どうも、悪役にされた令嬢ですけれど
佐槻奏多
第1話 婚約破棄、されました
「リヴィア、シャーロットに何をするんだ……!」
膝までの水深しかない池から引き揚げた少女を背中にかばい、赤い髪の青年が私を睨んでくる。
なんだか困ったことになったと思いつつ、私は言うだけ言ってみた。
「私、何もしていませんが? その方、自分から池に落ちたのですよ?」
――しかも横っ飛びで。
あれはものすごく驚いた。
なにせ池にかかった橋を渡っていたところで、ものすごい勢いで走りこんできたあげく、「ほっ!」という短い掛け声とともに自ら池に降り立ったのだ。
池は膝までの水深とはいえ、ものすごい水しぶきが上がった。
そういえばちょっとドレスの裾にかかったかもしれないと思い、リヴィアはちらりと下を向いて、自分の鴬色のドレスをチェックする。……あ、大丈夫だった。
「どこを見ているんだリヴィア!」
まだ怒っているらしい青年の声に、顔を上げる。
「むしろなぜ私の言葉を信用してくださらないのですか、フェリクス」
淡々と返す。
なにせこのフェリクスは、自分の婚約者だ。
つい半年前まではパーティーですれ違ったことしかなかったけれど、婚約を結んだ後は月に一度は手紙のやりとりなどをしてきたし、会えばそれなりに談笑するような穏やかな関係を築いてきた。
私のような地味な容姿の女が相手では、すぐに恋に落ちたり、愛情を抱いたりしないのは承知していたけれど、半年の付き合いの中で、彼がこちらの意見をつゆほども聞かずに断じてしまうような、そんな人ではないと判断していたのに……。
好みの女の子が困り顔をしていたら、家同士の合意と無難だろうという打算で婚約した私なんかは、ポイするような人だったようだ。
だってフェリクスの声が、私の心に流れ込んで来るのだ。
『ああ可愛い僕の金の小鳥、今僕が助けてあげるから』
『悪い魔女を退治して、早く二人きりで語り合いたい……』
――うわぁ。
思わずうめいてしまいそうだけど、口を閉じて何も言わない。
なにせ私が他人の心の声が聞こえる――といっても限定的な範囲――のは、誰にも秘密だから。
こういう力を『祝福』という。
神様から特別に与えられる力らしい。
でも私の『祝福』はどうしようもない能力だった。
なにせ、『恋している人の、心の中で思い浮かべたポエムだけが伝わる』というあまりにも何も使えないもので……恥ずかしいので隠していた。
でも、これは結婚生活が不安になってくるわね。
完全にシャーロットに心が傾いて、私の言葉を聞く気がないのだもの。
一方、原因を作ったシャーロットの方は、フェリクスの背後で怯えた表情をして、口元に手を当てている。
透き通るような金の髪に美しい青の瞳の彼女がそうするだけで、たいていの男性はなにくれと気遣いたくなるに違いない。
砂色の髪に灰青の瞳の平均的な容姿の私など、及ぶべくもないのは自分でも認識している。
見事な横っ飛びを見たばかりの私は、「ぶりっ子なんだな」と思うだけなのだが。
そもそも彼女からは、恋心ポエムが聞こえて来ない。こんな状況なら、少しは陶酔していてもおかしくないのにね?
だからシャーロットは、それほどフェリックスを好きなわけではなく、利用したいのかも。
(なんにせよ、フェリクスはこういう女性が好みだったんでしょうね)
その時に思い出したのは、交流のある奥様方が教えてくれていた「男はぶりっ子が大好き」という言葉だ。
可愛らしい仕草や、甘えてねだる姿を見ると、それがわざとであっても別にいいらしい。
聞いた時には少しは自分もがんばるべきか? と考えたけれど、「今がんばってぶりっ子をしてみせても、結婚後に息切れするわよね」と早々に諦めた。
それにしてもフェリックスの行動は不可解なのよね。
シャーロットを庇うのもおかしいけれど、ここへ駆けつけるのも早すぎる。なにせフェリクスが飛んできたのは、彼女が池にジャンプした直後のこと。
解せない。
「信じるもなにも、俺はシャーロットをあなたがその手で突き飛ばすところを見たぞ!」
「ああ……」
フェリクスはわかっていて、私を糾弾しているのかもしれない。
私との結婚が嫌になったのかしら?
