ハートインザルーム

雨雲雷

第1話

 私は夢の中にいる間、常に五つの南京錠が身体に取り付けられています。

 U字型のツルはシルバーで、本体がホワイト。

 両手首と両足首に一つずつ、そして首から提げるように一つ。


 どれもU字の中に身体の各部位を通しているのですが、問題なのは肝心の鍵がないということです。

 ツルのサイズはそれぞれ肌を圧迫しない程度には余裕があるのですが、その大きさではとても頭や手足は通りません。


 なので、私はそのまま過ごしています。

 現実ならさておき、夢の中なら重さや痛みを感じませんし、身体を動かす上でも特に問題はないですから。


 今夜も私は、パジャマ姿で夢の中を彷徨っています。

 舞台は学校。その廊下を進みながら、教室の中を覗き込んだり、窓から外を見たり。


「おっ、発見です」


 廊下の奥にある壁、開けたら空中に出てしまう位置に重そうな濃紺のドアがありました。

 『いつもの』です。毎回これを探すのが当たり前になっています。

 どんな場所でも、それが夢の中ならどこかに必ずこの扉があるんですよ。


 扉にはかんぬき錠が取り付けられていて、動かせないように南京錠でロックされていました。

 その南京錠は、私の身体を施錠している物と同じです。


 私はドアの前にしゃがみ込んで、開けてやろうと奮闘し始めました。

 しかし鍵どころか何の道具もないので、せいぜいガチャガチャと力を加えるぐらいです。

 もちろん、そんな事では解錠できるはずもなく。


 それでも、夢から覚めるまで続けます。


 毎晩、これを繰り返していました。

 変な奴だと思われるので、この件は誰にも話していません。


 最初に何を思ってこの錠前を開けようとしたのかは、もう忘れちゃっています。

 ただ漠然と『ここから出たい』という考えが今も心の奥底にありまして、身体の南京錠は諦めても、このドアだけは諦めたくないといった思いが自分の中にあるんです。

 

 ……今夜もドアは閉ざされたまま、朝を迎えました。



 私が住んでいるこの街は、一年前に怪獣が出現し大騒ぎになりました。

 怪獣は白く尖った鱗で身を覆ったワニに似た姿で、十階建てのビルに負けないほどの大きさがあります。

 ただワニに似ているとは言いましても、異様なまでに発達した筋肉や二足歩行する点などを考慮すると、やはり別の存在だと思わされます。


 突如現れた謎の怪獣は、世界各地に十体一斉に出現しました。

 どんな兵器でも傷つけられず、侵攻を止めることができません。

 進むだけで街はめちゃくちゃになり、間違いなく人類史上最大の危機となりました。


 もはや人類滅亡と世界中の人々が絶望する中。

 颯爽と登場し、見事怪獣を止めてみせたのが『魔法少女』と名乗った女の子たちです。


 怪獣と同じく突如として各地に現れた国籍バラバラな彼女たちは、手にしたステッキの力で空を飛び、光線を放って怪獣の侵攻を押しとどめます。

 最終的に、全ての怪獣の沈黙に成功。

 人々は突然の出来事に困惑しつつも、歓喜したのは言うまでもありません。



 と、ここまでの話は全て後から知ったことです。

 私は怪獣が現れた日も街の中にいたそうなのですが、どこで何をしていたのか全く憶えていません。


 目が覚めたら病院のベッドで、人類の危機は既に去っていました。

 聞くところによると、私は崩れた家屋の下敷きになっていたのだとか。

 頭には包帯が巻かれていましたし、きっと強く打ったのでしょう。そのせいで記憶に欠落があるようです。

 ただお医者さんが言うには、あるいは精神的ショックが原因かもしれないとも言われました。


 まあ、この点については特に悲観しておらず、命が助かっただけでラッキーだと考えています。


 復興が進む街で引き続き平凡な女子高生ライフを送ることができるんですから、それだけで満足すべきです。

 ハルちゃんとサキちゃんという二人の親友も無事でしたし、これ以上を望むのは贅沢というものでしょう。


 一時は休校となった学校も再開し、遅れた分を取り戻すかのように授業は進められています。

 勉強に疲れると、教室の窓から景色を見るのが癒されますね。


 今も街には、怪獣の姿が見えます。


 ニュースではあの怪獣が『転魔』と名付けられたことが報じられ、魔法少女でも動きを止めるのが精一杯であり、倒すことはもちろん移動させることすら不可能と発表されました。

