誰にでも同じ形(駿豆線、田京駅)

誰にでも同じ形

三島市から修善寺までを結んでいる駿豆線という鉄道があった。電車の本数と車両数は多いのに、乗っている客の数が少ないという事で有名だった。この電車の沿線に学校などはあまり多くなく、乗客の殆どは観光客である。大体の駅で降りると、日帰り温泉施設があるほど、ここは有数の温泉の町で、逆を言えばそれがなかったら、何もない町になってしまいそうだ。

飯村和子のすんでいる田京駅周辺は、その温泉がなかった。駅前といったらなにがあるのだろう?大きな郵便局がたっているだけである。

彼女、飯村和子は、冬休みの間だけ田京駅周辺に住まわせてもらうことになった。きっかけは些細なことだった。学校でのいじめである。といっても和子がいじめをされたわけはない。正確にはしたほうであった。そうしなければ、同級生から仲間はずれにされてしまうからだ。やっぱりまだ小学生の和子には、学校で一人ぼっちになってしまうのは、本当に怖かったから、仕方なくその男子児童の虐めに加担した。いじめた男子児童というのは、所謂混血というやつで、少し日本人離れしたヨーロッパ系の顔をしていたから、みんなが妬んだのだろう。主犯格は同級生の女子児童で、彼の教科書を破ったり、筆箱をトイレ

に流したり、いろんなことをやった。和子も、彼女に命令されて、彼のカバンを、学校の近所にある川の中へ放り投げたこともある。

彼がやってきたという事例は、本当に些細なことであり、別に今の時代であれば、海外から転校生がやって来るのは珍しくない。でも、この田舎の小学校ではちょっとでも、自分と違うところがあると、面白くてからかいたくなったり、逆に嫉妬して虐めてしまうらしい。先生方は、まだなれてないからだと笑っていて、止めようとしなかったから、いじめはエスカレートするばかりだった。

でも、和子はそういう事をやっていると、何となくくるしくなってきて、同級生のように楽しむという事はできなかった。わこちゃん、あんたもやってみなよ、面白いことやっているよ。なんて同級生が、例の男子児童の机に落書きしているのを、果たして本当に面白いことなのだろうか、疑問におもっていた。でも、誰ひとり、疑問に思う児童は他にはいなさそうだった。

なので、和子は学校に行けなくなった。学校に行こうとすると、頭痛やらなんやらで、結局治るのは、学校が終わっている時間になることが多い。医者に見せると自律神経といわれた。まあ、そうなると、とくに決まった治療もないということだ。それなら、いっそのこと、この地域を離れたほうがいい、と彼女の両親は決断を出して、彼女を田京駅近くにある、祖父母の家に預けたのである。

祖父母の家は呉服屋であった。かつて、和子は着物なんて役に立たない商売に感動するものではない、と学校で教師から言われた事があった。一応、勤勉な彼女は、学校で出された冬休みの宿題もこなしたが、それでも時間がたくさんあるので、宿題がおわったら、おじいちゃんの着物屋さんを手伝うことを許された。

それにしても、着物という物は本当に種類があった。はじめのころは全部同じだと思っていたけれど、つるんとした生地やざらっとした生地までいろいろある。和子はまだ未経験だが結婚式の時に着るものと、外出着として着る物とは着る種類も違うという。同じ形、同じ着方なのに、そういう違いが出るなんて、着物って面白いな、と和子も思った。

和子は、おじいちゃんに教えてもらって、着物の種類を一通り覚えた。その日も、おじいちゃんが、新しく入荷してきた着物の仕分けをしているのを見学させて貰ったが、その中に、随分と派手な原色をした、大きな花柄を入れた着物があった。

