第164話スリ

「お前は先に部隊連れてリウーネに行け。俺とスコットはここで用事を済ませたらすぐに向かう」


「了解しました」


 シオンは頭を下げるとアレキウスやスコットたちが詰めている本部テントから出る。目の前にはウェラスの消失という事件の調査のために来た彼らが張ったテントがちらほらと辺りに点在している。そのまま自分のテントに戻ると簡易椅子に腰を下ろして一息ついた。


「はあ、疲れた」


 ここ数日様々な調査に追われ、休む暇もなかった。漸く先ほど最後の調査が終了し、その報告を終えてきたのだ。これで少しは休めるかと思っていたのだが、アレキウスの様子からすると、オリジンに戻るまでまだ少しかかりそうだ。ふと頭が痒くなってきたので、ボリボリと掻いてから苦笑いする。ついでに自分の体を見てため息をついた。


「テレサには見せられないよね」


 一応毎日水を染み込ませたタオルで体を拭っているのだが、体を綺麗にするには不十分な様だ。もしかしたら少し臭っているかもしれない。かと言って近くにある川や湖に行くこともできない。これでも一応女であるので清潔でありたいのだが、以前木陰から覗き見しようとしている不届き者がいた。女性としての魅力(主に胸)に欠けた彼女の裸体を一目見ようと命を懸ける猛者がいるほど、この隊は女日照りなのだ。途中から合流したため、自分にとってはそんなに長いものではなかったが、その時は3ヶ月程の任務であったので多くの騎士たちは欲求不満だったのだろう。


 当然のことながら、そんなことを自分が同情する筋合いもないので、その男達は半殺しにしたのだが。というより、一生男として生きられない様にしようとしたところをスコットたちに止められた。今でも思い出すだけで腹が立つ。ちなみにその男達はその覗き未遂事件後、騎士団を辞めている。理由はもちろん精神的なものだ。


 それはさておき、自分の体が臭っていないか鼻を鳴らしながら確認する。


「んー、まだそこまででもないかなぁ?」


 とは言いつつも、それは淡い期待だ。鼻が麻痺しているに過ぎない。


「よし、とりあえず、リウーネに行ったらお風呂だな」


 部屋の中で小さく拳を握ると立ち上がり、早速出発の準備を始めた。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜


「あ、漸く起きてきた!」


 部屋から出て一階のロビー兼食堂に降りると、既に無数の皿の山を築いたミコトと、その前でコーヒーを飲みながら新聞に目を通しているゴウテンがいた。ミコトがジンに手を振って早く来いという仕草をしているのに対し、ジンが来たことに気がついたゴウテンはミコトとの穏やかな時間が奪われたことに対して若干苛ついている様だった。


「いつも思うけど毎朝よくそれだけ食えるな。というよりよく太らないな」


 ミコトの日々の食事の摂取量は、ジン、ゴウテン、ハンゾーが束になってかかっても到底敵わない。それなのに彼女の体型は完璧だ。少しも余分な脂肪がない。


「太ったことないからねー。なんでだろ?ハーフだけど狐人の特性かな?」


 ミコトによると狐人は基本的にどんなことをしても太らないのだという。身体的特徴のせいなのか、何かしらの原因があるからなのか分からないが、とにかくこのプロポーションは弛まぬ努力によるものではないらしい。


「世の中の女性全員を敵にする発言だな」


 ジンが呆れた顔を浮かべているのを無視して、また食事を再開する。


「うるせえよ。ミコト様は何をしていても可愛いからいいんだよ」


 ゴウテンが新聞から顔をちらりと顔を上げてジンを睨んで来る。


「わかったから一々睨むなよ、面倒臭い奴だな。ところでハンゾーからこの後のことって聞いてるか?」


「うん。今日買い物したら、明日出るんだよね。それまでに街の美味しいお店に行かないと」


「お供いたします」


「まだ食うのかよ。お前も少し止めろよ」


 ゴウテンの反応とは反対にジンがため息をついた。今回の旅では、路銀がかなり与えられた。というのもコウランがミコトの食費等を計算した上で十分な金額を用意してくれたからだ。しかし驚くべきことに彼女の食事量はその想像を超えていた。そろそろ切り詰めなければならない時期に入ってきている。一応宝石等の現物も貰っているのだが、そちらに手を出すのは最後の手段だ。


「ミコト様は食べている時が1番可愛いからいいんだよ」


「そうそう、私が食べている所を見るのがゴウテンは好きなんだから。愛する未来の旦那様のためにももっと食べないと」


「あ、ああああ、あい、あいあいあい、愛すると、今愛するとおっしゃいましたか!?」


 ミコトの適当な言葉にゴウテンが食い気味に反応し、ミコトは言葉の選択を誤ったことに気がつき、渋い顔をする。それを見てジンは苦笑いをした。


「まあ、程々にな」


 そう言ってジンは外で朝食を摂るため、宿を出ようと入り口に向かう。


「あ、待ってよジン!」


「ミ、ミコト様、もう一度、もう一度お願いいたします!」


「あー、もううるさい!」


 ぎゃあぎゃあと騒がしい2人を置いて、外に出た。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


 『界神祭』ということで、通りの賑わいは想像以上だった。あたり一面仮装した人々に溢れ、出店にはたくさんの食べ物や商品が並んでいる。


「『界神祭』か」


 祭は嫌いではないが祝っている対象が不快だ。何も知らずにいる人々が恨めしく思う。自分も世界の真実を知らなければ、こんな暗い感情を抱くこともなかったはずだ。だがそれは意味もない想像だ。既に彼は知っている。