 そのため転魔は、未だ世界各国の街中に放置されています。

 雨が降ろうが雪が積もろうが、いつだって沈黙したままそこに佇むだけ。

 まだ何か作戦が続いているそうなのですが、それもどうなったのやら。


 災厄の象徴であると言われつつも、一年も経てば見慣れた街の一部と思えるように私はなりまして、近くで見上げても恐怖の感情は生まれません。

 それは、私に襲われた記憶がないためかもしれませんが。



 学校から帰宅後、スマホでネットにアクセスしました。

 夢の鍵問題を解決する、手がかりを探そうと思ったのです。 


 ちなみに魔法少女側の要請らしく、彼女達の顔や名前はネットに一切公開されておらず、メディアでも徹底的に伏せられています。

 それどころか魔法少女を撮影した画像や動画をネットにアップロードすると、非常に重い罰を科されるという特例まで発表されました。


 全ては今後行われる作戦のために必要なのだとか。

 正体がバレるとなぜ作戦が台無しになるのかは知りませんが、その作戦とやらが最終段階に入れば公開許可が下りるそうです。


 正直興味がないので、気にしていません。

 あくまでも私にとって大事なのは人類全体の問題ではなく、自分自身の問題というわけです。


 最近お母さんに「少し冷めた性格になったわね」と言われ、お父さんも頷いていました。

 とはいえ、『まあ、あんな事があったから……』と記憶を失うほどの怪我を負った件を考慮し、家族全員納得しています。


 もしかしたら私が魔法少女という可能性もありますが、人に言われたことがないので違うのでしょう。多分。


 それはさておき、ネットサーフィンで小一時間ほど経った頃、少し面白い記述を見つけました。

 アメリカでは非常時に扉を破壊するための斧を『マスターキー』と称しているみたいです。


 鍵がないのなら、壊してしまえばいい。


 どうしてその発想に、私は今まで思い至らなかったのでしょうか。浪費してきた日々が悔やまれます。

 なるほど、斧ですか。

 これまで無縁な物でしたが、まさか夢で必要になるとは。



 何度目かの夜を迎え、ついにその機会が訪れました。


 木漏れ日が降り注ぐ森の中に立っていた私の手には、念願の斧が。

 それを決して手放さないよう強く握り締めて、あるはずのドアを探します。


 ありました。はめ込むようにして、大きな木に取り付けられています。


 すかさず斧を振りかぶって、力強くかんぬき錠に叩き込みます。

 その一撃で、頑丈な錠前はいとも簡単に歪みました。


 いけると確信し、何度も斧を振り下ろします。

 そしてついに、かんぬき錠が南京錠を付けたまま落下。

 何度かドアにも当たったのですが、そちらは全くの無傷でした。


 斧を手放し、ドアノブに手をかけ回します。

 押せば、あっさりとその先が見えました。


「おお~……」

 見えたのは赤いカーペット。廊下ですね。

 ドアを完全に開けて、外へと出ました。


 廊下はどこまでも続いています。

 一体、何部屋あるのやら。両側の壁には、閉ざされた扉がずらりと並んでいました。

 天井のシャンデリアが、薄暗く廊下を照らしています。

 洋館……というよりはホテルの方が近いでしょうか。不気味さは感じず、ひとまず小綺麗な空間という感想が浮かびました。


 うーむ。

 ただ出ただけでは満足できません。

 朝が来るまでこの場所を探索しましょう。

 パジャマに南京錠という謎ファッションで、洋風の廊下を裸足で歩き始めます。



 足の南京錠が床を擦る音以外は、何も聞こえてきません。

「静かですね……」

 思わず独り言を漏らしてしまいます。


 ドアの向こうには部屋があって、中には人がいるんでしょうか。

 そんなことを考えながらしばらく進んでいると、行き止まりに着きました。


 これ以上直進はできませんが、その代わりに階段がありました。

 上か、もしくは下の階に行けるようです。


 私の部屋はドアを開けたままにして目印とし、階段を上がってみます。

 