「あ、かわいい!これ何?」

和子が好奇心からそういうと、

「銘仙だよ。」

とおじいちゃんは答えた。

「どういうときに使うの?かわいいから、彼氏とデートとか?」

「うーん、そうだねえ。そういうときに使う人もいるけど、偏見が強いからね、なかなか売れなくて、捨ててしまうことが多いねえ。」

おじいちゃんは、首をひねった。

「何で?かわいいからそういうときに使うものじゃないの?」

「若い女の子で、歴史を知らない子がよく買っていくけど、事情を知ったらすぐ戻されるよ?」

すぐ戻される?つまり返品?これだけかわいいのにどうしてかな?和子は疑問ばかり沸いてきた。

「あまりにも派手なので、似合わないからでしょ?」

とりあえず、小学生なりの答えを出してみる。

おじいちゃんは、どうも答えを言うのは忍びないという感じなので、和子はそれ以上質問はしなかったが、この疑問はいつまでものこった。

着物は女性用ばかりではない。男性の着物というものもちゃんとある。そして、男性が着物を着ると本当にかっこよく見えるような気がする。でも、現在そうしている人は果たしているだろうかと考えると、なかなか見かけない。勿論、おじいちゃんも着物で接客しているが、お客さんは洋服を着た女性たちばかりで、何だか着物屋さんなのにつまらないなという印象を与えた。おじいちゃんは着物について一通り説明してはいたけれど、お客さんは、説明を無視して自由に着たい人も少なくなく、時には、着物のルールを破って着用している人も少なからず、いた。

でも、お客さんたちは誰一人、銘仙という物はほしがらなかった。

しかし、年末の近くなったある日のことである。

今日も、おじいちゃんの店を和子は手伝っていた。殆どのお客さんは、この店へ来るのには車でやってくる。着物というものが大きなものであるという理由もあるが、元々静岡県には電車が少ないというのがその理由であるらしい。この店には、指定の駐車場がないので、大体の人は、違法かも知れないが、店の前に平気で車を止めてしまう。だから、車の止まる音がすると、あ、お客さん来るな、と予測できて、和子とおじいちゃんは、お客さんを迎える準備を始める事ができるのだ。

でも、そのときは、車の音なんて何もしなかった。

急に店のドアが開いて、

「よし、入るか。あんまり無理をしないで、長居はしないようにしような。」

と、言いながら、二人の男性が店の中に入ってきた。和子が一度でいいから見てみたかった、和服姿の男性が二人、、、。一人は黒色の麻の葉柄の着流しをきて、もう一人は、紫色の着物に袴をはき、羽織を身に着けている。和子はおじいちゃんに教わった知識で、彼らの説明をしてみた。それがあっているかまちがっているかは、別のはなし。

「はい、いらっしゃいませ。」

おじいちゃんの声もいつもより弾んでいる。やっぱり着物で来てくれたほうが、嬉しいんだろうなというのがよくわかる。

そして、和子も、羽織袴の男性を見て、思わずわあと言ってしまうのだった。それくらい、綺麗な人だった。今で言うところの映画俳優みたいな。

「あ、突然押しかけてすみませんでした。正月用の黒大島をほしいと思ってきたんだが、富士市内の呉服屋さんに、麻の葉柄が見当たらなかったので、今日やってきたんだ。」

と、着流しの車いすに乗った男性が言った。では、もう一人の方はなぜここに?

「あ、僕、馬鹿なので、文字の読み書きできないんです。だから、こいつが手伝いで一緒に来てくれたんです。」

と説明されて納得した。

そういえば、和子のクラスでは見かけたことがないが、隣のクラスに、文字が読めないので、担当の先生がそばについているという児童がいると聞いたことがある。なので和子は、文字が読めないと聞いてもおかしな人だとは思わなかった。

「はい、わかりました。麻の葉柄の黒大島で良いのかな?」

おじいちゃんが聞くと、

「おう、それが二大条件よ。黒大島でなければだめだし、麻の葉でないと落ち着かないのよ。」

と、彼が答える。

「しかし、麻の葉といっても、いろいろあるでしょ、大きな麻の葉の着物もあれば、小さい麻の葉のものもある。どれが良いのかな?」

と言って、おじいちゃんは黒大島の着物を何枚か出した。柄は全て麻の葉だ。この柄は無限の可能性を表すほか、終わりがないことから、目がぐるぐる回って悪魔も逃げていくという意味がある。所謂魔よけの柄で、言ってみればダビデの星と共通する意味がある柄だ。勿論、小学生の和子はダビデの星なんて知るよしもなかったが。

