第163話面影

「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい……」


 手から伝わってくるのは少女の命の灯火が急速に失われていく感覚。何度も何度も謝って。何度も何度も世界を呪う。それでもこの続きはもう分かっている。やがて小気味よい音と共に少女の瞳から光が完全に失われた。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


 目が覚めると涙が頬を伝っていた。もう何度も見た夢だ。それでも未だに胸を締め付ける。その度に怒りが身を包む。憎しみに心がとらわれる。だが心を落ち着けるのにはもう慣れている。しばらくしてドアがノックされ、ハンゾーが入ってきた。


「おはようございます。ご機嫌はいかがでしょうか」


「ああ」


 ぶっきらぼうに答えるとハンゾーが一瞬だけ目を丸くしてからすぐに表情を戻す。ジンの様子を見てなんとなく何かがあったのかを察した様だ。


「今日の予定ですが、食糧等を購入後、準備をして、明日この街を出るつもりですがよろしいでしょうか」


 現在彼らはリウーネの街のとある宿屋に泊まっていた。二日ほど前に到着し、しばし疲れを癒していた。


「ああ」


「それでは失礼いたします」


 ジンの反応を見ても何も言わずにハンゾーは頭を下げると部屋を出て行った。それを見てからドサリともう一度ベッドによこになる。


「姉ちゃん……」


 もう記憶も朧げになっている姉へと想いを馳せた。


〜〜〜〜〜〜〜〜


「ア、アカリ様?」


 ハンゾーがその女性と出会ったのは宿を出てから2時間ほど経ってからだった。露天を物色している最中、偶然向かい側から歩いてきた彼女を見て目を疑う。あまりにも自分の知っている彼女と似ている。


「へ?」


 突然ハンゾーに話しかけられて混乱した様子を見せる彼女のその顔も記憶にあるアカリとそっくりだ。


「誰だお前は」


 突然話しかけられて警戒したのか、アカリ似の女性の近くにいた少年が女性とハンゾーの間に自分の体を入れてくる。


「いや、そんなはずはない。しかしこれはあまりにも……」


 だがそんなことにハンゾーは気がつかない。目の前にいる女性に目が釘付けだ。思わず口から言葉が漏れていることにすら気がついていない。アカリに似ていることは確かだが、彼女ではないことは確実だ。年齢が合わない。だがそれならば一体誰なのか。頭をよぎるのはジンから聞いた、彼の姉だ。しかしその少女もジンが彼の手で殺したという。ならば一体目の前にいる女性の正体はなんなのか。やがて意を決した様な表情を浮かべるとハンゾーは女性に尋ねる。


「失礼ながらお名前を聞かせていただいてもよろしいでしょうか?」


 その言葉に少年が懐に手を伸ばす。おそらく剣か何かを持っているのだろう。だが身のこなしからして大したことはないので警戒する必要はない。その様子に小さく舌打ちをする彼の前に出て、女性は彼を制した。


「いいよ。大丈夫。この人にはそういうつもりはなさそうだから」


「っ、わかりました」


 納得はできてはいない様だが渋々と少年は頷くと懐から手を出した。


「私の名前でしたよね。私はナギ。ナギ・レナウスって言います。おじいさんは?」


 しかしその質問にハンゾーはすぐに答えない。驚愕した表情を浮かべてナギを見ている。そんな彼を見て訝しげな表情をナギは浮かべる。


「あの、お名前は?」


「あ、ああこれは失礼。儂はハンゾーと申します」


「ハンゾーさんですか。このあたりの名前ではないですね。遠くから来たんですか?」


「え、ええ。あの、ナギ……レナウスと仰いましたか?アカツキではなく」


 その変な質問に、ナギはそうだと言おうとして、なぜか一瞬躊躇する。理由はわからないがその名前に聞き覚えがある気がするのだ。そして夢の中で見た男の子のことも不思議なことだが思い出す。


「ち……がいます」


「……そうですか。いや、申し訳ありません。あまりにもあなたが知り合いに似ていたものですから」


「なるほど。まあでも、世界には3人は自分と同じ顔がいるって言いますしね」


「そうですね。あの、失礼ですがあと二つだけお聞きしてもよろしいでしょうか?」


「ええ、いいですよ」


「まず、あなたの御母堂のお名前はアカリと言いませんか?」


 その問いにナギは少し困った様な顔を浮かべる。


「ごめんなさい。私、お母さんのことを覚えていないんです。お父さんも教えてくれなかったし」


「そうですか。ではお父上の名前はハヤトでは?」


「えっと、またまたごめんなさい。お父さんのことは外では喋っちゃいけないことになっているんです」


 彼女の言葉にはっきりと拒絶の意志を感じ取ったハンゾーはそれ以上の追求は止めて、あと一つどうしても確認したいことを聞くことにした。


「失礼ながらもう1問だけ、聞いてもよろしいでしょうか?」


「はあ、まあいいですよ」


「ありがとうございます。ではジンという名前に聞き覚えはありませんか?」


 その質問に、突如ナギは頭痛の様な感覚を覚える。忘れてはいけない。思い出さなければならない。そのはずなのに何も思い浮かべられない。胸がひどく締め付けられる。すぐに知らないと答えようとして、躊躇している彼女よりも先に彼女の後ろにいた少年が叫ぶ。