「まあ、露店に罪は無いしな」


 ジンは近くの店を覗き回る。様々な料理があり、どれもが胃を刺激する。ハンゾーから借りた財布にいくら入っていたか確認しようと胸元に手を伸ばすと、突然、ドンッと誰かにぶつかられる。ついでに懐に何かが伸びてくる感触も。慌てて胸元に手を入れてみると、やはりなくなっていた。


「またかよ!」


 数ヶ月前、財布をスられた苦い思い出が蘇る。だが今回はそうはならない。ジンはすぐさま身体能力を『強化』する。そしてハンゾーの匂いを探る。そうしてすぐに急いで動いている匂いを見つけた。


「逃さねえよ」


 人混みを避けるため、ジンは近くの壁を駆け上がると、屋根の上に登って犯人を目視しようとキョロキョロと目を動かした。そして犯人を視認すると、そのまま屋根を走って追いかける。犯人の背丈からしておそらく子供、また身なりからするとスラム育ちだろう。当然のことながら、人混みと誰もいない屋根では走り易さが違う。すぐさま彼はその犯人に追いつくと、捕まえるタイミングを見計らう。


 スラム育ちが犯罪を犯せば、通常より罰が重い。例え子供だとしても、酷い扱いを受けるのは確実だ。昔、まだジンがスラムに住んでいた頃、盗みを働き捕まった友達が、数日後瀕死の状態でスラムの入り口に投げ捨てられていたことがあった。その時は姉の治癒術により事無きを得たが、似た様な事例はいくつもあった。それだけスラムの人間には人権がない。だからこそ、大勢の前での捕物はその子供の命に関わる。例え自分が庇ったとしても、それは一時凌ぎでしかなく、自分が街を去ればその子は危険な状況に陥るだろう。顔が知られるということはそれだけ深刻なのだ。


 だからジンはその子が1人になる、つまり路地に入り、少し進んだタイミングで屋根の上から飛び降りてその子の腕を素早く掴んだ。


「捕まえたって、なんだ女の子か」


 突然現れた青年に、その少女は硬直した。


「さあ、俺の財布を返せ」


「放せ!」


 ジンの言葉に聞く耳持たず、ジタバタと暴れ回る少女の年頃は12、3歳ほどか。薄汚れているが、中々に愛らしい顔をしている。腰まで無造作に伸ばしている髪は綺麗にしたら明るい緑色の髪だろうが、今は泥やホコリで見窄らしい色をしている。


「放せこの変態!大声出すぞ!」


 既に大声を出していると思うのだが、とジンは心の中でツッコミを入れる。


「いくらでも出せばいいさ。それよりも俺の財布をさっさと返すんだ」


「いやだね。こいつはあたしんだ!誰が返すもんか!」


「返すって言ってる時点で、俺のものだったって認めてるじゃねえか!」


「うるさいうるさい!あたしが盗んだんだからあたしんだ!」


 そう言うと少女はジンに掴まれていない方の拳で殴りかかる。当然ながらジンは足払いをかけて少女を転ばせた。


「ほら、早く返せよ。痛い目見たくないだろ?」


 別に何かするつもりはないが、こういったタイプの少女は少しぐらい脅さないと効果がないだろう。案の定簡単に倒されてもその目には強い意志が籠もっている。というより歯をむき出しにして威嚇してきている。


「なんだよ、ヤ、ヤる気か?そ、そんなんであたしがビビると思ってんのなら大間違いだぞ!」


 その言葉にジンは色々と察して心が痛くなる。スラムに住んでいるのだから、それも当然と言えば当然だ。変態はどこにでもいるし、保護者がいなければ、少女がここで生きていくための方法など限られている。それに愛らしい容姿をしているだけで、そういった対象にされるのは当然であろう。それに思い至らなかったあたり、すっかりとスラムでの生活やルールを忘れていたようだ。


「あー、いや、そんなつもりはねえよ。じゃあ、飯代として少しだけ返してくれよ。そうすりゃ放すから」


「そんなこと信じられるか!」


 地面に押さえ込まれながらも必死に逃げようとジタバタしている。


「まあ、信じらんねえっていうのは俺もわかる。というか、俺だって昔はそうだったからな」


「……お前もスラムに住んでんのか?」


 ジンの言葉に少女が動きを止めて尋ねてくる。


「昔だけどな。色々あってスラムを出て、なんとか冒険者として生きてるよ」


「……分かった。信じるよ」


「そうか、よかった。それじゃあ」


 ジンが拘束を外し、少女を立ち上がらせると、彼女はジンの顔目掛けていつの間にか握っていた砂を思いっきり投げかけた。


「うおっ!?」


「バーカ!そんなんで信じるわけないだろ!あばよ!」


 少女は捨て台詞を残してピューッと路地の奥へと駆けて行った。


「あんの、クソ餓鬼!」


 ジンは再び少女を追いかけて路地の奥へと進んでいった。

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