第127話エピローグ1

「死傷者多数、精神に異常を来した者複数名。そして龍魔王の出現か。幸運と思うべきか、不幸と思うべきか」


 シオンの父、グルードは執務室で独りごちていた。目の前には多くの報告書があり、ここ一週間、宮殿にあるこの部屋に缶詰状態であった。もう3日は眠っていない。疲労で隈のできた目で次の報告書に目を落とすとそこに書かれた内容を見て、また頭を抱えたくなった。


「シオン・フィル・ルグレには光属性にも適正が見受けられ、使徒へと覚醒する可能性が高い……か」


 自分には大して才能がないのに、なぜこれほどの才を娘が手に入れてしまったのか。子煩悩だと自覚しているグルードにとって、娘の才能を心から喜んでいる反面、宰相である彼は使徒が兵器としての側面を持っていることも知っている。その上、四魔人のうちの一体、『龍魔』まで現れた。このままでは確実に娘は戦線に送られるだろう。この報告書を上に提出する前に揉み消せればどれだけいいだろうか。そんな無駄なことを遠い目をしながら考える。


「はぁぁぁぁぁ」


 もう何度目になるかわからない重い溜息してから、その下にあるもう一枚の紙に目を落とす。そこには一人の少年について書かれていた。この少年も彼が頭を悩ませる原因の一つだ。今までに記録されていない未知の力を使った。そのことから魔人の可能性があるとして検査してわかったのは、彼が『加護なし』であるということだった。それではなぜ法術が使えたのか? 意味がわからない。その上個人的に身辺調査をした結果、学校に入る以前の彼を知る者がいないのだ。まさに正体不明だ。


 このことをイース王に報告した際、ひとしきり笑った後に放っておけと言われた。何か策があるように見られた。


「全く、王は言葉が少なすぎる」


 なにを考えているのか全く理解できない。危険因子は早々に排除すべきではないのか。頭に血が上ってくるのがわかる。


「いや、少々感情的になり過ぎているか」


 深呼吸して再度少年についての報告書に目を落としてから、ある一文を見てぐしゃりと握りつぶした。


『シオン・フィル・ルグレとの関係について……』


「うちの娘に指一本でも触れたら殺す」


 そう言ってから、握りつぶした報告書を丁寧に直して、娘のお見舞いついでに救護院で見た少年の顔を思い浮かべる。妙に既視感を感じさせる顔だった。まだ娘もその少年も目が覚めていないので、詳しい話を聞くことができない。果たしてシオンは大丈夫なのだろうか。いつの間にか彼は最愛の娘であるシオンの事ばかり考えていた。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


 目覚めると、夜なのかベッド脇に置かれたランプがうっすらと明かりが灯っているだけだった。起き上がろうとすると身体中に激痛が走る。顔をしかめながらもなんとか上半身だけ起こす。目を落とすと身体中が包帯だらけだった。無理もない。あれほど力を使ったのだ。その上何度も何度もレヴィに壊されては強引に回復を繰り返したのだ。包帯の下は想像したくもないほどボロボロだろう。


 ただ不思議なことに黒龍爪に魂を捧げたことによって、体に走っていた不気味な龍の模様は、右肩までの部分を残して綺麗さっぱり消え去っているようだ。その代わりその部分の感覚が碌に感じられないのは、呪いの影響なのだろう。動かそうと力を入れても、動く気配もない。それでも生きているということへの安堵が胸の内にあふれた。


 ふとベットの近くに、ランプに照らされた小さなカレンダーに気がつく。どうやらあれから一週間も経過しているらしい。よろよろと起き上がってベッドから抜け出す。それだけでドッと体力が奪われた。近くに置いてあった服になんとか着替えてから、同じく置かれていた装備に手を伸ばした。それから壁に体を預けながらズルズルと部屋から出た。


【俺がここにいれば皆に迷惑がかかる】


 レヴィは自分を狙ってきた。つまりここに居続ければきっと、もっとひどい目にあうだろう。自分だけではなく、友達も、そしてあいつも。それだけはあってはならない。だからこそ、今すぐにでもここから離れる必要がある。相手がいつ攻めてくるのか分からないのだから。


 必死に進んでいると、ある部屋の名札が目に入った。ドアを開き中を覗く。そこには傷一つ無いシオンが眠っていた。あの試合のことを思い出す。炎に包まれた彼女。炭化した肉体に雷で貫かれた見るも無惨なその姿。なぜか今、彼女は完全に治癒している。それでもシオンを一目見ただけでジンの心は締め付けられた。


 シオンのそばまで行き、動かせる左手でそっとその頬を優しく撫でた。わずかに反応がある。耳に意識を集中すれば彼女の穏やかな吐息が聞こえてきた。それが分かり胸を撫で下ろした。


「ごめんな」


 蚊の鳴くような声で囁く。果たしてシオンには聞こえているのだろうか。それは分からない。それからしばらくジンはシオンの側から離れなかった。やがて立ち上がると彼女に背を向けて部屋から出ようとする。


 突然右袖を引っ張られ、後ろを振り向くとうっすらと目を開けたシオンがジンに顔を向けていた。


「ど……こ行くの?」


 その言葉にジンは答えない。ジンにも答えはないからだ。だがその手を振り解けなくてただ立ちすくんだ。そして痛む体をこらえてゆっくりと振り返り、シオンと目を合わせる。彼女の瞳には、ジンを責めるような感情は見受けられなかった。彼女をこのような目に合わせた自分を、だ。それが今の彼には無性に怖かった。許されているということが怖かった。


「ねえ……どこ行くの?」


 もう一度、今度ははっきりと聞いてきた。何か言おうと何度か口を開いては閉じ、開いては閉じを繰り返し、結局何も思い浮かばなかった。


「ごめん」


 だからただ謝ることしかできなかった。そんな自分が酷く惨めだった。


「嫌……だよ。どこにも……行か……でよ」


 不穏な空気を察知したのか、つっかえながらシオンが言ってきたその言葉に胸が掻き毟られる。だがそれでも、もう決意したのだ。


 ジンは近寄って彼女の額にキスをする。以前、彼女が自分が落ち込んでいた時にしてくれたことだ。シオンはくすぐったそうに、でも嬉しそうな顔を浮かべた。ランプに照らされた彼女の顔は目を奪われるほどに綺麗だった。それを見てジンも小さく笑う。


「今までありがとう。………縁が……縁があったらまた会おう」


 それはジンとシオンだけが分かる2人だけの言葉。その言葉にシオンの手に力がこもった。決してジンの服を手放さないように。ジンはその手を外そうとするがさっきまで寝ていた少女は、信じられないほどの力でぎゅっと握りしめていた。だからジンは仕方なくその袖を破いた。


「……いで、行かないでよ」


 ジンは彼女の声を無視してゆっくりと部屋から出る。すすり泣く声が聞こえてきた。気がつけば自分の頬にも一筋、涙がこぼれた。

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