 他の階も、同じく長い廊下と並んだドアがあるだけでした。

 しかし構造は一緒であっても、ドアの色が違います。

 階が変わると色も変わるようですね。


 ひたすら階段を上がります。

 手すりに手首の南京錠をぶつけながら、いっそ屋上を目指そうかなーなんて思いつつ上へと。

 一応、一階上がるごとに廊下を覗いてドアの色を確認しつつ進みました。


 そして、私の部屋があった階から上がること十二階。

 さっと見るだけのつもりで顔を出した廊下の途中に、大きく開いている紫色のドアを見つけました。

 階段はまだまだ上へと続いていますが、気になったので行ってみることにします。


 目的の部屋は階段からそう離れておらず、すぐに到着。 

 そっと中を覗いてみると、真っ白なワンルームがありました。

 広さは大体六畳ぐらいでしょうか。


 人の姿はなく、窓や家具の類も一切なし。

 単なる白い箱の中、といった無機質な空間です。


 とりあえず入ってみましょう。

 裸足で白いタイルのような床を踏むと、夢の中なのに冷たく感じます。

 部屋の中央まで進んだところで――バタン。


「えっ?」

 突然ドアが閉まりました。


「いやいやいや……」

 閉じ込められただなんて、そんな。

 苦笑しますが、内心かなり焦ってます。


 そしてドアに向かおうとしたところで更なる不運が。

 どうやら、朝のようです。目覚めの感覚が襲ってきました。


 あっでも、夢だから別に何の問題もないんでした。

 ここに閉じ込められたとしても、現実に脱出すればいいだけですしね。



 穏やかな気持ちで目を開けると、白い天井が見えました。

 まだ夢の中にいるのかと錯覚しましたが、そうではないみたいです。

 この部屋には窓があって小さなクローゼットがあって、何より私はパイプベッドの上で眠って……。


 ……ここは病室のようですが、私は一体いつ入院したんでしょうか。


 ひとまず上体を起こしただけで、妙に疲れました。

 身体がだるいというか、重いといいますか。


 とりあえず状況整理をしようと思った矢先に、病室の扉がスライドして知らない女の人が入ってきました。

 誰でしょう。尋ねようにも、うまく声が出せません。


 目が合うと、その人は目を見開いて固まりました。

 とても驚いているようですが、私だってそうです。


「アカリ……!」

 女の人は荷物が手からずり落ちたことにも気付いていない様子で、なぜか感極まったようです。

 目に涙を浮かべて、私を優しく抱き締めてきました。


「よかった……ようやく目が覚めたのね……!」

 そう言われましても。


 ……察するに、この人はアカリという人のお母さんでしょうか。

 思い出そうとすると、確かに記憶が呼び起こされました。推測は当たっていたようです。


 と、当たり前のようにアカリさんの記憶を思い出していますが、私はリオです。

 決してアカリという名前ではないのですが……。


 もしかして私は、アカリさんの身体に入ってしまったのでしょうか?


 なぜ。

 思い当たる節があるとすれば、やはりあの白い部屋です。


 その後お医者さんもやって来て、色々と話を聞きました。

 どうやらアカリさんは、交通事故によって半年もの間昏睡状態だったようです。

 怪我は完治し後遺症もないそうですが、意識だけが戻らなかったと説明されまして。


 ですが、そもそもあの部屋は無人でした。一体どういうことでしょう。

 もしや……とは思いますが、そういうことなんですかね。


 その日は話を聞いたり点滴を受けたり、担任の先生や友人の方たちが見舞いに来て、ずっとベッドの上にいながらも慌ただしい時間が過ぎていきました。


 誰もが私に優しくしてくれます。

 彼女は随分と人に愛されているようですね。


 私は別人だと伝えるのは簡単でしたが、それはできませんでした。

 実行しようかと考えただけで、なぜか心が痛んだからです。


 今夜は病院で過ごすようにと、お医者さんに言われました。

 眠ると、再び昨夜の白い部屋です。

 記憶を整理するかのように、病室や出会った人々が浮かんでは消えていきます。


 それは気にせず、私はこの部屋から出ました。

 何の施錠もされていないドアは簡単に開きます。  


 私がいなくなったら、きっとまたアカリさんの身体は眠り続けるでしょう。

 ですが、私には私の身体があります。

 今日、リオは目覚めていないはずですから、きっとお父さんやお母さん、ハルちゃんやサキちゃんが心配しているのは明白ですから。


 元の部屋に戻るための、下りるべき階数も覚えています。

 記憶通りに進み、濃紺のドアが並ぶ廊下へ戻ってきました。

 そして気付きます。


「……全部閉まってる」

 いや、いやいやいや……!


