第3話日常2
3人が家路に着いてしばらく歩いたところで、突然角から飛び出してきた男がジンにぶつかってきた。尻餅をついた彼が顔を上げると、そこには軍服のような格好をして帯剣している大柄で無骨な男がいた。二メートル近い身長に、戦傷を隠すためか右目に黒い眼帯をつけている。
「何すんだよ!」
ジンが声を荒げる。
「すまん。少々急ぎの用があったんでな。坊主たちはこの辺りに全身黒ずくめの男を見かけなかったか? 身長は大体160センチ程で、白髪で細身の男なのだが」
ジンの黒髪、黒目を見て眉を少し顰めたがすぐに表情を元に戻して、手を差し伸べて尋ねてきたので、ジンはその手を払いのけて、訝しげに睨みつける。
「いや見てないよ。それに騎士がこんな場所に何の用だよ」
「見てないなら構わん。ところでもしかして坊主たちはこの辺りの住人か?」
「ああ」
「先日から街で人喰い事件が発生しているんだ。すでに何人もの人間が死んでいる。それで魔人による事件である可能性が示唆されていてな。それを受けて先日ナディア様から神託がなされた。それによると、そのうちこの辺りでひどいことが起きるらしい。いまの内に逃げた方がいいぞ。それじゃあ俺はその容疑者の男を追いかけないといかんので、ここで失礼する」
スラムの外の人間はたとえ子供であっても、ゴミを見るような目を向けてくる。それなのにジンたちに妙に礼儀正しい男は、軽く頭をさげると、さっさと行ってしまった。それを見ていたザックが二人に尋ねる。
「なんなんだあいつ? スラムの奥から出てきたよな。誰かに会いにきたのか? あとナディアって誰だっけ?」
彼が何者であるかはジンにもレイにもよくわからなかった。少なくとも彼が腰に据えていた剣が王国騎士のそれであったことから、ただの一兵卒ではないことだけはわかった。
「いや知らないよ。それにナディア様っていや、キールにいる5人の使徒のうちの1人じゃん。なんで知らないんだよ」
レイはザックの質問が当たり前すぎて呆れた。
この世界には現在確認されているだけで、20人の使徒がいるとされている。彼らは等しく強大な能力を持ち、国の最高戦力とされていた。この国には5人おり、王国騎士団、近衛師団、法術師団を預かる3人の団長は、何れも使徒であった。
「つーか、相変わらずお前の髪と目って外の奴らには嫌われてんだな」
ザックが気楽に言う。外の人間は、どうやら彼の容姿を不快に思うらしい。初めは、なぜかはわからなかったがその傾向は表通りの人間や、貧しさから家を追われ、スラムに新しく住み着くことになった者たちによく見られるものだった。
ひどい時には「この悪魔め」と言いながら、石を投げつけてくる者もいるほどだ。以前、その中の一人の子供にジンが問い詰めたところ、どうやら悪神オルフェの容姿が黒髪黒目であるらしく、フィリア教徒にとって、その特徴を持つ人間は悪神に使える者という認識があったのだ。
そんなことを思い出してジンは少し不快な気分になったが、気を取り直して再び歩き出した。3人が家の前に着くとドアの前には鬼のような形相のナギが待ち構えていたのはいうまでもない。
「いってらっしゃ〜い」
にこやかに言うザックの笑顔を尻目に、うなだれたジンはトボトボと姉の前に歩を進めた。
夕食時、目を赤くし、真っ赤に腫れたお尻をさすっているジンは5人で食事を食べていた。ナギからのきついお仕置きを受けた後、ミシェルに土下座して謝らされたのだが、先ほどの件のせいで未だに気まずい。ジンが彼女の方にチラチラと目を向けると、偶然視線があった。しかしすぐに彼女が視線をそらして知らんぷりしてきたので、ジンはがっくりと項垂れてしまった。
彼にとってそれはナギのお仕置きの次に辛いことである。ここで姉に怒られことの方が辛いと思うあたり、ザックがジンのことを『シスコン』と称するのは的を射ていると言える。そしてそんな彼をザックがからかいながら、食卓に並べられた豪華なうさぎの入ったスープを4人は味わっていった。ジンには罰としてあまり肉が入っていなかった。
次の日、ジンたち3人はいつものように空き地で朝から修行をしていた。ジンの武器は二本の短剣を模した木刀であった。一方で、相対しているザックの武器は彼のその体程もある大剣型の木刀である。二人はしばらく見合った後、互いに一気に距離を詰めた。それは彼らぐらいの子供の出せるスピードの限界を超えている。身体強化の術を使っていたからだ。