「うーんそうだなあ。なるべくならでかい柄のやつがいいよねえ。男はどどーんとでっかく構えるのが大好きだからねえ。夢はでっかく根は深く。なんてね。」

「じゃあ、これはいかがでしょう?」

おじいちゃんは、一枚の着物を差し出す。

「そうだね。もうちょっと柄の白っぽいのない?ベージュはすこし苦手だなあ。僕は白と黒が一番いいんだ。」

と答える男性。

「ちょっと待ってて、前々から倉庫にしまっておいた着物の中で、白黒の麻の葉があったかもしれない。」

おじいちゃんは、そういって倉庫へ行ってしまった。和子はどうしたら良いのかわからなくて、その場にのこった。

「ごめんね、杉ちゃんこういうところに来ると、注文が多いものだから。」

あの、綺麗な人が、和子に向かっていった。和子は話しかけて見たいとおもったが、いざ話しかけられると、緊張しすぎてしまって、返答できなかった。

「水穂さん、体は大丈夫?疲れてないか?」

不意に、着流しの男性がそう質問した。それに対して綺麗な人は、

「ああ、今のところね。」

と答えたので、名前は水穂さんとわかった。着流しの男性は、本名はわからないけど、杉ちゃんと呼ばれていることもわかった。

「はい、もって来ましたよ。倉庫にあった麻の葉の黒大島、全部持って着ちゃった。」

両手にぎっしり着物を抱えて、おじいちゃんが戻ってきた。なんでそんなにたくさんあるの?と聞きたくなるほど、たくさんあった。

「うちもさ、いらない着物を買い取って、こうして売っているんだけど、買いに来る人より、売りに来る人のほうが多くて困ってんのよ。だから、中には処分しなきゃいけないものもある。でも、黒大島は高級品だから、捨てられなくて取っておいてあるのよね。」

そういうおじいちゃんの顔はちょっと寂しかった。

「せっかく着物はいいところがたくさんあるのに、もったいないねえ。」

おじいちゃんは、テーブルの上に黒大島を置く。

「ちょっと一個ずつ見させてもらえないか?」

杉ちゃんがそういった。おじいちゃんがいいよというと、杉ちゃんは、一個一個の黒大島を、広げてみたり、袖の長さを確かめたりして吟味し始めた。

「そんなに真剣に選ぶお客さんは少ないから、嬉しいなあ。」

「確かに。でも僕らは着物のほうがよほどいいよね。そのほうが、着易いし、暑い時でも楽だし。」

なおも杉ちゃんは着物を吟味している。

「そっちのお連れさんも、何か買っていったら?やっぱり黒大島がほしいの?」

おじいちゃんが、水穂さんに言った。

「それとも、いい顔してるから羽二重もいけるかな?」

「い、いえ。そんなもの無理ですよ。そんな高級なもの、着用できる身分ではありません。」

と、細い声で答える水穂さん。着用できる身分ではない、が和子の頭に残った。

初めて聞いた言葉だった。大体こういうところに来るお客さんは、着物が安いと言って平気で高級品も買ってしまうのだが、、、。

「それでは、牛首とか、上田のようなものはどう?よく動くようなら、それも良いかもよ?」

「僕はそれさえも着られる身分ではありません。」

又水穂さんは答えた。あれれ、おかしいな。牛首、上田、米沢と言った紬類は一般庶民というか、お百姓さんが農作業をするときの労働着であったはず。だからジーンズと同じということだ。それさえも着用できないとは?

「わかったよ。」

不意におじいちゃんが言った。

「それでは、これだったら落ち着いて着用できるのかな?」

おじいちゃんは、売り台から、銘仙の着物を一枚出して、水穂さんに見せた。

「はい、まさしく。」

と、答える。

「そうか。まだ、ひどいことされたりする?えったぼしとかそう呼ばれたりしてたの?」

おじいちゃんは、そう聞いた。別に他のお客さんと変わらない態度だった。で

も、水穂さんの方は、かなり驚いているらしく、反応に困っているらしい。

「もう、過去にこだわるのはよせ。変な物ばっかり着てるから、自動的に人種差別があると、思い込んじゃうんだよ。それに、わざわざ差別的に扱われた着物を着るなんて、カールさんが黄色い星印を背負っているようなものと言っていたの、覚えてないのかい?」

