第95話デート?
ジンはその日一日上の空状態だった。授業に全く集中ができない。あの場では何にも考えずに二つ返事でOKしたのだが、これはもしかして『デート』というものなのではなかろうか。
そんなことに気がついたジンは授業に身が入らなかったのだ。挙句教師たちには渋い顔をされたり、何度も注意を受けたり、質問されてもまともに答えることができなかったりと散々な一日だった。さらに放課後が近づいてくると徐々にそわそわと挙動がおかしくなり始めた。一日中彼の様子を不思議そうに見ていたマルシェもついに気になって思わず質問する。
「ねえジンくん、今日一日どうしたの?なんか変だよ」
「い、いやなんでも、なんでもないって」
思わずどもりながら答えるジンにマルシェは一層興味を覚える。普段の冷静な様子とはだいぶ異なっている。これは何か隠しているに違いない。そう考えた彼女はジンに詰め寄る。
「なんでもないってことはないでしょ。朝から凄い挙動不審だし、なにか隠しているでしょ」
ジッと見つめられると、何も悪いことをしていないはずなのになぜか汗が噴き出してくる。
「そうそう、朝から少し変だぜ?」
ルースが席まで近づいてくると話に参加してきた。
「朝からって寮にいた時から?」
「ああ、正確には俺が起きた時には既に変だったぜ」
「ということは…ああ!」
マルシェはジンの行っている朝稽古に最近シオンが参加していることを知っている。先日シオンと話していた時に彼女がうっかり口を滑らしたのだ。
「ふふふふ、なーんだ、そうかそうか、そういうことか」
謎は全て解けたとばかりに自慢げな顔を浮かべる彼女を、ジンは忌々しく感じる。マルシェのことだ、どうせ明日には何があったか根掘り葉掘り聞いてくるに違いない。唯一幸いなことといえばルースが全く理解していないということか。
「それじゃあ今日はお邪魔しちゃいけないね、ふひひ」
マルシェは態とらしく笑う。ジンは思わず舌打ちをついた。
「なんだよ、どういうことだ?」
「んー、秘密!」
「はあ?おいジンどういうことだよ?」
ルースが不思議そうな顔をしながらジンに詰め寄るが、マルシェが彼の肩をポンポン叩いた。
「こらこら、余計な詮索はしちゃダメだよー、ほらほら私たちはさっさと帰るよ」
「ちょっ、引っ張るなって、ジンまた明日な!」
自分のことを棚に上げて言うマルシェはルースの手を掴むと、どこにそんな力があるのかわからないがズルズルとルースを引っ張って行った。
「はぁ……、あれ?」
思わずため息が出て、あることに気がついた。
「しまった、待ち合わせ場所とか決めてない」
Sクラスにわざわざ行く必要ができたことにうんざりする。学校内で彼女を呼び出して一緒に行くということになれば、一体どんな噂を立てられることやら。そう考えると少し目眩がした。そんな彼の目の前をアルが通り過ぎる。
「デートとかマジでお疲れ」
ぼそりと呟いた彼女はマルシェ同様の笑みを浮かべて、颯爽と去って行った。どうやらあの事件以来、意外とマルシェやシオンと懇意にしているらしい彼女は、遠くから聞こえてきた話で即座に理解したようだ。
「な!?」
アルの言葉で一層『デート』と意識してしまったジンは体を硬直させる。これでも一応は健康な15歳男子だ、女性に興味があるのは仕方ない。それもなんとなく気になっている少女だ。
ようやく思考を正常に戻すと、体は未だ少し強張ってはいるがSクラスへと向かった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
シオンは自分に言い聞かせていた。これは決して『デート』ではない。ただ友人とケーキを食べに行くだけだ。深い意味などこれっぽちもない。だが一旦そう考えると無性に意識してしまうのが人間というものだ。彼女はその考えを頭の片隅に追い遣ろうとしては反芻し、追い遣ろうとしては反芻しを繰り返していた。それに気をやりすぎていたらしい。いつのまにか放課後になっていた。
「しまった、待ち合わせ場所決めてないや」
