第13話バジット城塞都市にて

 2日ほど歩き、段々道が整備されたものへと変わっていき、ついには森を抜けた。そこからさらに1時間ほど歩くと、漸く巨大な壁で囲まれた都市のようなものが見えてきた。道の両脇には何かの畑が広がり、豚や牛などの家畜もちらほら見える。また砦の中から生活臭を漂わせる煙が幾つも立ち上り、外敵を遮断するための巨大な壁と見張りのための櫓が建っているのがわかった。


「あれがそうなの?」


「おう、あれがエデン最北端の砦、人界からの侵攻を最初に防ぐバジット城塞都市だ」


そうしてついに3人は門の前までたどり着いた。


 そこにいた鎧をまとった2メートル以上ある門番を見てジンは目を見開いた。


「よぉウルガ!元気そうだな」


「ウィルじゃねぇか。なんだよいきなりどうしたんだ?久しぶりじゃねえかおい!」


 ジンはウルガと呼ばれた人物から目が離せなかった。なぜなら彼の顔がトカゲのそれだったからである。よく見れば鎧の隙間から鮮やかな青い鱗が見え、彼の背後を見ると尻尾が生えていたのだ。


「お!しかもマリアもいんじゃねーかおい。相変わらずすげー体してんなぁ」


「ふふ、ありがとウルガ。あんたも相変わらずいい艶してるわね」


「だろ!毎日嫁に手入れしてもらってるからな。そんでそっちの坊主は誰だ、っておい?人間じゃねーか」


 鱗を褒められて満足げだったウルガが突然値踏みするようにジンを睨めつけてきた。ジンはトカゲの目を向けられてビクビクしながらも勇気を出して名乗った。


「ジ、ジンだ」


「あぁん、ジン?ウィル、おめーらなんで人間のガキなんか連れてんだ。おめーらの仲間だからないとは思うが、場合によっちゃガキでも殺されんぞおい」


「こいつは俺たちがラグナの命で外から連れて帰ってきた子供だ。使徒候補みたいなもんだ」


「こんなガキがか?おれんちのガキでも喰い殺せそうだぜおい」


 その言葉を聞いてジンの肝が冷える。亜人達にとって人間は憎むべき対象であり、中には殺そうとする者もいるのだとエデンに入った時にウィルに言われたことを思い出した。


「まあまあ、こいつは俺たちがしっかり面倒見るから、問題は起こさないし、起こさせねえよ」


「…お前が言うならそうなんだろうな。わかった、ちょっと待ってな。門開けるからよ」


 ウルガは門を何度か叩き、一言「開けろ」と大きく声をあげた。するとギギギとゆっくり門が開き始めた。


 門の中に入ると賑やかな風景が広がっていた。木綿の服を着た、老若男女様々な人が家事をしたり、物を売ったりしており、子供達はその周囲を駆け回って遊んでいた。舗装された道からは神話で語られていたこととは異なり、文明の息吹を感じさせる。ジンがいたオリジンほどではないが、多くの店が立ち並んだごく普通に見えるその街の中で唯一違っていたのはどの人も皆、顔が獣のそれであったことだ。また所々に武器や鎧を携えた者たちが闊歩していた。


 ジンがその光景に惚けていると、ウィルが笑いながら頭に手を乗せてきた。


「どうだジン。これがバジットだ。いいところだろ?」


しかし彼の言葉はジンには聞こえなかった。彼の目はいい匂いのする屋台に釘付けだったのだ。


「ウィル!あれなに!?」


「聞けよ!ってぇ何だよお前、ありゃケルバだ。肉と野菜をパン生地に包んで焼いたやつだ。この店のは俺が食べ比べた中でもピカイチだぜ。なんてったってここの親父のソースが…」