と、杉ちゃんが注意した。

「でも、そうしないと、何だかばれたときに怖くて。ばれると、穢多の癖に羽二重なんか着るなと、拷問されるのは目に見えてるし。」

と、答えるので、よほど怖い目にあったのだろうと推量できた。

「だったら、牛首とかそういうのかいなよ。態々人種差別の象徴みたいな着物を着るのはやめたほうが良いと思うよ。」

確かに、杉ちゃんのこの理論は一般的だ。牛首であれば、少なくとも一般大衆

と同じ身分だとごまかすことはできる。

「ううん、やめておく。普通の人ほど怖い者はないから。」

和子もこの言葉は何となく理解できるような気がした。

そう、普通に育ってきた人が、普通でない人を平気でいじめてしまうようになるのが、学校だからである。

子供の和子には、文章で説明することはできないが、その台詞は彼女の心に突き刺さった。

きっとこのおじさんは、長い間ずっと虐めを受けてきたのだろうなということもわかった。それはきっと、銘仙の着物がそうさせてきたというか、そういう事を示している。

和子は、以前社会の授業で、江戸時代までは厳格な身分社会であり、お百姓さんたちよりさらに低い身分とされた人がいたと習わされた。その具体的な名称は、和子はしらない。でも、江戸時代の身分というのは変更ができないことは知っていた。その人たちは、明治時代に新しく平民に区分けされたそうだが、その人たちと同じ身分なんていやだ!とお百姓さんたちが暴動を起こしたこともあるほど、嫌な扱いばかりされてきた人たちであることも習っている。

その子孫である人が、今自分の目の前に立っている。

そして、その人たちの日常着は銘仙だったのだ!

「そうだね。」

おじいちゃんがそういって、水穂さんの話を肯定した。

「本当は君のような人たちを、ごめんね、普通に受け入れるべきだってわかっているんだけどね。でもね、人間あの人よりはましというものがないと、生きていかれない事も確かだからね。」

そういうところは、和子にはわからなかった。

「それはそれで、いいんだと思わなきゃいけないですからね。もう仕方ないですよね。」

水穂さんはもう一度それに同意した。

「つまり、人間は、嫌いな人がいないとやっていけないということなの?」

和子は、子供らしく、そう質問した。

「そりゃ確かに、あたしは、嫌いな人もいるけど、先生はそういう人と積極的に話すことで、別の面が見つかるからって言ってたけど?」

「困りますねえ。そんなこと教えられてたら、生きてはいけませんよね。」

水穂さんは、苦笑いを浮かべて、そういう言った。

「誰でも好きになれるやつというのは、馬鹿でなければできないさ。馬鹿にはどうしてもできないことがあるから、他人に助けてもらわなければできないこともあるんだよ。だから、誰でも好きになるようにならなければならない。でも、目も見えて、耳も聞こえて、手も足もちゃんとあるようなやつが、誰でも好きになるようになったら、それこそ大変だよ!」

不意に、黒大島を吟味していた杉ちゃんがそう発言した。

「人間誰かとくらべっこしなければ生きがいはもてないのさ。例えば、試験の点数なんてまさしくそうじゃないか。まあ、言って見れば、自動的に人間は身分があって、自動的に立ち位置が決まっているの。それを間違えて、飛び越えようとすると、心も体もぼろぼろになって、文字通り迷惑しか与えられない人間になってしまう。」

「そうなの?」

和子は、何だか悲しい気持ちになって思わずそう聞き返した。

「そうだよ。それが成長ってもんだ。自分の身分を早くしって、自分にはこんなことはできないとはっきり諦めること。そして、自分がしなければならないことを黙ってやること。わかるか?」

「そうなんだ、あたしは、お友達が多くて、いろんな人に優しくしてあげることこそ、一番だと思ってた。」

「バーカ!全く学校って百害あって一利なしなんだね。それより、自分の身をどうやって守るかを一番に考えろ。君もきっとそうだったんじゃないの?きっとさ、学校で、変な立場に建たされてさ、先生の言う通りに行動できないからおかしくなったんだ。そんな優しさなんて、何の役にも立たないだろ?だったら潔く逃げちまえ。そして、早く自分を保持し、迷惑をかけない場所へ行け!それこそ、ここでやっていく、一番の方法だから!」

杉ちゃんは、からからとわらった。

「もしよ、それができなかったらどんな大人になるのかは、目の前にいる綺麗な伯父さんに聞いてみな!とにかくな、子供の時ってのはそういうもんなのよ。ただ、大人に迷惑をかけないように生きることが最前提なの。それをやった奴だけが幸せになれるっていうか、ならせてもらえるんだ。やりたいことは年寄りになるまで我慢しろ!それからでも、今なら何も遅くないから。寧ろその方が、教える側もめためたにかわいがってくれるよ。保障してやらあ!」