身体強化は体内にある闘気と呼ばれるエネルギーを体に循環させることで可能になる技であり、コツさえつかめば誰でもできる、自然の力を用いる法術とは違う技術である。
「おらっ!」
交錯する中で武器が軽い分、素早く動くことができるジンは双剣を巧みに扱い、ザックを攻め立てていった。
「ふん!」
それに対しザックは大剣を駆使して、左右からくる双剣を剣の腹で強く弾き、却って逆襲とばかりに、剣を弾かれバランスを崩し、右に重心が流れたジンへ上段からの斬りかかる。
「だらっ!」
上から来た大剣を、双剣を交差させることでガードする。ザックの攻撃は非常に重く、徐々に膝が地面に近づいていく。このままでは身動きが取れなくなると考えたジンは、腕に回していた強化のためのエネルギーを少し減らし、一瞬でそれを足に流して、全力で地面を蹴った。
「おわっ!?」
その勢いに押され、ザックの上半身が浮く。その隙を狙ってジンが相手に詰め寄り、胴に剣を叩き込もうとする。しかしザックはそれを読んでおり、バランスを崩した状態で、どうにか足を蹴り上げてジンの攻撃を防ごうとする。だが胴への攻撃はジンのフェイントであった。
上半身を前のめりにすることで詰め寄る振りをして、その足が当たる前に右に飛び避け、すかさず右側から相手の体に双剣を向かわせる。ザックは完全に体勢が崩れており、その攻撃を防げない。しかし当たるか当たらないかという直前で『土壁!』という叫びとともにジンは大きくその剣を弾かれた。今度こそ本当にバランスを崩し尻餅をついたジンは恨めしげにザックを見上げる。彼の前には土を操り作られた壁があった。
「おいっ。法術は使わないっていう約束だろ!」
「悪い悪い。つい使っちまった。まあいいじゃねえか、レイだってやってるし」
「よくねえよ! 俺は身体強化だけしか使えないのに、身体強化だけていうルール無視されたら勝てねえよ。今は剣術の修行なんだから法剣術の練習は後でレイとしてくれよ。それにレイは身体強化が苦手だから、その代わりに法術使ってるんだよ。しかもレイは法術のコントロールがうまいからいいけど、お前法術のコントロール苦手だから危ないんだよ。前にお前のせいで腕折れたし」
ジンは法術のどの属性にも適性がないらしく、法術を全く使えない。彼のような存在は『加護無し』と蔑まれる対象であった。これも、もしかしたら他者から不気味に思われる理由の一つかもしれない。フィリアの加護を与えられた人間は、得意な属性があるにしろ須らく法術が扱えるからだ。
しかし彼はどれも使えない。ナギの弟でなければ、早々に殺されていたかもしれない。その代わり彼はそれを補うほどに、闘気の扱いに長けていた。法術が使えないからこそ、その訓練を人一倍しており、現在では術が使えない不利を補っていた。特に自分の体の一部に気を集中させると言う芸当をできる者はあまりいないが、そのことをジンたちは知らなかった。
ジンはひとしきり文句を言った後で、ぶつくさ言っているザックを放置して、今度はレイと対決することにした。レイはレイピア型の木剣を持って構えている。彼は身体強化が苦手であるが、法術を織り交ぜつつ、とにかく正確で緻密な攻撃を加えてくる。その法術は正直に言ってザックと比べると格が違う。
ザックは重く、速い攻撃をしてくるが、隙がかなりある。しかしレイは法術で水を空気中から作り出し、遠距離から攻撃してくる上に、剣においてはカウンター型である。剣を交える時は基本的に隙を狙うか、時間を稼ぎ、法術を放つ準備をしてくる。そのため一瞬の隙を見せると、剣か水弾が飛んでくるのだ。ジンはいつも通り、的を定められないように高速で動き回りながら、接近戦を挑むことにした。
『水弾!』
レイが水球を飛ばしてくる。
それはジンの頭の上を通ろうとしている。これはフェイクだと彼は瞬時に判断する。以前にも同じような攻撃があり、その時も的外れだと思ったら、水球が突然形を崩し、ジンの頭に降りかかり、眼を潰されたことがあったのだ。そこで彼は足に力をかけて右側に横飛びする。しかし着地しかけた瞬間にジンの顔に水弾が飛んできた。レイが彼の動きを読んで先手を打っていたのだ。