どうしようかとしばし逡巡してから、Eクラスに向かうことにした。問題があるとすればマルシェやアルに会うと厄介な方向に話が進んでしまうことか。そんなことを考えていると、
「あの、男子生徒がシオンさんに用があるそうです」
クラスメイトの少女が話しかけてきた。
「ああ、マーニャありがとう」
彼女はシオンの中等部からの知り合いだ。彼女を妙に慕っているためか話す時には常に敬語を使う。ただシオンは少しだけ彼女を見る時の憧憬の念を込めたマーニャの目が苦手だった。決して仲が悪いわけではないのだが。入り口に目を向けると赤茶色の髪が少し覗いていた。おそらくジンであろう。
礼を言って立ち上がりドアに向かおうとすると、彼女が尋ねてきた。
「あ、あの男とシオンさんは一体どんな関係なんでしょうか?」
なぜ突然そんな質問をしてくるのかよく分からないが、とりあえず素直に答えようとしてふと口を止めた。以前の自分はジンについて同じ質問をされた時を嫌な奴だとマルシェとテレサに言った。だがなんとなくそう言うことをためらっている自分が今はいる。
しばらくの間、何か言おうとしては閉じ、言おうとしては閉じを繰り返す。傍目からは口をパクパクさせている様子が少し滑稽に見える。
「知…り合いかな?」
「そう…ですか。安心しました、それじゃあ今日はお先に失礼させていただきますね」
ようやく絞り出した答えに不満そうな顔を一瞬浮かべてから直ぐに笑顔を作ると、シオンに一礼して荷物を持ち上げスタスタと去って行った。
その後ろ姿を不思議そうに眺めていたが、ジンを待たせていることに気がついて慌ててドアの前に向かう。
彼は少し顔を強張らせているが、シオンが近づいてきて少しホッとしたように見えた。多分Sクラスに来て周囲から好奇の目で見られたために緊張したのだろう。
「そ、それじゃあ行くか」
「う、うん」
互いに緊張でガチガチになりながら街へと踏み出した。だが彼らは二人の後ろをこっそり付いてくる三つの影には全く気がついていなかった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「確かこのお店だよ、マルシェがこの前言ってたの」
しばらく歩いて辿り着いたのは随分と小洒落たカフェだった。早速中に入ってメニュー表を受け取ってジンは毎度の如く舌を巻く。相変わらずの強気な値段設定だ。マルシェもそう言えば貴族ではないが良家の出だったはず。どうりで毎回彼女が見つけてくる店が高いはずだ。
だがここでお金を節約したいなどと、そんな情けない姿を見せることはできない。男の甲斐性というやつだ。マリアやウィルにしっかりと教えられている。
「とりあえずこれ二つで」
店員に注文を済ませると、二人の間に沈黙が流れる。何を話せばいいのか分からないのだ。
『あれ、俺普段どんなことこいつと話してるっけ?』
『僕、こいつといつもどんな話してたっけ?』
お互いに考えていることは全く一緒だ。ふととりあえず顔を上げると向こうもそのタイミングで顔を上げたらしく、なんとなくぎこちない笑顔をお互いに交換する。そうこうしているうちに頼んでいたものが届いたので、二人ともそれに手を伸ばした。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「あーん、もうなんで何も喋らないのよ」
「ほんとほんと、全くジンくんもシオンくんも意気地が無いんだから」
「…ねえ私帰っちゃダメ?」
マルシェはルースと別れると素早くテレサのところに報告に向かった。途中偶然見つけたアルを強引に引き連れて3年の教室に着くと、事情を説明して急いで二人の後を追いかけたのだ。途中見失うこともあったが幸いなことに、シオンがどこに行こうとしているかなんとなく予想が付いていたため、すぐに見つけることができた。
面倒臭そうなアルの言葉は無視してテレサとマルシェは観察を続ける。ジンとシオンは未だに黙々とお茶を飲み続けていた。何も進まない状況に見ている側が焦れてくる。側から見ても目立つほどにテレサとマルシェはキャイキャイ騒いでいるが、ジンとシオンは一向にそれに気がつかない。アルはそんな彼らを白い目で見ていた。
