手を取って歩き始めようとするが、ナギが立ち止まり、ジンの方に顔を向けた。
「あの、私、15歳ぐらいまでの記憶がないんです。でも、あなたを見たことがある気がするんです。だから、もしかしたらあなたと会ったことがあるかもしれません」
その言葉にジンは顔を上げて、あらゆる感情が抜け落ちたような表情をする。記憶が欠落しているという情報は彼に取ってなんら救いにはならない。彼はかつて、ラグナが創った空間でナギとの最後の別れをした。つまり彼女は確かに自分が殺したのだ。それなのに目の前にいるナギは瓜二つの容姿をしており、そのくせ、都合よく、彼女が死んだ頃までの記憶が無いと言う。それが意味することはなんなのか。何も思い浮かばないがロクでもないことであるような気がしてならなかった。
「だから、もしよかったらもう一度会えませんか?」
「……ああ」
何が起こっているのか分からない以上、確かめなければならない。どれだけ恐ろしくても、そうしなければきっと、もっと苦しい思いをする。そんな予感がジンにはあった。
その2人の様子に、ティータが少しだけ不満そうな顔を浮かべる。気がつけばまた寝ていたカルルと自分だけが蚊帳の外のようだ。
「話は終わり?じゃあ、そろそろ行こうよ」
だから彼女はナギの二の腕を掴んで引っ張る。ナギが思わずよろけた。
「私、『白熊亭』ってところに来週まで泊まってるんで、ぜひ来てください!痛たた、あんまり引っ張らないで」
そう言って離れていく彼女にジンは頷いた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「まーだ、そうしてんのかよ」
いつの間にかティータがジンの横に立っていた。どうやら無事にナギを通りまで送り届けてきたらしい。そのまま彼女はジンの横に座った。
「なあ、ナギさんと何があったんだ?」
恐る恐る聞いてくる彼女に、ジンはボソリと呟く。それはまるで彼女に話しているようでもあり、独り言のようでもあった。
「あの時、俺は姉ちゃんの首を確かに折った。確かに殺したはずなんだ。なのになんで……あの人は一体なんなんだ?なんで姉ちゃんにあれだけ似ているんだ?もし……あれが本当に姉ちゃんだとしたら、俺が今までしてきたのは一体なんだったんだ?」
要領を得ない言葉ではあったが、ティータはなんとなく理解した。つまり、ナギはジンが殺したという姉と瓜二つであり、ジンは彼女という存在そのものを受け入れられていないのだ。そんな弱い部分を見せるジンが堪らなく可哀想で、愛しくて、ギュッと彼を上から包み込むように抱きしめた。ジンはぼんやりと顔を上げた。
「ナギさんがあんたにとってどんな存在なのかよく分かんないけど、そんなに苦しいならもう考えなくてもいいんだよ」
「……悪いな」
苦しい環境で生きてきた彼女に慰められることが、酷く恥ずかしく感じたと同時に、そんな環境にいても失われないその優しさに、ジンは心の底から感謝した。
〜〜〜〜〜〜〜〜
「それじゃあ、俺は行くよ」
しばらくして、ようやく落ち着いたジンは立ち上がると、ティータにそう告げた。彼女は少し残念そうな顔を浮かべた。
「なんだ。もう行っちまうのかよ。もう少しここにいてもいいだろ?」
「悪いな。そろそろ戻らねえと仲間が心配する」
「じゃ、じゃあ飯!飯でも食いに行こうぜ!金ならあ……るから」
よくよく思い出すと、ティータが持っている金は本来ジンのものだ。
「か、返すよ!」
ティータはそれを思い出して、ジンに差し出した。そんな彼女の頭をポンポンと叩き、ジンは笑う。
「そいつはお前の戦利品だろ?だからお前が自分で使えよ」
スラムでは盗みを働いて得たものは全て、それを行った者の物だ。ジンも初めのうちは奪い返そうと思っていたが、もうそんな気持ちはなかった。
「そ、そうか。なら貰っておく」
ティータがどことなく嬉しそうで、ジンも温かい気持ちになった。
「なあ、もう一度会えるか?」
彼女がおずおずと尋ねてくる。
「……あと2、3日はここにいるはずだ」
「よ、よし!それならまた会おうぜ!」
パアッと顔を輝かせて笑うティータに、ジンもつられて笑った。
「ああ、そん時にな」
それからすぐにティータと分かれてジンは宿へと向かった。いつの間にか日が暮れかけていたので急いで帰ると、既に戻っていたハンゾーが心配そうな顔をして宿の中をうろついており、ミコトは食堂で早めの夕食をとり、その横でそんな彼女をニコニコとゴウテンが眺めていた。
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「こりゃ酷えな」
明け方、スラムで大量の殺人が起こったという情報があり、5人の騎士達が調査に来ていた。普通ならスラム内での殺人は彼らの関与するところではないが、その死体が『喰い散らかされて』いたのならば、話は別である。
彼らの目の前には少なくとも数十人もの死体が転がっていた。幼い子供から老人まで、被害者は様々だ。
「ここで魔物が生まれたか、あるいは魔獣が入り込んだか」
スラムまで警備することは困難であるため、スラム内で人間が魔物に転じた場合、あるいは魔獣が入り込んだ場合、このような事態が起こることがある。そのため、スラムを取り仕切る者達と騎士団は裏で情報を共有しているのだ。
「祭はまだ続くっていうのに厄介だな」
「全くですね」
シオンが同意すると奥まで見に行っていた騎士が声をあげた。
「おい、こっちにまだ生きている子がいるぞ!」
その声を聞いて、急いでシオンがその場に向かうと、13歳くらいの少女が腹部を喰い破られながらも微かに息をしていた。彼女は小さい誰かの手を握っていた。
「酷い……出来る限り治療します」
シオンは不得意ではあるが、一応治療系の法術も扱うことができる。ただ、目の前の少女の傷はあまりにも酷く、いくつもの内臓が喰われていた。今から何をしても、痛みを和らげることすらできないだろう。
「何があったんだ?」
近くにいた配下の騎士が彼女に尋ねるも、唇が微かに動くだけで何も聞こえない。やがて少女は静かに息を引き取った。
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