真白な恋心

アサミ

1

「俺の夢?

 タマノコシにのることかなぁ」


 幼馴染のグレンが告げた言葉に、私の幼い恋心は粉々に砕け散った。


 玉の輿に乗るとはつまり、お金持ちと結婚するということだ。


 ただの洗濯屋の娘であるアリシアは今、告白もしていないのに振られてしまった。


「ば……ばっかみたい!

 そんなのムリに決まってるじゃん!」


 自分の悲しい気持ちを覆い隠すため、嘲るようにそう言えば、グレンはムキになって言い返す。


「やってみなくちゃわかんないだろ!」


「ムリだもん!

 だってグレン、この間もおねしょしてたし!」


「どこでそれを……!」


「ふふん

 シーツ洗ったの、うちのお店だから」


「そういうの、ショッケンランヨーっていうんだぞ!」


 —————


 ——そんな風にグレンと私は、喧嘩と仲直りを数え切れないくらい何度も繰り返し、いつしか十数年がたった。


 —————


「グレン……何度言ったらわかるの?

 ポケットの中身は空にしてくれないと、間違えて一緒に洗っちゃうって言ったでしょ」


 今回もグレンが洗濯屋に出したズボンには、くしゃくしゃの紙クズが入っていた。

 もちろん洗う前に気づいて取り出したのだけれど、毎回毎回入れられていると文句の一つも言いたくなってしまう。


「自分で出さなくても、アリシアがいつも確認して捨ててくれてるだろ?」


 私に注意されたグレンは、注意を本気に受け取っていないのか、ぞんざいにそう返した。


 短く切りそろえられた鮮やかな朱色の髪に、ルビーをはめ込んだような赤色をした切れ長の瞳。

 若い娘がふと目で追ってしまいそうな、精悍で整った顔立ちでありつつ、笑えば人懐っこい気さくさをのぞかせる。

 長身で、程よく筋肉のついた体躯には、この田舎町では滅多にお目にかかれないウェングナ鋼を使った鎧を身につけ、腰には一振りの大剣を携える。


 ——そんな良い意味で衆目を集める私の幼馴染のグレンは、私にとことん遠慮がない。

 こっちは商売でやっているのに、毎回どれだけ注意してもゴミが入ったまま洗濯物を出すのだ。


「その手間をかけさせないでって言ってるの

 商売としてやってる以上、お客さんはお店のルールに従ってください」


「善処しまーす」


「善処じゃなくて約束しなさい、今!ここで!」


 月日がたち私は実家の洗濯屋をつぎ、グレンは得意だった剣技を生かして傭兵になった。


 お互いに仕事が板についてきた今となっても幼い頃からの付き合いは変わらず。

 グレンは中・長期の仕事が終わるたびに洗濯物を持ってこの洗濯屋を利用してくれている。


 幼い頃は抱いていた彼への恋心も、彼が玉の輿宣言をしたときに打ち砕かれ、今ではすっかり収まりがついて——


「……ねえグレン、聞いてる?」


 注意をしているのに、グレンは持っていたカバンをあさって何かを取り出していた。


「——アリシア」


「なに……、

 ……っ!?」


 不意に私の名を呼んだあと、グレンの両手が私の後頭部に伸びる。

 必然的に私の頭部はグレンの厚い胸板に引き寄せられ、まるで抱きしめられているような状態になって、私は身を硬くした。


「こうか……?

 いや、こうして……」


 動けないでいると、グレンの節くれ立ってカサついた指が、私のうなじに触れてくすんだ茶髪をすくい上げていく。


 背が高いから、見上げても私の顔とグレンの顔がぶつかるようなことはないけれど、グレンのかすかな息遣い、小さい頃とは違ったがっしりとした男性的な体、かすかに香る同じ洗剤の匂い、時折私の耳や首をかすめるグレンの手に……私の顔はみるみる沸騰しそうなほど熱くなる。


(あぁ……バカだな、私。)


 ——この恋心に収まりなどつくはずがない。


 玉の輿宣言をされてから見込みなどゼロだとわかっているのに、告白できないまま、私の恋心は着地点を見失ってしまって、今でもずるずると彼の行動に振り回されてばかりいる。


(だいたい、グレンの距離がいちいち近いのが悪い……)


