第62話試験日
それから3日経った。ジンは部屋の中で持ち物を一式確認していた。試験日当日になって受験票などを忘れてはシャレにならないからだ。前日にも行ったが念には念をということである。
「よし、それじゃあ行くか!」
両頰を一回叩くと腰ベルトに長剣を、背負い袋に短剣をしまい、部屋を出て階下に降りた。
「おやジン、もう行くのかい?さっき朝食をとったばっかりじゃないかい?」
ジンが一階に降りると宿屋の女将であるアンナが話しかけて来た。
「ええ、一応下見して、道順は覚えたつもりなんですけど、道間違えたら困るんで」
「そうかい、そいつぁいい心がけだね。そんじゃあせっかくだ、こいつを持っていきな。これなら嵩張らないだろうしお昼にでも食べとくれ」
アンナはジンに肉やら野菜やらをふんだんに挟んだサンドウィッチを渡して来た。
「あ、ありがとうございます!」
「いいって、いいって、それより頑張んなさいよ?」
「はい!それじゃあ行って来ます!」
「はいさ、行ってらっしゃいな」
宿屋を出て意気揚々と目的地へと向かったジンは、しばらく歩き続けて、迷うことなくスタスタとファレス騎士養成学校の前までたどり着いた。小さい頃ザックやレイと何度も何度もその前を通り過ぎたのだ。将来は皆ここに入ろうと、そして騎士になろうと、そんな微笑ましい夢を見ていた。
今になって考えればスラムの孤児では入学することすら不可能であるとはわかっているが、当時の彼らにはそんなことは知る由もなかった。
「ふー」
ジンはいつのまにか緊張していたのか体が強張っていることに気がついた。今までの彼の人生で試験というものは初めてである。試練ならば多くのものに、それこそ死にすら直面するものに立ち向かってきた。そんな彼にとって、筆記試験や、実技試験とは全くイメージできるものではなかったのだ。
「…大丈夫、大丈夫。こんなの余裕だってウィルも言ってたし」
学校の門の前で自己暗示するかのように、小さく呟くジンの姿を周囲の受験生たちが気持ち悪そうに眺める。誰もそんな不気味な少年には近づきたくはないようだった。
「はっ!見ろよコルテ。あの気持ち悪いやつ。門の前でボソボソ喋ってるぜ。おいお前、邪魔だ。道を開けろ」
突如ジンの後ろからそんな声をかける者がいた。明らかにジンを見下した態度をとるその少年のブロンドの髪は肩まで伸びていて、その顔は随分と、整っている。体は細身で身長はジンよりも少し小さいぐらいだ。街中を歩けば10人いれば全員の女性が思わず振り返るだろう。
だが、残念なことにその性格の悪さが顔に滲み出ている。小綺麗な身なりやお供に付き従えている者たちなどからおそらく、貴族であると推察できる。彼の後方に豪奢な馬車が止まっていることから、おそらく先ほどまでそれに乗っていたのだろう。だがジンは緊張のあまりそれに気が付きさえしていなかった。それがその少年のお気に召さなかったらしい。
「なんだお前、僕を無視するのか!いい度胸だ、おいコルテそのゴミをどけろ!」
「はっ!」
その少年の言葉に従い、短髪でダークブルーの髪の色をした、小太りの少年がジンに駆け寄って来て、その肩を掴んだ。そこでようやくジンは、後ろで騒いでいる少年が自分に何かを言っていたことに気がついた。
「おい、お前!このお方が誰だか知っているのか!」
その言葉に後ろにいたブロンドの少年が得意そうな顔をする。どうやらそれなりの身分の者らしい。
「え?いや知らないけど…」
だが数日前までどころか、ここ8年もの間、大結界の向こうにあるエデンに居たのだ。そもそも世界が違う。来て数日でこの国の貴族のことなど知っているはずがないし、そもそも興味もなかった。
「なっ!?」
思いもよらない返答だったらしく、二人の少年が固まる。それを見ていた周囲の学生や受験生たちがヒソヒソと何かを喋り、時々笑いが漏れている。それを聞き取ったのかブロンド髪の少年は顔を徐々に赤くしていきプルプルと震え出した。
