第126話幕切

「があああああああああああ!!」


 黒い闘気は徐々にジンの拳へと集約していく。いまにも爆発しそうなほどのその闘気は大気を揺らす。禍々しさに空気が重くなったような錯覚を観客たちは感じ取った。


 レヴィは背後で起こっていることに気がつく。自分よりも禍々しい力の波動に目を細める。ラグナの使徒と言いながら、その様はまるで魔人のそれだ。自分に向けられる殺意にゾクゾクする。


『いかんレヴィ、あれは避けろ』


「はあ?」


 突如頭の中に古の龍魔王にして、かつてラグナの使徒であったノヴァ・メウの声が響き渡った。忌々しくもレヴィの力はこの龍人の魂と結びついた結果である。そのため時折こうして忠告をしてくるのだ。


『真にラグナに選ばれた使徒にはそれぞれ固有の能力が与えられる』


「無神術のことじゃないのか?」


『それは与えられる力の一部にすぎん。無神術の本質にあるのは【創造】と【破壊】、しかし真のラグナの使徒にはもう一つ、あやつより強大な権能が与えられる。儂には広範囲を殲滅する【範囲】の力が与えられた』


 かつて最初の龍魔王は大陸を一つ消しとばしたと言われている。それは全てラグナによって与えられた権能によって叶ったことである。他には致死の攻撃を受けても瞬時に回復する【治癒】の力を得た者。同時に複数の思考を並列させ膨大な量の知識を保持する【叡智】の力を得た者・永遠に消滅しない物体を創造する【維持】の力を得た者。そして空間そのものを自在に司る【領域】の力を得た者。それぞれがそれぞれ、フィリアとの戦いでその力を振るい、そして死んでいった。


『あやつに与えられた権能はおそらく【強化】だ。ある意味では最強になり得る存在だ』


 自身のあらゆる力が桁違いに向上するだけのシンプルなものだ。だがだからこそ強力な権能である。その言葉を聞いてからジンを観察する。膨れ上がった力がビリビリと肌を突き刺す。レヴィは小さく舌打ちすると回避するために、背中に翼を生やし、宙に浮いた。


「確かに随分やばそうだ」


 意識を失いかけているジンに、その言葉は届かない。今ではジンの右拳に全ての漆黒の闘気が集約している。ノヴァの言葉の通りなら、あれは最大限までに強化された濃密な力が具現しているということだろう。


「あはは、いいよ、撃ってきなよ!」


 その言葉を聞いてか聞かずか、彼の拳が宙に浮いているレヴィへと放たれた。


「——————————————————————!」


 もはや言葉になっていない怒号と同時に耳を劈くような轟音が周囲に響いて、レヴィに目掛けて禍々しい力の奔流が迸った。


「くっ!」


 超高速で接近するそれをなんとか回避したレヴィが、ジンに目を向けようと地面に顔を向けると、そこにジンはいなかった。次の瞬間、強烈な拳がレヴィの頬を突き刺さり、あまりの威力にそのまま地面に叩きつけられる。受け身すら取れず、意識が飛びかけるがなんとか手繰り寄せた。


「がはっ」


 すぐさま起き上がるもダメージは重く、口から血を吐き出したレヴィにもう一度ジンの拳が接近する。咄嗟に左腕で防ごうとするも、そのガードを弾き飛ばし、腹部に深々と減り込んだ。宙に浮かされたと認識する前にジンがレヴィに目掛けて蹴りを放ち、100メートル以上先の壁まで吹き飛ばされる。壁に埋め込まれたレヴィはまるで磔られた罪人のようだった。


 すかさずとばかりにジンがレヴィの眼前に現れ、拳を引き絞り、それを放とうとする。接近する『死』に、レヴィはその一瞬を恐怖した。ウィルに殺されかけた時以上だ。あの時はウィルに迷いが現れたため、ここまで『死』を意識することはなかった。だが目の前にいる存在はまさしく『死』を体現した存在だ。


