第148話鬼ごっこ

「ひ、ひいいい!来るな、来るなあああああ!!」


 まるで鞭の様に伸びた腕の先は禍々しい口だった。ぶしゅっという音とともに、男の上半身が消え去った。まだそこに上半分が残っているかの様に、下半身が切断面から血を吹き出しながら立っている。


「ラ、ライアン!」


 叫んだのはこの街に所属する3つのBクラス冒険者チームのうちの一つである『天華』のリーダー、シエルだ。彼女は元貴族な上にまだ20代前半であるが、その統率力と戦闘に関しての能力はAクラス冒険者ほどではないが卓越している。今後の将来が期待される冒険者の一人だ。ついでにその美貌も相まって多くのファンがいる。『天華』は女性4人、男性2人の6人からなるチームである。彼らは協力して何体もの凶悪な魔物を退治してきた。例えばヒュドラなどである。つい先日4人組のチームがヒュドラに襲われているのを発見し、彼らはシエルの指示の下、見事な連携でこれを討伐したのだ。


 そんな彼女たちの不運はクエストが予定より早く終わった事と、魔人という存在の脅威を完全には理解していなかった事である。所詮は魔物の延長線上のものだと心のどこかで高を括っていたのだ。魔人は滅多に現れる事がない。少なくとも彼女が活動拠点にしている近隣の地域ではここ数十年は現れていない。ギルドに入ってから何度か魔人の危険性についてを知る機会があったが、彼女にとって所詮は対岸の火事だった。そしてその結果が今シエルの目の前にある残酷な状況だった。


 まず真っ先に殺されたのが法剣士であるフィオレだ。彼女が放った火球に反応した一本の腕から何本もの巨大な針が射出され、身体中を串刺しにした。次にやられたのが彼女の恋人であったティエンだ。シエルとしてはチーム内での恋愛は禁止にしたかったのだが、男女混合のチームでは仕方が無い事ではあった。そんなティエンはフィオレが死んだ事で理性を失い、チームのタンクの役割を捨て、捨て身で突進し、魔人の放った光線によって一瞬にして炭となった。


 それから、恐慌に陥ったチームの法術師であるルルはそこら中に法術を放った。いくつも被弾しても何の痛痒も感じさせない足取りで魔人は彼女に近付くと、片手で頭を掴み、握りつぶした。辺りに血と脳髄が飛び散り、ルルだった物はビクビクと体を痙攣させてから地面に崩れ落ちた。魔人は自分の手についたルルの血を舐め取った。そして今度は一瞬でチームのもう一人の法術師にして回復役のフローラに近付くと、その腕が彼女の胸を貫通した。丁寧に攻撃したのか心臓は無傷で、それを握ったまま腕を引き抜いた魔人は美味そうに彼女の心臓を貪り喰った。


 シエルとライアンの目の前で一瞬にして4人の仲間が死んだ。ライアンはパニックを起こし、手に持っていた大盾と槍を手放すと必死に逃げようとした。そんな彼も今まさにシエルの眼前で魔人に喰われた。その魔人が彼女に向かって歩み寄ってきている。彼女はあまりの恐怖に涙を流し、ガチガチと歯を鳴らし、失禁する。


『だ、誰か、誰か助けて!』


 彼女は心の中で強く願うもその願いは届かない。周囲に目を素早く向けると、この場で動いている生命体が自分だけである事を理解した。魔人の4本ある腕のうちの1本が彼女の左腕を掴んだ。


「いやああああああああああああ!!!」


 狂乱した彼女は必死に体を動かして逃れようとし、右手に持っていたショートソードを振り回した。彼女の剣は貴重なメイルカイト鉱石から作られている。この鉱石は素材の中でもオリハルコン、アダマンタイトに次ぐ3番目に強靭な鉱石であり、彼女の先祖から受け継いだ家宝だった。強引な結婚を進めようとする父親から逃れ、冒険者になることに決めた彼女は、この剣をこっそり拝借して家を飛び出したのだ。今までこの剣は彼女の相棒として大いに活躍してくれた。どんな敵でもたやすく切り裂く事ができた。


 しかし無情なことに、絶対の信頼を置いていたその剣はパキンという儚い音とともに真ん中から折れた。目の前にいる魔人に傷一つない。メキメキと自分の左腕が軋む音が聞こえ、シエルは痛みで悲鳴を上げる。それを不思議そうな表情で強引に二つの顔がくっ付いた奇妙な顔が彼女を眺める。やがてその口がどんどん裂けていき、彼女の頭を容易く飲み込めそうなほどまでになった。


 シエルは自分の運命を知る。それに抗おうと必死になって折れた剣で握られている自分の左腕に剣を振り下ろした。恐怖のためか、痛みを全く感じなかった。転がる様にその場から離れ、急いで立ち上がると全力で走り出す。美しい金色の肩まである髪は血に染まり、ドス黒く変色している。そんなことを気にもせずに、シエルは何とか逃げる。なぜか魔人は彼女を追ってこなかった。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


 魔人からある程度まで離れたところで、シエルは近くにあった家の中に飛び込み、そっと息を潜めようとする。しかし、ガチガチと歯が鳴り続ける。何とかそれを止めようとしても一向に止まらなかった。ふと外から誰かが近付いてくる音がする。その足音は忘れようにも忘れられない。それに気づいた彼女は残っていた右腕に噛みつき、何とか歯音が漏れない様にし、早くその足音が通り過ぎる事を願った。