避けられないと感じたジンは左手の剣一本を手放さないようしっかり握り、右手の剣をレイに向かって投げつけた。ジンは体を後方に吹き飛ばされるが、水弾を飛ばした直後でそちらに意識が向いていたレイは、慌ててしゃがんでそれをなんとか避けようとした。そのせいで一瞬視線がジンから外れてしまう。その隙に態勢を立て直したジンは、5メートルほどあった距離を一気に縮める。
しかし攻撃しようとした瞬間に後ろに飛ぶことを余儀なくされる。レイはジンが近づいてきたら発動するように、罠としてスパイクのついた水壁を自分の周りに張っていたのだ。そうしてジンが攻めあぐねている間に、レイは呼吸を整え、集中力を取り戻し、再度水弾を作り始める。そこでジンは再度距離を取り、相手の攻撃に備えた。そしてレイの水弾が3つ完成し、水壁を解除した瞬間に、彼は一気に突っ込んだ。高速でジグザグに走り、一つ目の水弾を避ける。
しかし避けたことでできた隙を狙ってレイが2つ目の水弾を放ってくる。それを予想していたジンは剣を使ってその弾を弾き、さらに近づこうとする。だがそれを許そうとしないレイは、最後の水弾を放つが、ジンはそれをギリギリで避けながら再度、左手に残っていた剣をレイの胴体に投げつける。それを避けるために、とっさに目線を動かしたレイが直ぐにジンに目を戻したが、その一瞬の間にジンは後ろに回っておりの、首に腕を絡めて軽くしめてきた。それを受けてレイは降参した。
「また負けたか……」
レイは少し悔しそうな声を出した。
「でも今回は後ちょっとで負けそうだった。やっぱレイは剣士よりも法術士の方が向いてるんじゃない?」
それにザックも同調する。
「そうそう。わざわざ剣やる必要なくね? そんだけ法術使えるならさ。つか、今の試合全然剣使ってなかったし」
「でもやっぱりいざという時に剣が使えないと。法術だけだとさっきみたいな時に対応できないしね。でも、どうしても術に集中すると剣がうまく使えないんだよなあ。あのサリカ様がどうやってるのか聞いてみたいなあ」
サリカとは近衛師団長であり、王国の5人の使徒のうちの一人である女性の細剣使いである。彼女はレイと同じ水法術を得意としており、さらにほかにも火属性、風属性を扱う三重属性保持者であった。非常に美人であり、巷では「姫騎士」と称され、レイの憧れの存在であった。彼女を語る時だけはいつも落ち着いているレイも興奮したように饒舌になった。
「サリカ様の水法術の演舞を前に見たんだけど本当に凄かったなぁ。何てったって、あの水弾の生成速度、しかもそれよりも高度な技も一瞬で作り上げちゃうんだからなぁ。それに剣も王国で1、2を争うほどの腕前だし、それからあの凛としてて、それでいて誰にでも分け隔てなく対等に扱ってくれるのなんかも凄いよねそれから……」
レイの話が長くなり始めたので、ジンとザックがうんざりした。この話だけでもすでに10回は聞いている。
「はいはい、サリカ様は素晴らしい素晴らしい。そんで今の試合だけど……」
ザックが適度に話を聞いてから、試合で気づいたことをレイに話しかける。レイは話を遮られて少し不満げな顔をしながらも、それをしっかりと聞いた。
「今回もザックは、攻撃は早いけど、剣に振り回されている感じがしたよ。あとジンも言ってたけど、法術のコントロールが上手くないのに、使うのは危ないと思うよ」
「そういうレイこそ、法術ばっかりに気を取られてた感じだったぞ。ジンが投げた剣だって、意識の切り替えが早かったらもっとすぐに対応できただろ。」
「確かに俺もそうだと思う。レイは法術に自信があるせいで、想定外の行動をされるとすぐに慌てるんだよな。ザックなら俺が剣投げたら、避けずに弾くと思うし」
「ジンの場合はいつもの右に避ける癖が出ていたぞ。そのせいで動きを簡単に読むこともできたからな。でも相変わらず闘気の使い方はうまかったよ。それに咄嗟の判断も。まさか剣を投げてくるとは思わなかったよ」
「確かに。ジンが攻撃してくるときは大抵前からか、右からだよな」
「うっ。で、でも……」
「あとそれな。すぐに言い返そうとしてくるのとかな。年長者の意見はちゃんと聞かないとダメよ?」
ザックがナギの喋り方を真似ようと裏声で話しかけてきた。ムカついたジンは彼の肩にパンチした。
