第94話朝稽古

 目の前の相手に意識を集中する。動きの出出しを見極めるために、全体を見つつも細部まで凝視する。


 突然相手が蹴りを放つ。だがジンはそれを既に知っていた。難なく片腕でガードすると反撃に、自らもハイキックする。相手は当たる直前に身体を捻って躱し、流れのままに距離を取ろうとするがジンは離れて行く足をすかさず掴むと思い切り引っ張り寄せた。バランスを崩した男は倒れるかと思いきや、咄嗟に地面に両手を立ててバランスを取ると、もう片方の足を蹴り上げる。人はそれを躱す為に仕方なく手を放した。


「やるじゃねえか」


 ウィルは笑う。


「まあね」


 ジンも笑う。


「今度はどうかな?」


 ウィルが再び攻撃を再開する。飛んでくる蹴りを躱し、拳を去なし、却って相手の隙を突いて攻撃を放つ。相手よりリーチが無い分、ジンの攻撃は届きにくい。だから届かせるために少し強引に近寄る。だがその数瞬でウィルは体勢を整えて、ジンを掴むと放り投げた。素早く空中で回転して、軽やかに着地する。


「まだまだ行くぜ!」


「うん!」


 それから何度もお互いに拳を、蹴りを放ち合い、両者ともにボロボロになって行く。未だに一勝もしたことがない。だがジンは楽しかった。ただただ楽しかった。鍛える目的はなんにしろ、この光景は彼が望んだ家族との平穏であったからだ。


 だがジンは分かっていた。これが夢であることを。これはレヴィが襲撃しに来る数日前の出来事だ。あの戦いの後のウィルは碌に動くこともできなかった。片腕を無くし、身体中の生命エネルギーを使い果たし、生きていることすら不思議な彼では、まともに自分と訓練することもできなかったのだから。


 この記憶がどれだけ幸せだったのかを今のジンは知っている。あの悲劇が夢であるようにどれほど願ったことか。この幸せな夢が続いてくれることをどれだけ願ったか。だが現実は残酷だ。徐々に意識が覚醒していき、ついには目が覚めた。


 どうやら涙を流していたらしい。目元が少し痛い。まだ日が昇り始めたばかりだ。いびきをかいて眠っているルースを横目に彼は着替え始める。準備を整えてからいつも通りのトレーニングメニューをこなす為に外に出た。


 ランニングを終えるといつもの空き地で剣を振るう。夢の影響か剣を握る手に力が入っている。あの幸せを壊したレヴィへの深い憎しみが心を満たし、身体を固くする。ふと後ろに何かの気配を感じ、思わず反射的に振り向き様に思い切り木製の短剣を投擲した。


「きゃ!?」


 ドテッという音がして、すぐにジンは我に返る。


「わ、悪い、大丈夫か?」


 ジンは慌てて駆け寄ると相手に手を差し伸べた。その手を掴んだ少女はきつい目線を彼に向けて来る。


「まったく、僕を殺す気かお前は?」


「だからごめんって」


 少女を立ち上がらせてながら必死で謝る。


「あーあ、これはあれだな、何か甘いものが食べたいな」


 態とらしく言って来るシオンに少し苦笑する。最近何かと彼が訓練しているとやって来るのだ。毎回何かしらの理由を言って来るのだが、ここ一ヶ月ほど毎日のように同じ場所でトレーニングをすることになっていた。ただし一緒にではなく、かなり離れてだが。


「わかった、今日授業終わったら何か奢るよ」


「ふふん、約束だぞ」


「ああ」


 死にかけたというのにそれでいいのかと思いはするが、一応謝罪を受け入れてくれたので安心する。なぜかはわからないが、彼女には嫌われたくない。ルースやマルシェに相談したらすぐに恋だなんだと囃し立てて来るので相談もできないが、もしかしたらそうなのだろうか。


 だが今の彼にはそんなことにうつつを抜かしている暇はない。一刻も早く強くなりたい。だがそれでもあえて距離を離すのも何と無く嫌なので、今のように同じ場所で、離れて訓練をするという奇妙な関係になっていた。