とにかく面倒ごとに巻き込まれたことだけはわかったので、ため息交じりに本音を口にしてしまった。
「いえ。そもそも面倒なので、そんなことしませんが」
「めん……!?」
シャーロットが目を見開いて絶句する。え、どうして?
「なぜ通りがかっただけで、突き飛ばさなくてはならないの? 相手が怪我するのも面倒だけれど、そんな行動をするのも面倒だし」
「めんどう……」
青年の方もつぶやき、数秒だけぼうぜんとしていたけれど、すぐに気を取り直したように言う。
「そ、そんな言い訳など通用するか! あなたは可憐なシャーロットに嫉妬して、こんなことをしたに違いな――」
「えぇ……。そもそも、彼女のどこに嫉妬したらいいのでしょう?」
彼女は伯爵家の令嬢だ。私の家よりも家格は上。
だけど、跡継ぎを亡くした子爵が縁戚を頼りに急いで養子に迎えた人で、礼儀作法がおぼつかないのか、時々情緒不安定な様子で奇矯な行動をする。
最初こそ声をかけたりしていた貴婦人達も、順次離れて行っているような有様だ。
そんな彼女を、うらやましいと思ったことはないのです。
外から見ると婚約者の心が奪われた状態だけど、フェリクス様のこと、嫉妬するほど好きだったわけではないし……。
そんな私の態度も、フェリクスは気に食わなかったようだ。
「シャーロットを傷つけていながら、そんな態度をとるだなんて!」
「やめてフェリクス様! 私のためにリヴィア様をそんなにいじめないで! 私が悪かったのよ。何か気に障ることをしてしまったのだわ」
シャーロットが、一歩前へ出ようとしたフェリクスを止める。
気に障るというなら、今現在進行形で迷惑をかけられているけれど……。
心の中でそうつぶやくけれど、それを二人に伝えるとさらに面倒なことになりそうで途方にくれる。
すると、別な方向からの声が私を援護してくれた。
「私も見ていたけれど、リヴィア嬢は指一本触れていなかったわよ?」
近づいてきたのは、池にかかった小さな橋を渡った木の陰にいた人だ。
ブルネットの髪を美しく結い上げたその女性は、飾った大輪の宝石の花々にも負けない、妖艶な顔立ちをしている。
この方は、第一王女アレクシア様。私の一つ上の19歳なのに色気に溢れていて、ただ目を奪われてしまう。
私はアレクシア様に一礼する。
それを見て思い出したのか、シャーロットの側にいたフェリクスも、慌てて胸に手を当て膝を曲げた。
「王女殿下にはご機嫌うるわしく……」
「うるわしくはなくってよ? わたくしのお茶会の解散後とはいえ、妙な騒ぎを起こされたのですもの」
フェリクスは押し黙った。
さすがに王女が「見た」と言ったのに、そこで私が悪いのだと言い続けたら自分が不利になる、と思ったようだ。
「申し訳ございませんでした」
フェリクスが王女に再び首を垂れる。さすがのシャーロットも何も言わない。王女に物申すとマズイことになると判断できたのだろう。
だとすると、フェリックスは私の家の格が低いからこちらをあなどっているのかしら? フェリックスの男爵家としても、伯爵家とつながりができる方がいいと判断したのかもしれない……。
とにかく王女殿下の登場で、この場は収まった。シャーロットは着替えのために立ち去ってくれる。
フェリクスが付き添うのが、どう考えてもおかしいのだけれど、もうどうでもいいか。
「大丈夫?」
王女殿下と一緒にそばまで来ていた友人のエリスが、私をそっと心配してくれる。
「ええ、ありがとう。何もしていないのに、変なことに巻き込まれそうだったわ」
「それにしても、どうしてこんなこと……」
エリスの疑問はもっともだ。でも肩をすくめてみせるしかない。
そして数日後。
フェリクスの男爵家から「婚約の話はなかったことにしてほしい」という連絡があったのだった。
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