3人は稽古の後、いつも反省会をして、問題点を確認するのだ。これほど真剣に修行しているのに、ナギは彼らがチャンバラごっこをしていると思っていることをジンは少し不満に思っている。姉を守ることができるようになるためにしていることなのに、彼女はそれをお遊びだと考えているからだ。しばらく彼らが話をしていると昼食の準備ができたことをミシェルが告げに来た。
午後からザックやレイはナギから法術を教わることになっていた。彼女は非常に稀な光属性保持者であり、その上、火と風法術を扱うことができる三重属性保持者でもあった。さらにそれを戦闘にも用いてきて、戦いにおいてもジンたちよりも圧倒的に実力が上であった。一ヶ月ほど前に模擬戦をやった時は、3人がかりで向かっていっても、誰もナギに近づくことなく負けてしまった。
しかし普段は生活の糧を探したり、治療をしたり、家事をこなしたりと時間がなく、また最近は法術を使って戦うと、よく体調を崩してしまうので、稀にしか訓練に付き合ってもらえなかった。『前はもっと稽古をつけてくれたなぁ。最近どうしたんだろう?』とジンは姉の体調を気にしていた。
法術が使えないので、時間が空いたジンはミシェルと遊ぶことになっていた。昨日彼女を泣かせた罰である。
「しょうがねーなー」
照れ臭そうに言う彼はミシェルと約束した場所に向かう。一緒に家を出ればいいのではないかとジンは質問したが、『デートなんだからちゃんと雰囲気を味わいたい』との返事が返ってきた。そういうわけで、この前ミシェルが見つけたという街を囲う塀にあいた穴の前まで来た。『魔獣とかにこれがバレたら危ないんじゃないか?』などと思いつつ、15分程その場で彼女が来るのを待っていると小走りでミシェルがやってきた。
「ゴメンね。待ったかな?」
と聞いてきたので、昨日ナギに教わった通りに、
「いや、今きたところ」
しかしぶっきらぼうに答えた。こう答えることが姉曰く、デートの鉄則なのだそうだ。彼女に彼氏がいたという記憶はないのだが。彼女に言い寄る男は多かったが大抵の場合、断られるか、道の脇にボロボロの状態で倒れているのが見つかった。何で嘘をつくことが鉄則なんだろうと思いつつも、彼がそう言うとミシェルは嬉しそうな顔をする。
「それじゃあ、行こっか」
二人は目の前にある穴を通って街の外に出た。彼女はジンの腕に自分の腕を絡ませて、彼を引っ張って元気よく歩き始めた。目指すは、街の近くにある小高い丘だそうだ。ジンは恥ずかしがりながらも今日は、すべてミシェルの言う通りにしなければならないとナギに言われたことを思い出し、我慢した。
他愛ない話をしながら目的地に着くと、腰を下ろしゆっくりとくつろいだ。
「今ナギお姉ちゃんに料理とか裁縫とか教わってるんだ。今度ジンにも何か作ってあげるね」
「べ、別にお前の料理なんかに興味はないけど、どうしてもって言うなら食ってやるよ」
明るく語りかけてくるミシェルにジンがボソボソと返事をする。
「じゃあ、どうしても! 最近はナギお姉ちゃんからも褒められるようになってきたんだよ! そういえば最近の修行はどんな調子? まだ法術は使えないの?」
「ぼちぼちかな。法術の方はうんともすんとも」
「そっか。でっ、でもジンは身体強化すごいよね。私なんか練習したのに、全然ダメだった……」
「じゃっ、じゃあ今度教えてやるよ」
「本当!? 約束だからね。」
〜〜〜〜〜〜〜〜
気づけば夕暮れ時になっていた。
「もう夕方かー。残念だね。でもあんまり遅いとナギお姉ちゃんも心配するだろうし帰ろっか?」
「ああ」
ぼそりとジンは呟いて、かっこつけるようにそっぽを向いた。もちろん彼の両手はいつものようにポケットにしまわれている。そんな態度を取りながらも、彼もあっという間に時間がすぎてしまったことを少し残念に思っていた。
そうして二人は来た時と同じように腕を組みながら、もと来た道を歩いて帰った。ジンは寄り添ってくるミシェルの体温を感じ、真っ赤になっていたので、家の前にいたザックにからかわれたが、それを近くで見ていたナギがザックの頭にゲンコツを落としていた。
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