「杉ちゃん、あんまり世の中のことを諳んじると、かわいそうだよ。彼女はまだ小学生だもの。若い人には、希望があったほうが良いのでは?」

水穂さんが優しくそういってくれて、和子は少し楽になったが、

「バーカ!今から教えないでどうするよ。大きくなってこの事実を知ると、酷い場合は犯罪者になってしまうぞ!ていうか、お前が一番の教材なのになんでそんな発言する?」

又、嘲笑されてしまうのであった。

「本当の幸せって何かな?」

和子は、杉ちゃんに思わず聞いてみると、

「決まってんだろ。毎日飯が食えること。」

さらりと答えた。

「でもね、杉ちゃん。」

おじいちゃんが発言した。

「間違っているところは直さないといけないよ。それはわかる?杉ちゃんがいう事が正しければ、水穂さんは生まれてこなくてもいいということになってしまう。それではいけないでしょ。だから、そこは修正してもらいたいな。」

「でも、爺さん。現実はそういくことはめったにありませんぜ。」

杉ちゃんはすぐ反抗したが、

「修正はしなきゃならないといけないからな。」

おじいちゃんは、年長者らしく、きっぱりと言った。

「どんな人だって、必ず他人に何かしているからな。若いときにはどうしても能率ばかり求めてしまって、どうしても自分ばかりになるけれど、年をとってくると、自分の人生には必ず誰かがいたなという事もわかって来るんだよ。それは、社会的な地位も身分も関係なくね。だから、身分で分断したら絶対にいけない。それは、わしらが、間違えてきたことかも知れないと思って、わしは、そういう事を、修正していくようにしている。」

おじいちゃんかっこいいな。と、和子は思った。

「だからね、銘仙の方が落ち着いて着用できるなんて、そんなことは言わないでもらえないかな?」

おじいちゃんは水穂さんにそういう。水穂さんは戸惑っているようだ。

「でも、これからの人のためにも、羽二重は避けたほうが良いのではないでしょうか?」

「完全に分断されたわけじゃないし、分断する状況は人間には絶対に作れないよ。」

「だけど、ばれたらどうしたら良いんですか。そのときに僕はどのような態度を取れば良いのか、全くわかりません。」

水穂さんは不安そうに言った。

「それはね、さっきも杉ちゃんが言った通り、ドーンと構えていられれば、それでいいよ。だから何!くらいの気持ちで、受け止めてやることさ。どうせ、そういうことを言う人はおおよそ自分の生活に満足していないことが多いんだ。他人の不幸を例にとって、自分が幸せというなんて、おかしな話なんだから、そういうことを言い出したら、あ、この人は大したことはないなって、馬鹿にしてやりなさい。」

「そうですか。でも、ほとんどの人は、僕のような貧困的な環境で育ったわけではないですし。」

「本当にそうかな?わしはこの商売やって、いろんな人を見たけれど、そうでもないよ。確かに、着物が必要になれば、着物を買いに来るけど、本当に幸せだから買いに来るというわけでもなさそうだし、、、。」

おじいちゃんは、そういって頭を掻いた。

確かにそうなんだろう。例えば成人式の振袖を買うにしても、本人は喜ばしいという様子はどこにもなく、親や祖父母と言った年寄りたちが、自分の子供や孫を自慢したいがために買いに来る、というパターンが多い。なかには、子供がかわいそうなくらい着飾らせて、そんなに見えを張りたいのかな?と疑問を持ってしまうほど、見栄っ張りな親もいる。

「だから、さっきの杉ちゃんが言った間違った考え方が、定着してしまうんだ。誰だって、教育を受ける権利はあるし、学びたい学問を学んでよいし、付きたい仕事に着けばいい。それに甲乙つけるのは、周りの大人だけだよ。そこさえ外せば、今の子はもうちょっと楽になれると思うんだけど。ほら、この人がさんざん人種差別されてきたそうだけど、それって、差別されている人が何か悪いことをしたわけではないんだよな。ただ、上の人が勝手に作っただけさ。それを、早くからみせびらかしているからダメなんだ。そういうところは、本来は見せてはいけないのさ。」

「爺さんすごいな。今回は僕の負け。やっぱり、年長者にはかなわないよ。でもさ、そういう気持ちにはどうしたらなれるだろう?若い奴らはきっと自分の事で精いっぱいだし。口で、いくらきれいごと言ったって、全くわかってはくれないじゃないか?」

おじいちゃんの発言に、杉ちゃんは口を挟んだ。

「そうだねえ。それは、長い間生きていかないとわからないのではないのかな?」

そうか。具体的に、こうしろああしろという答えはたぶんないんだろう。

「とりあえずな、わしがよくやっていたのは、どうしてもだめな時は、とりあえず流れに乗ることかなあ。それしかできなかった。変にじたばたしても、かえってさらに悪くなるばっかりで。」