ウィルがなにか言っているがジンには聞こえない。


「ジンはあれ食べたいのかい?晩御飯も近いから、あれで済ませちゃおっか?」


「!?うん!」


「そんじゃおいで」


マリアがジンの手を握った。


「無視すんな!」


「あんたは先に馬を返してから宿に行ってな」


 声を荒げるウィルにそう言ってマリアとジンは店に向かった。


「馬って借りてたの?」


「そうさね。こっちはいろんなところに行くから、いちいち面倒を見るのが大変なのさ。だからこうしてこういうところで馬を借りたりするんだよ。もちろん必要なときは買うけどね。今回はそうじゃなかったからここで借りたのさ。」


「ふーん」


 そうこうしているうちに二人は店の前にたどり着いた。


「アルマ久しぶりさね。ケルバを三つちょうだいな」


 マリアがお金を差し出すと、店主が振り返る。


「ん?おうおうマリアじゃねーか。なんでぃ、ウィルときたのか?」


「ついでにこの子ともね。ジン、この人はアルマ、それでアルマ、この子はジンだ」


「おうよろしくなジン。俺は猫人のアルマだ。この店の店主で自称世界一のケルバ料理人だ」


 猫のような、たぬきのような顔をしたその男はでっぷりとしており、気の良さそうな表情を浮かべているような気がジンはした。その彼が手を差し伸べてきたので、手を握り返した。アルマは細目でジンを眺めつつ、


「なんか随分痩せて小さいガキだな。よーしおまけだ。お前にはとびきりでかいやつをやるよ。ほい、たんと食いねえ」


と言って他のに比べて倍の大きさはするのではないかというものを渡してきた。


「ありがとう」


ぼそりとジンが呟くと、アルマは腹をポンポン叩いた。


「ガハハハ、いいってことよ。これ食って肉つけな」


『この人、本当はタヌキなんじゃ』と思いながらもジンは頭を下げた。恩を感じたらしっかりと感謝の意を示すのはナギに徹底して教えられたのだ。


 店から離れてウィルのもとに向かっている最中に、彼は少しだけ姉を思い出し、心が痛み、涙が出そうになった。涙を出さないよう慌ててケルバにかぶりついてあっという間に食べ終えてしまった。初めて食べたそれはとても美味しかったが少しだけしょっぱかった。そんな彼を、憂いを帯びた表情でマリアが眺めていた。


 街の西側にある宿に着くと既に馬を返してきたウィルにあった。その宿はあまり大きくないが天然の温泉が湧いていることでエデンでも隠れた名所として知られており、これもここでわざわざ2泊するということになった理由でもあった。もちろんマリアの思惑である。


 宿の受付に居たのは背筋をピンと伸ばし、頭に茶色い猫耳を生やし、お尻の辺りから尻尾を伸ばした美しい女性だった。ジンは今まで見てきた住人たちが完全な動物の顔であったのにこの人だけが違うことに驚きそうになった。だがよくよく考えれば、ウィルが前に言っていたように、人間顏の人もちらほらいた気がした。彼は他の獣人のインパクトの強さで気付かなかっただけで、人間のような顔をした獣人も数多くいたのである。目の前の女性はまさに、そんな中の一人であった。