「今日もここでやるつもりか?」


「そうだけど、なんか文句あるか?」


「いや、ねえよ」


 その答えにフンッと答えてからシオンは黙々と柔軟を始めた。それを横目に入れつつ、自らの稽古に没頭して行く。気がつかないうちに手に篭っていた憎しみは消えていき、強張りが取れていた。それから数時間二人は黙々と、会話することなくお互いの訓練を続けた。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


 今日もシオンは朝早くに起きると、すぐに動きやすい服に着替える。短パンとシャツを着て、上着を羽織る。早起きはここ最近の日課になっている。それから少しだけ鏡の前で自分の髪型や服装をチェックする。寝癖はないか、隈はないか、服はちゃんとしているか、何かみっともないところはないか。


「髪、少し伸びたかな?」


 前髪をいじりながら呟く。いつもは短髪の方が楽なので伸びてきたらすぐに切ってしまうのだが、最近はなぜかそういう気が起きない。


「まあいっか」


 鏡の前を離れ、稽古用の道具を持って近頃馴染みになったあの場所に向かう。決して彼に会うためではない。ただ場所が広く、訓練がしやすいからだ。気づかない内に心の中で言い訳をし、気づかないうちに口角がわずかに上がっていた。



 彼を見つけるといつものように『礼儀として』声をかけようと近寄る。だが今日は普段と様子が違っていた。遠目から見ても彼の剣筋は鈍く、身体中に無駄な力が入っている。ふと彼がこちら側に振り向くと、持っていた短剣を投擲してきた。


「きゃ!?」


 思わず女の子らしい悲鳴を上げながらドテッと尻餅をついた。自分から出た悲鳴に少し恥ずかしく思う。それと同時に剣が飛んできたことで心臓がバクバクと鳴っている。


「わ、悪い、大丈夫か?」


 慌てて駆け寄って来た少年は彼女に手を差し伸べて来た。その手を掴んだシオンはいきなり攻撃してきたことへの怒りと、そして無様な様子を彼の前で見せてしまったことへの照れ隠しに思わずきつい目線を彼に向ける。


「まったく、僕を殺す気かお前は?」


「だからごめんって」


 必死で謝る少年を見ながらシオンはなんとか溜飲を下げる。様子が変だったのに近づいた自分も悪い、はずだ。


「あーあ、これはあれだな、何か甘いものが食べたいな」


 ただジンも反省してくれるなら少しは自分に対して何かするべきだと考え、ふと最近街で新しケーキ屋が開いたという話をマルシェから聞いたことを思い出した。態とらしく言ってみると、ジンはシオンに苦笑しながら約束してくれた。その顔を見て少しホッとする。先ほどまでの張り詰めていた空気は霧散していた。


「ふふん、約束だぞ」


「ああ」


 それから少したわい無いことを話してから、いつものように距離をとって柔軟をしてから剣の型の稽古を始めた。


 この気持ちがなんなのかは分からない。ジンに会うと少し高揚する自分がいつも心の中にいる。だがそれは心地いいものだった。テレサやマルシェに聞けばそれが『恋』だと言ってきそうだが、シオンはまだこの気持ちに明確な名前をつけたいとは思わなかった。


 ジンがどんな背景を持っているのかは分からない。だが時折彼が見せる影が何と無く彼女がそうすることに躊躇させた。きっと今そんなことをすればこの心地良い関係は崩れるだろう。無意識にだが、シオンはそう捉えていた。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


「それじゃあな」


「うん」


 日が完全に昇り、稽古を終えて部屋に戻ることにする。毎朝この瞬間が何と無く胸を小さく締め付ける。彼女は女子寮なので男子寮住まいの自分とは反対方向に帰って行くのだ。徐々に距離が離れて行く途中でシオンが背後からジンに呼びかける。


「ジン、約束忘れるなよ!」


「はは、分かってるって」


 いつからかシオンは彼のことを『お前』呼ばわりしなくなっていた。ジンはそれが少し気恥ずかしくも嬉しい。シオンもそんな自分を悪くないと思っていた。彼らはそのまま寮に戻ると汗を流し朝食をとって学校に向かった。

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