「ジンだと! あんたあいつの知り合いか?」


 その目は強い怒気を孕んでいる。


「あ、ああ」


 突然叫び始めた少年に混乱した表情をナギとハンゾーが浮かべる。その少年とジンの因縁を2人は知る由もない。


「あいつは今どこにいるんだ!」


 その剣幕に2人は驚く。


「ど、どうしたのエルマー? お、落ち着いて」


 ナギが宥めようとするも、まるで親の仇にでも会ったかの様な怒りの感情を滲ませている。


「小僧、ジン様に何のようだ」


 その敵意に反応し、ハンゾーは目を細めてエルマーを睨む。しかしそれを察知したのかナギがエルマーと彼の間に割り込んできた。


「エルマー、落ち着きなさい」


 肩を掴んで彼の目を見つめる。次第にエルマーから発せられていた怒気が収まっていった。


「っ、ジンに伝えておけ。お前は僕の手で必ず殺す」


 捨て台詞の様に言うとくるりと後ろを向いて歩き去っていった。ナギが慌てた様に彼を追いかけようとして、ハンゾーにペコリと下げた。


「ごめんなさい。あの子を追わなくちゃ」


「その方が良いかと儂も思います」


「私、しばらくこの街にいるんで、縁があったらまた会いましょうね」


「ええ、その時を楽しみにしております」


 にこりと笑うナギに笑い返す。それを見てからナギはすぐさまエルマーを追いかけて行った。


「さて、ジン様にはどの様に報告すべきか……」


 エルマーという少年の実力は大したものではないので恐れる必要は皆無だ。問題はナギという女性だ。あの容姿、あの名前で無関係だとは到底思えない。しかし彼女は自分の主人にとって最大のトラウマであることは間違いない。頭を悩ませながら、ハンゾーはひとまず旅に必要な物資の購入を再開した。


〜〜〜〜〜〜〜〜


「ここがウェラスだというのか」


 アレキウスの眼前には巨大なクレーターが存在していた。それ以外には何もない。事件の連絡が届いてから数日、彼の率いる2万の王国騎士団の内、精鋭を100名引き連れてかつてウェラスが在った場所に来ていた。100名というのは魔人が出現した時に備えてだ。この様な状況を作り出した相手にそれだけで足りるのかという疑問もあるが、徒らに人員を増やしても死人が増えるだけだ。


「お前らはどう思う?」


 自分の後ろに立っている2人の副団長に尋ねる。1人はスコットという男で古くからの戦友であり、もう1人はこの国宰相の娘であり、2年ほど前に使徒に転じた少女、シオンである。彼女は未だ学生の身分ではあるが、使徒である以上、すぐに騎士団の先頭で戦うことになる。そのため早い内から騎士たちを率いる経験を積ませなければならない。だからこそ副団長という立場が与えられていた。


「どう思う、というのが一体何について尋ねられているのか分かりませんが、所見としては法魔で間違いないのでは? 以前文献でこの様な事態に関しての記述を目にしたことがあります」


 シオンの言葉に目を細める。若いが彼女は頭が切れるというのがアレキウスのシオンに対する評価だ。


「ほう? 具体的にはどんなことが書いてあったんだ?」


「確か、巨大な光の柱とともに数十キロもの範囲を一瞬に死の空間へと変えたそうです」


「つまりこれでまだ全力ではないということか。はっ、どんだけ規格外なんだよ」


 呆れるしかないほど現実離れしている。使徒であっても、そんな化け物に敵うはずがない。


「こりゃあ、終わりかな」


 アレキウスは荒々しい性格で、戦うことが大好きだし、別に賢いわけではない。それこそスコットやシオンの方が余程団長に向いている。ただ彼は戦闘狂ではない。きっちりと物事を判断する程度の頭は持っている。


「行くぞ」


 そう言って彼は野営地に向かって歩き出し、スコットとシオンはそれに続いた。


〜〜〜〜〜〜〜〜


「騒がしいな。商人どもか?」


 野営地に向かう途中、多くの馬車や人が検問所に群がっていた。先日急遽作ったものであるため、見すぼらしいが役割は果たしている。


「その様ですね。おそらくウェラスに向かっていたのでしょう。それにあそこはオリジンに向かう時の補給場所にも適していましたからね」


 スコットの言うとおり、ウェラスの役割は、殊商業において重要だ。それが完全に封鎖されたのであれば批判が増えても仕方がない。何となくアレキウスがそちらに足を向ける。ちょうど東方でよく見る細長い剣を腰に差している老人が兵士に質問をしていた。遠目からでもかなりの実力者であることが見て取れる。


「あいつ、なかなかだな。スカウトでもしてみるか」


「団長、またですか」


 アレキウスの言葉にスコットが疲れた様な表情を浮かべる。強者を見つけたら声をかけると言うのはアレキウスの悪癖だ。若い頃はいきなり斬りかかっていたので、それに比べれば大人しくなったが、それでも未だにスコットの頭痛の種の一つである。


「何だよ。今は強い奴が1人でも多く必要な状況だろう?」


「そうかもしれませんが、得体の知れない奴ホイホイと誘うのはいい加減辞めてください。以前失敗したのを忘れたのですか?」


 以前アレキウスが声をかけた男が実はスパイだったことがあったのだ。敵国に危うく様々な情報が漏洩するところだった。


「忘れてねえよ。ちっ、仕方ねえな」


「その言葉、信じますからね」


「うるせえな」


 そうこう言っているうちに、いつの間にか老人がいなくなっていた。


「ああ! お前のせいで獲物を逃がしちまったじゃねえか」


「知りませんよそんなこと。それよりもさっさと明日の準備をしましょう。明日は街の中央の方に行くんですから」


「わかってるよ。うるせえな」


 スコットの小言にため息を吐きつつ、アレキウスは惜しいことをしたとぼんやり頭の中で考えていた。

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