「こ、この田舎者が!このお方はこの国の公爵様のご子息であらせられる、ディアス・イル・キリアン様だぞ!」
コルテがそのディアスの様子に逸早く気がついたのか慌てて、叫ぶように言い放った。
「へえ、えらい貴族の人なんだ」
だがそれもジンにとってはよくわからない話であった。エデンではウィルから人間界の文化をあまり習わなかった。おそらく本来ならマリアが教えてくれるはずだったのだろうが、その前にあの化け物の襲撃にあったのだ。
そのためウィルからこの数年間学んで来たのは、戦うために必要な技術と筆記試験に通るための一般常識的な法術のノウハウだけである。そのせいで人間界の細々とした常識には疎いということをエデンからオリジンまでの旅の過程で知った。
そしてその態度がどうやらお気に召さなかったらしい。ディアスの顔はこれ以上ないのでは、というほどに赤くなっている。そして何かを言おうとして口を開けた。
『あ、ジンくんだ!ほらシオン、ジンくんがいるよ!おーい!』
そのタイミングでのほほんとした声が周囲に響き渡った。その場にいた全員が一斉にその声の方に目を向ける。そこには淡いピンク色の、腰まで届く長い髪の150センチぐらいの気弱そうな垂れ目をした可愛らしい巨乳の少女と、少し日に焼けた、その少女よりも背丈の高い160センチくらいのツリ目気味で中性的な容姿の勝気そうな短い銀髪の少年、もとい少女が立っていた。
ピンクの髪の少女、テレサに気がついたジンもそちらに目を向けると、驚いたことに彼女はファレスの制服を着ていた。黒を基調としたブレザーに、赤と紺のチェック柄のプリーツスカート、その下に白いタイツを履いている。
もう一人の銀髪の少女、シオンは先日会った時の服装に似て動きやすさを重視した格好である。ただ違っていることがあるとすれば、今日は黒いニーソックスを履いているところか。相も変わらず今にも獲物を食い殺さんとする狂犬のような目でジンを睨みつけている。
『あ、あれ?私もしかしてなんかお邪魔しちゃった?』
周囲の視線を受けてテレサは不安そうな顔をする。ふと周囲がざわめき始めた。
『お、おいあれってもしかして…』
『ああ、間違いねえあの人は『桜姫』のテレサさんだ!』
『なんだあの胸やべえっておい、なあ!?』
『おおう!』
『嘘!テレサ様の横にいるあの子って『銀王子』のシオンくん!?』
『きゃぁぁぁぁぁ、本物よ本物!生シオンきゅんよ!』
『ねえ、今こっち見なかった!?』
その場にいた男女がジンとディアスたちを放置して騒ぎ始めた。
『わわ!み、みなさん落ち着いてください!ええっと、ど、どうしようシオン…』
『お前らテレサに近寄るな!特に男ども、テレサに変な目を向けたら引きちぎってやる!』
周囲の少年たちが一斉に後ずさる。それほどの威圧感がシオンから発されていた。
ジンはそれを見て唖然とする。思わず自分の隣にいたコルテに話しかけた。
「なあ、あの二人って有名なのか?」
「え、は、はぁ!?お、お前あの二人も知らないのか!?どんだけ田舎から出て来たんだよ!?」
「いや、あははは、そんでどうなの?」
「あ、あの二人はなぁ!」
コルテが語気を強めて言おうとしたところでディアスが舌打ちをした。
「ちっ、おいコルテ興ざめだ、さっさと行くぞ!荷物を持て!」
「は、はい!承知しました!」
シオンたちの方を一瞥して忌々しげな顔を一つ浮かべてから、ジンをひと睨みする。
「ふん、ついてこいコルテ!」
「お、お待ちくださいディアス様!」
そしてずんずんと先に進んで行ってしまった。その背中を眺めていると、後ろからテレサの声が聞こえて来た。どうやら周囲に人だかりができて困っているらしい。
『ごめんなさい、ちょっと通してください!』
『テレサに近づくんじゃない!』
『ジンくーん、助けてー!』
『来たらぶっ殺すー!』
「えーっと、どうしよう?」
しばし逡巡したのち、ジンは『まあ、いっか』と思い、受付に向かった。
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