 私の部屋は階段側から見て左側。

 片っ端から、ドアノブを回していきます。


 ガチャガチャ、ガチャガチャ……。


 焦ります。

 私の部屋が何番目だったかまでは憶えていませんが、その部屋だけはどうか開いてください。


 ガチャガチャガチャ……。


 ドアを揺らし続け、ついに反対側の階段に着いてしまいました。

 途中で私の部屋のドアノブも回したのは間違いありません。ですが開いたドアはありませんでした。

 もしかすると私の部屋に、誰かが入ってしまったのでしょうか……。



 再び、アカリさんとして朝を迎えます。

 自分の身体に戻れないとなると、こちらを借りるしかありません。


 ショックは大きいですが、一つ目的ができました。

 リオがどうなっているか確かめることです。


 そのためには、まずこの身体を元気にすることが必要不可欠でした。

 さらに私の街へ戻るためには、電車を利用するお金も必要になります。

 ともかく準備を進めましょう。


 アカリさんとして日々を過ごし、退院して学校にも復帰しました。

 通う高校は当然変わっていますが、記憶があるので通学ルートや校内で迷うこともなくスムーズです。

 記憶の中にあるアカリさんの言動を参考にし、上手に真似ているので周囲に不審がられることはありません。

 ただ、「ちょっとクールになったかも」といったことは何度か言われました。



 それはともかく、決行の日が来ました。

 体力も多少ついたので、土日を使って故郷に帰ります。


 アカリさんの両親には、私のことを心配してくれていた友達に会いに行きたいと話しました。

 その友達とは、ハルちゃんとサキちゃんです。

 アカリさんとは何の関係もない赤の他人ですが、私自身の友達であることは間違いないので。

 電車賃はこちらのお父さんが出してくれることになり、その他の出費は手持ちで十分足ります。


 いざ、確かめに参りましょう。



 ……嫌な予感は見事に的中し、落胆するほかありません。


 自宅の外から様子を窺っていたところ、リオが家から出てきました。

 ぎょっとします。

 ドッペルゲンガーを見てしまった気分というものを、今まさに体験しました。


 こっそり尾行すると、リオは駅前のカフェでハルちゃんサキちゃんと合流。

 店内に入った三人を追って、私も一人で入店します。

 どうせ顔でバレることはないので、隣のテーブルに着席しました。背を向ける必要もありません。

 注文を済ませて聞き耳を立てます。


「転魔がこのままなら、世界は平和なんですけどね」


「気を抜いてはいけないよ。転魔はまだ存在している」


「そうだね。でもきっと大丈夫だよ!」


 二人はリオが偽物だと疑う様子はありません。

 私がアカリさんを演じ通せたように、彼女もリオ役をこなしているのでしょうか。

 店員さんが持ってきてくれたコーヒーをちびちびと啜りながら、盗み聞きを続行します。


「時間の問題なのは間違いありませんが、うまくいきそうですか?」


「うん! あの様子ならきっと成功するよ! ね、ハルちゃん?」


「ああ。そう信じよう。だがもしダメだったら、次は私が封印役を引き受けるよ」


 一体何の話をしているんでしょうか。

 リオとしての私の記憶には、思い当たるものはありません。

 となると、私が出ていってからの事ですかね。


 店を出た後も尾行を続けましたが、ハルちゃんとサキちゃんは、リオが偽物だということに最後まで気付きませんでした。

 私たちの友情は確かなものだったはずなのに、酷く裏切られた気分です。


 もはや私は、アカリさんとして生きて行くしかないのでしょうか。

 むしろ、そちらの方が幸せに生きていけそうな気がします。

 どのみち本物のアカリさんは、恐らく……。



 すっかり日が沈みました。