 だがその拳はレヴィには届かなかった。急にジンの体からあらゆる力が抜け去り、ゆっくりとレヴィに倒れかかった。


 レヴィはゾッとする。しかしジンからはもう何も感じられなかった。かすかに呼吸音がすることから息はしているようだ。体の奥底から恐怖したためか震えが止まらない。なんとか壁による拘束から右腕だけ抜け出すと、ジンを押して自分から引き剥がした。全身が痛み、内臓を酷く痛めているのか何度も何度も吐血する。どうやら左腕は完全に折れているらしい。


「はあっ、はあっ、はあっ」


 荒い呼吸を繰り返しながら、ジンを見下ろすと徐々に恐怖心が冷めていき、今度は怒りが頭の中を支配する。これほどまでの屈辱を感じたのは久しぶりだ。


「殺す……殺してやる!」


 そう叫ぶとレヴィは右手の爪を伸ばす。


『やめよ、レヴィ!』


「うるせえ!」


 頭の中で再度ノヴァが叫ぶ。だがこの声を無視してそのまま右腕を振り下ろそうとする。


『お前はフィリア様の意思をないがしろにするつもりか!』


 フィリアは自分が人間が紡ぐ悲喜劇を生み出すことを楽しみとしているのと同時に、その物語の演者になることを望んでいる。だからこそ神を、自分を殺そうとする相手に常に飢えているのだ。そのことを思い出し、レヴィは伸ばした爪を元に戻した。ジンはあくまで自分ではなくフィリアへの供物なのだ。レヴィはジンを鍛えるための壁でしかない。それを考えると酷く不快だ。


「ちっ、わかったよ」


そこまで言うと、ドッと疲れがレヴィの体を蝕む。何よりも血が足りない。人間を何匹か喰わないと回復に時間がかかるだろう。そこで誰かを喰おうとして顔を上げて驚愕する。


「なにっ!?」


 シオンと呼ばれていた少女が再生し始めていたのだ。光の粒子に包まれた彼女の、炭化した肉体は徐々に血色を帯びた物へと変化していく。


「これはなんだノヴァ!?」


 思わず声を上げるがノヴァも困惑しているようだった。


『光法術……か?こんなモノは儂も分からぬ』


「ちっ、使えねえな。こいつ、なんかやばい。それだけは分かる。今のうちに殺さねえと今後邪魔になるかも知んねえ」


 戦闘中を思い返せば、なぜか彼女の術は自分に届いた。つまり生かしておけば厄介な敵になる。だが同時に喰っておけば自分はさらに強くなれるはずだ。


 レヴィはそう考えるとまだ再生途中のシオンに近寄ろうと、痛む体を堪えてよろよろと歩く。100メートルほどの距離も満身創痍な彼には辛い。だがなんとか彼女の元までたどり着くと、しゃがんで喰い殺すために口を大きく開けた。


 その瞬間、彼が張った結界がパリンとガラスが割れるような音とともに破られた。瞬時にレヴィは結界を破壊した主を見つける。そこには5人の男女が立っていた。ゆったりと服を着流した一人の妙齢の女性を除き、全員が装備を整えてレヴィを見下ろしていた。どれも超一流の力を持っていることが一目でわかる。特に中央に立つ銀髪で切れ長の目を持つ男は危険だ。今の弱ったレヴィでは確実に殺されるだろう。


「ちっ」


 レヴィは舌打ちを一つすると、即座に龍化する。そして黒炎を彼らに向けて放つと、空中へと一気に飛び上がった。その反動で身体中がミシミシと軋む。それに顔をしかめると、下から迸るほどの水流が伸びてきた。それをなんとか回避すると、空中で一回り円を描いてからそのまま逃げるように飛び去った。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


「行ったか」


「そうみたいですね」


 イースの言葉にウィリアムが頷く。それから伸ばしていた手を下ろすと、イースの方に顔を向けた。


「それで、どうします?追います?」


「とりあえずはこの場の収拾だ。お前たち直ちに行動を開始しろ」


「「「「はっ!」」」」


 その言葉にすぐさま四人は動き出す。イースは一人、顎をさすりながら眼下にいる、すでに完全に再生しきった少女と壁際で意識を失っている少年を興味深そうに眺めていた。

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