 やがて足音が過ぎ去り、思わず止まっていた息を恐る恐る吐き出した。自ら切断した左腕が痛み出し、悲鳴を上げそうになるが必死で堪える。強く噛みすぎて、歯が右腕の骨にまで達している。切断した箇所から流れる血を止めなければ、このまま失血死する事は確実だ。彼女は意を決してその部分を火法術で焼いた。肉の焦げた不快な匂いが周囲にするが、それはもうこの街では普通のことだ。今更一つ増えたところで魔人はきっと気づかないだろう。そう希望的な観測をする彼女の願いはやっぱり届かない。


 次の瞬間家の屋根が吹き飛んだ。否、正確に言うと、彼女がいる一階部分より上が吹き飛んだ。シエルは呆然として顔を上に向ける。そこには空中に浮かんだ魔人が興味深そうな顔を向けて、彼女の様子を観察していた。その手には彼女の左腕が握られている。魔人はおもむろに彼女の腕を貪り喰い始めた。


「ひぃっ」


 かすかな悲鳴を上げた女性を見て、口元を血で真っ赤にさせながら、継ぎ接ぎだらけの顔に醜悪な笑みを浮かべた。


「「ゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラ」」


 二つの音が重なった不快な声で笑い出すと、ゆっくりと空から降りてくる。彼女は慌てて立ち上がると必死になって逃げ出す。ドアをタックルして破壊し、外に転がり出て逃げる彼女を魔人はゆっくり追い回す。唐突にシエルはこれが『鬼ごっこ』であることを理解する。ただし捕まれば死ぬというルールだ。ただでさえ大量に出血したのに、走り続けているのだ。彼女の体はどんどん重くなっていき、逸る気持ちとは対照的にどんどん遅くなっていった。喉がカラカラでひりつく様な痛みを感じる。酸欠で意識も朦朧としてくる。そのせいで彼女は足元に落ちていたレンガに気づかず、思いっきり足を引っ掛けて転んだ。疲労のためか受け身も取れず、地面に頭から落ちていき、顔を強く打ち付けて顎が砕ける。その拍子に辺りに歯が散らばった。ぼんやりとした頭で、彼女はこれでもう歯がガチガチ鳴る音を気にしなくてもいいと安堵した。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


「じい、あそこ!」


 ミコトが指差した先には、左腕の無い金色の髪の女性が倒れていた。彼女のすぐ近くには魔人が立っている。遠目から見て、女性はまだ生きている様に見えた。


「姫様、援護をよろしくお願いします!クロウ、ぶちかませ!」


「はいっ!」


「『風迅足』!」


 ミコトの唱えた法術によってクロウの速度が増す。クロウは器用にバランスを保ちながら、全力で魔人に大盾で魔人に打つかる。ガンッという確かな手応えとともに、魔人が吹き飛ばされた。すかさずハンゾーが女性に駆け寄り状態を確かめる。死にかけてはいるがまだ何とか生きている。だが予断は許されない状況だ。


「姫様!」


「わかってる!」


 ハンゾーのそばにミコトが駆け寄り、女性の容体を確認する。


「じい、この人を連れて急いで逃げるわよ」


「クロウ、敵を警戒しつつ引くぞ!」


「了解です、お師匠様!」


 ハンゾーが女性を担ぎ、ミコトが自身とハンゾーに『風迅足』を掛ける。一気に速度を増した彼らは急いでその場から離脱しようとする。突然彼らの後方から凄まじい音とともに、瓦礫が吹き飛んだ。モクモクと土煙が周囲を覆う。


「急ぐんだ!クロウ!」


「はっ!」


「きゃっ」


 ハンゾーの声を聞き、クロウはすぐにミコトを走りながら抱きかかえる。そしてハンゾーとクロウはさらにスピードを上げた。しかし所詮は人間の疾さだ。完全に一つになった魔人には叶わない。一瞬にして彼らの前に魔人が現れた。ハンゾーとクロウは必死になって体を止める。目の前に鞭の様な一本の腕が伸びてきた。あと少しでも止まるのが遅ければ、おそらくハンゾーとクロウの頭は刈り取られていただろう。


「くそっ、クロウ、この女と姫様とともに逃げろ!わしがこいつを食い止めてみせる!」


「くっ、了解ですお師匠様!」


 クロウはハンゾーの覚悟を瞬時に理解する。食い止める事など絶対に出来ない。時間を稼げたとしてもせいぜい数十秒だろう。しかしクロウではその数十秒すら稼ぐ事は出来ない。だからクロウはハンゾーが投げてきた女性を受け取ると、唇から血が流れるほどの噛み締めて駆け出した。


「待ってクロウ!じい、じい!」


 ミコトの悲鳴の様な声にハンゾーが優しく笑う。


「申し訳ありませんな姫様。せめて花嫁姿を見届けたかったが、どうやらそれはできんようだ。クロウよ、ジン様と姫様を頼んだぞ」


 ハンゾーが呟いた瞬間、例の光線がハンゾーめがけて飛んできた。

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