学校の先生は、具体的な目標を作らせて、それに乗って一生懸命努力し、研鑽を積んでいくことをよく教える。それが達成できたかどうか、考えさせて、作文にまとめさせることもよくある。でも、果たしてそれが、ちゃんと役に立つかというと、そうでもない。目標のせいで、負担が増えることも少なくないからである。

「方向なんていくら転換してもいいのさ。大事なことは一番大事な命を落とさないことだと思うよ。そして、自分の持っている権利は、放棄しないでしっかり使うこと。」

おじいちゃんは、水穂さんたちに言っているのではなく、あたしにも、何かを伝えようとしているのではないか、と、和子はおもった。あたしも、学校でいじめをしろと言われたことは確かだけど、あの男子児童が、あたしに対して危害を加えたということは一度もない。ただ、クラスの強い奴にやれと言われて、やっていただけである。そうしないと、あたしが一人ぼっちになってしまうことを恐れて。

「君もね、もし、まだ羽二重を着るのに抵抗があるのなら、羽二重を着てもいいところに、逃げたら?」

「そんな場所あるわけないじゃないですか。銘仙の身分の人間が、羽二重を着てもいいなんていう地域はどこにもありません。海外はもう、この体では体力的に無理です。幸いというか、もしかしたら、もう時間がないということのほうがすくいなのかもしれませんね。」「そうか、若いのに、残念だな。」

おじいちゃんは、昔の人だから、割とこういうことに違和感なくすんなり入っていけるのだと思うが、和子はそれがどういうことか、なんとなくわかった。そして、それは本来であればやってはいけないことであって、周りの人たちに、どれだけ悲しい思いをさせていくのか、を、子供心になんとなく知っていた。

「でも、隣にいる人には、せめて礼くらいしてから、そういう風になれよ。」

「あ、はい。わかりました。」

水穂さんがそういうと、

「いいよいいよ、気にしなくて。僕みたいな馬鹿に礼なんて言ったって、どうせのーたりんには何のことだかわからんよ。」

杉ちゃんはカラカラと笑う。

と、同時に、正午を告げる鐘がキンコンカンとなった。

「あ、もうこんな時間。長居して悪かったね。このさ、黒大島を一枚頂戴よ。」

「はいよ。毎度有。」

杉ちゃんは、支払いがうまくできないのか、水穂さんにお願いして、一万円札を財布から出してもらって、代理で支払いをした。この時も和子は別に驚かなかった。学校の購買へ行ったときも、6年生なのに簡単な足し算もできないので、先生が一緒についていってやっている児童を見かけている。つまり、和子のような今の子供にとって、読み書きそろばんに不自由な子は、結構ありふれているのだろう。もちろんそれに善悪はつけられないけど。

「君も、何か買っていきなよ。せめてここに来た記念にさ。」

おじいちゃんにそういわれて、水穂さんは、

「羽二重はまだ怖いので、庶民的な牛首をください。」

と言って、黒色の牛首の着物を差し出した。

水穂さんは、しっかりとお金を払った。

おじいちゃんは、ほかのお客さんと変わらない態度で、お金を受け取った。

「二人とも、富士市からここまでどうやって来たの?介護タクシーかい?」

おじいちゃんが、着物を畳みながらそう聞くと、

「いえ、電車です。三島駅から駿豆線に乗り換えました。」

と、水穂さんは答えた。実はこの店、田京駅から、歩いて三分もしないうちについてしまうところにたっていた。だからわざわざ車で来る必要もないのだが、なぜかお客さんたちは車でやってくる。そのほうが便利なのだろうか?電車だって連れてきてくれるのに。

「でも、着物って便利だよなあ。高級品から庶民のものまで、みんな同じ形で、みんな同じやり方で着られるからな。」

杉ちゃんの発言で和子はなるほどと思った。

「じゃあ、大事に使ってね。」

おじいちゃんは、畳んだ二枚の着物を杉ちゃんに渡して、

「また来てね!」

と言った。

「ありがとう!」

丁寧にお礼して、帰っていく二人。

たぶんきっと、羽二重を着るような人は車でやってきて、牛首でやってくる人は、駿豆線が連れてきてくれるんだろうな、なんて和子は考えていた。

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