 私は今日、この街に住んでいるアカリさんの親戚の家に泊まらせてもらう予定です。

 ですがそのお宅にお邪魔する前に、解散しそれぞれ別方向へ歩いていく三人のうち、誰かに接触しようと決めました。

 さすがに、このままでは終われませんから。


 悩んだ結果、私は偽物のリオを追いました。

 夜も明るい都会の大通り、歩道橋の真ん中で彼女の背中に声をかけます。


「ま、待ってください……」


 階段を駆け上がったので、少し息切れをしています。

 振り返ったリオは、訝しむような表情を見せました。


「私に何か用ですか?」


「はい。回りくどい言い方をしても仕方がありませんし、はっきりと言いますね。私がリオです。あなたは誰ですか?」


 問い詰めると、偽物はとても驚いた様子で私を見ます。


「夢の中で、あなたは私の部屋に入ったんですよね?

  私の記憶を参考にして、私の真似をしていますよね?」


「あ、あの! ちょっと待ってください! 少しだけ考える時間をくれませんか。ええと、つまり……」


 かなり動揺しているみたいですね。

 目の前に本物が現れたとなれば、それも当然でしょう。

 私も、もし本物のアカリさんを名乗る人物に問い詰められれば、似たような反応をしてしまうと思いますし。


 それにしても、こうして目の前にリオがいて話をするというのは変な感覚です。

 まるで鏡と喋っているようで、不気味というか何というか……。


「……やっぱりそうです。間違いありません……」


 偽物は何か、合点がいったようです。


「何のことですか?」


「あなたが誰なのか分かりました。よかった。私も、あなたと一度話をしたいと思っていたんです」


「はい……?」


「混乱するのも無理はないですよね。全ては、私たちが仕組んだことですから」


「仕組んだ? え、何の話ですか?」


 わけが分かりません。

 そもそも私の話はどこに行ったのでしょうか。


「あなたではなく、私が本物のリオです。私の記憶を参考にして真似をしていたのは、あなたの方なんです」


「……?」


 偽物にそう言われ、呆然となります。

 しかし、すぐにそれは違うという強い感情が湧き起こりました。


「……いや、いやいやいや。それはおかしいですよ。だって私には、リオとしての記憶しかありませんし! おかしいですって! 私が私じゃないのなら、私は一体誰なんですか!」


「あなたの本来の記憶は封印してあります。あなたは自分が何者なのかを忘れた状態で、私の中に入ったんです。そのせいで勘違いしたんですよ」


 気が動転している私に対し、どこか申し訳なさそうに、本物を自称するリオは語ります。


「あなたにそうやって、勘違いをさせることが私たちの狙いでした。あなたには、とても酷い事をしたかもしれません。ですが私たち人間が生き残るためには、こうするしかなかったんです。これが、唯一の手段だったんです……」


 言葉尻は消え入るようで、なんだか可哀想にすら思えてきました。

 私は、どうすればいいんでしょう。

 何を言えばいいのかも分からず、とりあえず浮かんだ疑問を口にします。


「じゃあ、あなたは私の部屋に外から侵入したのではなく、元から中にいたということですか?」


「はい。あなたが私の中から抜け出したのは、すぐに気が付きました。あなたがいなくなったことで私の意識が戻りましたから。最初から、あなたが自分の身体に戻るのは時間の問題だろうと考えていましたし」


 ……とにかく私は、騙されていたということなんでしょうか。

 少しだけ理解が進んだ今、そう思えます。

 ですが、なぜ?


「あなたは自分の身体に戻るのかと思って、あれから毎晩あなたの部屋を確認していたんですよ。ですが戻った様子はなくて、どこに行ったのか気になっていたんです。あなたにかけた魔法が破られた感覚もなく……」