「はぁ、なんで私がこんな場所にいなきゃいけないのよ」
「しっ、動いたわ」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「えっと、ケーキ美味しいね」
「え?ああ、うん」
「「…………」」
シオンの投げかけにまともに反応できずそこで会話が終わる。気まずい沈黙をなんとか破ろうとジンは必死になって話題を探す。
「あー、シオンはそういや武闘祭出るんだよな?」
紅茶をテーブルに置くと頭をボリボリ掻きながら、ジンは唯一思いついた話題を口にした。その言葉に待ってましたと言わんばかりにシオンは喜ぶ。
「う、うんそういうジンこそ出るんだってね。マルシェから聞いたよ」
「ああ無理矢理な」
「そうなんだ。知らなかった」
「うん」
「「………」」
またしても包まれる沈黙に、共に居た堪れなくなってくる。お互いに何か共通の話題を必死に頭を回転させて探す。だが二人ともまともな引き出しを持っていない。当然のことだ。ジンは人生の半分をエデンで過ごしてきた。その話を彼女にすることはできない。一方シオンは貴族社会に身を浸してきた。その話はジンにしても退屈なものだろう。彼女自身が、自分が属する社会を退屈に思っているのだから間違いない。唯一共通する話題といえば…
「そうだ!今日の稽古だけどさ、遠目から見てて思ったんだけどジンってもしかしてディユナール流だったりする?」
訓練の話だけだった。
「ディユナール流?なんだそれ?」
「えっ、知らないの?」
「ああ」
「ディユナール流っていうのはね…」
シオンの話によるとディユナール流とは、数百年前に四魔人を倒した英雄のうちの一人である、ザンデリオ・ディユナールによって創始されたもので、現在ではキール神聖王国を含む周辺国家で主流の流派だそうだ。
「へー、もしかしたら俺の師匠っていうか、育ての親はそうだったのかも知れないな。そういうシオンもそうなのか?」
「うん、これでも段だって持ってるんだよ?三段だけど」
「それってすごいのか?」
「一応は最年少だって言われてるよ」
「マジかよすげえな」
それからしばらく全く色気のない会話が続き、いつのまにか自然と話ができるようになっていた。
そんな彼らの様子を2つ隣の席から3人の少女が生暖かい目で眺めていた。あんまりにもあんまりな会話の内容に先ほどからマルシェとテレサのフラストレーションが溜まり、どうせ気づかれないだろうという根拠のない自信から至近距離まで近づくという暴挙に出ていた。アルも一応一緒にはいるが、すでに我関せずという体で持っていた本を読み始めていた。
やがて日が暮れてきたことに気がついたジンとシオンは時間を忘れて話していたことに驚いた。
「そろそろ暗くなってきたし帰ろっか?」
「ああ、わかった」
ジンはサッとレシートを手に取ると会計を済ませる。店の外で待っていたシオンと合流し寮に戻ることにした。
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「もう、シオンもジンくんもどうしてもっとこう…」
「ねー、もっとこうガッて感じで」
「…どうでもいいけどここの支払いって誰が持つの?」
マルシェとテレサは口々にジンとシオンが特になんの進展もなかったことに不満なようだ。アルはそんな二人をうんざりした目で見つめていた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「それじゃあまた明日の朝に」
「うん、また朝に」
自然と言葉を交わす。今までは約束することなく、なんとなくその場に行き、なんとなく一緒の場所で訓練するだけだった。だがこの日初めて二人ははっきりと明日の約束をしたのだった。
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