 凛とした佇まいの女性は、


「いらっしゃいませ。この度は当宿をご利用いただきありがとうございます。何名様でお泊まりでしょうか?」


と鈴のような声音で質問してきた。ジンは彼女の容姿にぼーっと惚けていると、隣にいたマリアが気安く話しかける。


「やあ、久しぶりだねマチ。何年ぶりかね」


「5年ぶりぐらいでしょうか。最後にあったのが、私がオヴェストに行く前でしたので」


「へぇ、もうそんぐらいになるのか。あとで旅の話を聞かせておくれよ。それにしても随分と他人行儀じゃないかいマチ?あんたが子供の頃から付き合ってるのにさ」


「申し訳ありません。公私混同はしないよう心がけておりますゆえ、後ほどそちらにご挨拶に伺わせていただきます」


 礼儀正しく頭をぺこりと下げた。それを見てマリアが悪い笑みを浮かべた。


「冷たいねぇ。マチがおねしょした時はいつも隠すのを手伝ってあげたのに。あれからおねしょは治ったかい?最後にしたのは確か…」


「ちょっ!マリアおばさん何を言ってるんですか!」


「えーっと何歳だったけ?確かあの時はひどい嵐が来てて、あんたの苦手な雷が1日中鳴り響いていたっけ。あれは何年前だったかな?確かあんたがじゅう…」


「ストーップ!それ以上はダメですぅ。お願いします。マリアおばさん!なんでもしますから、それだけはご容赦を!」


 ゴンっとカウンターが凹みそうな音を立てながらマチと呼ばれた女性が目に涙を溜めながら頭を下げた。『あれ?想像以上にダメな人なのか?』とジンが思うほど、つい数分前まで見せていた雰囲気はかき消えていた。


「悪かった悪かった。からかいすぎたよ。ごめんよマチ」


「ふう。マリアおばさんもお人が悪すぎます。それでは、えっと3名様でお泊まりでよろしいでしょうか?何泊お泊まりになるご予定でしょうか?」


「3名2泊で頼むよ」


「かしこまりました。何かご希望はございますか?食事などについてご要望がございましたら別途料金にてご案内させていただきますが」


「そうさね。この宿で一番のサービスをお願いしたいんだけどねー、今手持ちがねー」


「……つまり脅しでしょうか」


「いやいや、人聞きの悪いことは言わないでおくれよ。私とあんたの中じゃないかマチ。あんたが漏らした時はまた隠すの手伝ってあげるからさ」


「ちょ、まっ、わかりました、ええわかりましたからどうかそれだけは許してくださいお願いします!」


「いいのかい?そんじゃあ頼んだよ。いやー持つべきものは人の縁だねえ」


「うぅ、今月のお給料がぁ」


 こうしてマリアは宿で一番の部屋と食事を手に入れることに成功した。めそめそと泣くマチを横目にジンは彼女に、絶対に弱点を見せないようにしなければと固く心に決めた。


 その宿の風呂は非常に気持ちが良かった。ジンにとって久々の風呂だった。スラムにいた頃はたまに、ドラム缶を用意してその中に水を張り、熱した即席の風呂に入ることがあった。小さい時はよくナギと一緒に入ったものだ。そんなことを考えながらゆっくりと浸かる。目頭が熱くなった。


 卵の腐ったような匂いが鼻に付くが、これが温泉の証拠なのだという。しばらく浸かっていればお肌がプルプルになるらしい。マリアが興奮しながら説明していた。一緒に入っていたウィルがお風呂に盆を浮かべ何かを飲んでいる。何かと聞いたらお酒だそうだ。気になって覗いてみると水のように透明なお酒だった。そこで少し飲ませてもらったが、苦かった。大人の趣味はわからない。


 そんなこんなでゆっくりと旅の疲れを取ったジンが部屋に戻ると豪華な山菜と肉の料理が並べられていた。それらに舌鼓をうち、堪能した後、彼はすぐに眠くなり、布団に入った。翌日起きるといつものようにマリアがいっしょの布団に入って、ジンを抱きしめていた。毎度のことながら不思議に思ったが理由は教えてくれなかった。



「また夜泣きか。目ぇ覚ましてからずっとだな」


「そうさね。いっつも汗いっぱいかいて涙流して。嫌な夢を見てるんだろうねぇ。本当になんでこんな子があんな目に合わないといけないんだろうねぇ。やるせないったらありゃしないよ」


 ジンの夜泣きはこの1ヶ月毎日のように続いていた。たまにガバッと目覚める時もあったが、放っておくと目は覚めなくてもいつまでも泣き続けた。そんな時はいつもマリアがジンを抱き寄せて眠るのだ。すると安心するのか、夜泣きは収まり、すやすやと落ち着いて眠るのだった。


 たまに彼が寝言で「ごめんなさい」という時はマリアもウィルも心苦しく思っていた。しかしジンにそのことを伝えるのはまだ忍びなかった。凄惨で悲しい体験をした7歳の子供にかける言葉も、すべきことも分からず、それが彼らの心に影を落としていた。だからこそマリアは少しでも安心させられるように、ジンを今日も抱きしめた。

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