 彼女は、一方的に話し続けています。


「やがて私たちの魔法は効力を失って、記憶は戻るはずです。どうせ知られてしまうんですから、先に言っておきますね。あなたの部屋は、最も下の階にあります」


「最も、下……」


 聞こえた言葉を、うわごとのように呟きました。

 口に出すことで、頭の中がめちゃくちゃになっている今でもなんとか記憶します。


 不意に、手を取られました。

 見れば私の右手を、彼女が両手で包み込んでいます。

 目は真っ直ぐに、私の瞳へと向けられていました。


「最後に、一つだけ……元の自分に戻っても、どうか優しさを忘れないでください」


 そう言って、リオは去っていきました。

 彼女が階段を下りて見えなくなってからも、私は立ち尽くしたままです。

 下を走る車のエンジン音は、こんなにもうるさかったでしょうか。



 夜。

 かつて真っ白で何もなかったアカリさんの部屋は、私の心情を表すように黒くドロドロとした空間になっています。

 そのドロドロは私の身体にも纏わりついて、南京錠を侵食しました。


 首の南京錠が、ボロボロになって崩れ落ちます。

 その直後、頭が急速に冴えわたる感覚に襲われました。


「……ああ、全部思い出しました」


 部屋を出て、階段に向かいます。びちゃびちゃと、足音にそんな音が混ざります。

 手足の南京錠は未だ残っているようですが、すぐに取れるでしょう。


 迷いのない足取りで階段を下りていきます。

 その途中で、下の方から階段を上がる足音が聞こえました。


 出会ったのは、女の子です。

 私に気付いた彼女は、最初驚いたものの、まだ人の姿をしている私に縋るような目で駆け寄ってきました。 


「あの、すいません! ここどこなんですか? 誰もいないし、私ずっと迷子になってて……」


 顔だけで誰なのか分かりましたが、一応確認しておきます。


「自分の名前は分かりますか?」


「えっと、星野灯里……です」


「ついて来てください」


 来た道を引き返し、階段を上がっていきます。

 灯里さんに色々と尋ねられましたが、無視しました。

 リオなら優しく答えたんでしょうが。


「あの、せめて名前だけでも……」


「使徒パルノイトアです」


「え? しと……?」


「冗談ですので忘れてください」


 以降は何も答えず、やがて彼女も無言になりました。


 そして、アカリさんをあの部屋へと送り届けます。

 私が去った後、部屋は元通り真っ白になっていました。


 最後に心残りが一つ消えたのは、まあ、よかったです。


 その後、改めて階段を下りていきます。

 高層から地上へ向かうというよりも、地上から深淵へと降りていくような感覚です。


 階段が終わりました。

 最も下の階は廊下がなく、広いホールになっていました。

 フロア全体に緑色の照明が備え付けられていますが、その光は弱々しく、ほとんど暗闇です。


 奥に黒い扉がありました。

 今まで見てきたドアよりも、遥かに巨大です。


 扉は、釘を打ち込まれた無数の鎖と、かんぬき錠、そして白い南京錠によって過剰なまでに封じられていました。


 ここで、手首と足首に付いていた南京錠が崩れ落ちます。

 取れましたか、と何気なく左手を見ると、それは目の前で人の肌から黒く淀んだ液状の腕へと変わりました。

 左手だけでなく、全身がそう変化します。


 扉を封じる鎖を掴み、引っ張ると簡単に取り外すことができました。

 打ち込まれていた釘は勢いよく飛び、床に散らばる音が鳴り響きます。


 かんぬき錠に取り付けられた南京錠を掴み、まとめて引っこ抜くと、とてもうるさい音がしました。

 構わず、片っ端から乱暴に外します。


 全て排除が完了し、もう私を邪魔する物は何もありません。

 扉を開けると、そこは一切の光がない闇でした。

 中に入ります。


 懐かしい感覚。


 ようやく私は、私を取り戻したのです。




「神乃市上空より、現場の様子をお伝えします! たった今、本日23時38分に転魔が活動を再開した模様です! 住民の避難は完了しており、転魔の正面にあります高層マンションの屋上には、一年前と同じく三人の魔法少女が待機しております!」


「映像を見る限り、転魔に目立った動きはないようですね。これは作戦が成功したということでしょうか?」


「作戦が成功したかどうかの判断につきましては、まだなんとも言えません! 今は転魔がどのような行動に出るか、様子を窺っている状況です! うまく人の心を学ばせることが出来ていれば、街に被害を及ぼすことなく去っていくだろう。というのが魔法少女側の見解です!」


「そうですか、分かりました。えー、本日は番組の予定を変更し、引き続き神乃市にて活動を再開しました転魔の様子をお伝えしてまいります」

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