 グレンは子供のころの幼馴染の距離感を決して崩さない。

 今みたいなボディタッチもなんの気なく頻繁に行うのだ。こんな調子で恋心を忘れられる訳が無い。


「よし、できたぞ!」


 そんな憂悶とした私の気持ちをちっともわかってくれないグレンは、ようやく髪をいじり終えたのか、私からパッと離れた。


 右手で後頭部に触れると、私の伸びっぱなしになっていた髪は、華奢な髪飾りで一つに結ばれていた。


「……なによこれ」


「なにって、ポケットにゴミ入れたままだったことに対する、今回のだよ」


 グレンは洗濯物に紙くずが入っていると指摘するたびに、こうしてと称してものをくれるのだった。


 グレンからもらったはもう10個以上になる。

 仕事で使えそうな筆記用具から、今回のようなアクセサリーまで、全て自室の引き出しの中に大切にしまってある。


 グレンにとってはただのお詫びの品だとしても、私のために選ばれたのだと考えればどんなものより価値があるように思えて、もったいなくて使えないでいるのだ。


 しかし、それほど嬉しいのに、ずっと培ってきた幼馴染の距離感が邪魔をして私は素直にお礼が言えない。


「わざわざこんなもの買うくらいなら、ちゃんと紙くずくらい捨てればいいのに……」


 せめてお礼がすぐに出れば可愛げもあっただろうに、私の口から出たのはそんなつっけんどんな言葉だった。


 ……まあグレンにとっては私がどんな反応をしようが関係ないのだろう。彼にとってはただのお詫びなのだから。


「アリシアは化粧っ気ないから

 それでもつけておけば多少はましだろ?」


「あんたはいつも一言多いわね、グレン。

 ……おしゃれをしないことを、否定はしないけど」


「もしかして、相変わらず節約してるのか?」


 指摘されて、一瞬胸につかえるような痛みを感じた。


「……してるわよ」


 グレンが言う通り私は節約をして貯金を続けている。綺麗な宝飾品には目もくれず、ただただお金を貯め続ける。


 幼い頃から続いている貯金癖の発端は、そう、グレンの玉の輿発言だ。


 グレンが玉の輿になりたいと言ってから私はたいそう悩み、お金持ちじゃないという条件だけでグレンへの恋慕を消したくなくて、「お金持ちになってグレンの眼中に入ろう」と決心したのだった。


 それからというもの、もらったお小遣いは基本的に全て貯金して、大人のお手伝いをして駄賃をもらっては、また貯金をした。


(……でも結局それは

 頑張ったところで私は本当のお金持ちにはなれない。)


 しかし気づいた時にはすでに貯金癖がついてしまい、今も続いている……と言う寸法だ。


「そんなにお金が必要なのか?」


「そうね。2000万Gゲルタくらいあればいいんじゃないかしら」


 そのくらいあれば小金持ちを名乗ってもいいくらいの金額だろうと口にする。


 もっとも、今の貯金ペースを考えれば10年以上はかかってしまう目標だから、達成している頃にはグレンも結婚をしていて、結局使い道はなくなってしまいそうだけれど。


「2000万Gゲルタ……」


「なかなか難しい額だけれど

 目標は大きい方がいいでしょ?」


「ま、それもそうだな」


 幼い頃からくだらないことや些細なことで喧嘩をよくしてきたけれど、グレンは人の夢だけは決して笑わなかった。


 普段はふざけていることが多いのに、要所要所で見て取れる彼の誠実さが、私は好きだ。


 ——この想いが届かなくても、もうしばらくはこうして、彼とたわいない話ができる関係でいたいと思う。


 しかし私のささやかな願いは、すぐに打ち砕かれることとなるのだった。


 —————


「お見合い……?」


 母親が持ってきたのは、となりの町で働いている男性との縁談だった。


「そうよ、実直ないい人だって話なの」


「待ってよいきなり……

 私、まだそういうの考えてないんだけど」


「そう?

 でもアリシアったら、昔から浮いた話が一つもないじゃない。

 せっかくだし会ってみなさいよ」


 親が言っていることは納得がいかないだけで、理解はできる。


 浮いた話が一つもないのは、ずっとグレンへの片思いをひた隠しにしてきたからだ。だから親は余計に心配なのだろう。


「……せめて、あと3年待って

 まだ仕事を頑張りたいから……」


「いいお話だったのに……写真だけでもみてみない?」


「——わかった、見るだけね」


 結局お母さんの押しに負けて、私は写真だけ受け取ったのだった。


 お見合いを断ったのは、いまだにグレンへの気持ちがあるままでお見合いに望むなんて、相手に失礼だと思ったからだ。


(……でもそろそろ潮時なのかな)


 このままでいたって、どうにもならないことは私が一番よくわかっている。

 ずっと子供のままではいられないのだ。


 ・・・


「いらっしゃいま——、あ、グレン」


「よぉ、また頼むわ」


「なんか最近来るの早くない? 暇なの?」


「ちげーよ

 俺が凄腕だから仕事がすぐに終わって、次々依頼が入っていろんなとこに行くんだ」


「へー」


「あ、信じてないだろ

 これでも傭兵斡旋所じゃ評判いいんだぜ?」


 グレンはすこし誇らしげに、演技っぽく胸を反らしてみせる。

 大の男なのにその動きはちょっと可愛らしくて、私の頰は思わず緩みそうになった。


 グレンの傭兵としての評判は、私も耳に挟むことがよくある。


 幼い頃からガキ大将で、喧嘩は誰にも負けなしだったグレンは、傭兵という仕事が天職だったようで、最近では貴族からも指名されるらしいのだ。


 でもそれを知っているとはなんだか言えなくて、私はまた可愛げのない態度を取ってしまうのだった。


「ふーん、評判いいんだ。

 じゃあ頑張って稼いでうちにもじゃぶじゃぶお金落としていってよ」


「はいはい

 お前、ほんとに稼ぐのが好きだなー」


 グレンはそう言いながら洗濯物をカウンターに置いた。


「……と、待ってグレン。

 このジャケット、ボタンが取れかかってる」


 このまま洗濯してしまうと、洗濯機の中で行方不明になってしまう可能性が高い。


「あ、ほんとだ」


「こっちでつけちゃっていい?

 糸は目立たない黒いやつがあるから」


「いいのか?

 じゃあ頼むわ」


 グレンに許可をとって、私は下の戸棚から糸と針を取り出して手早く取れかけたボタンをつけた。


「はい、できたよグレン……

 ……グレン?」


 返事がないのを不審に思ってふとグレンを見上げると、グレンはカウンターの上に置いてあった写真を食い入るように見ていた。


「アリシア、これ——」


「……あぁそれね、お見合い相手として紹介された男性の写真」


「お見合い……」


 グレンは写真を握りしめて、相手の男の人を凝視している。


「そう。お母さんが心配して隣町の人を紹介してくれるって。

 ほら私、今までそういう浮いた噂なかったじゃない?」


 断った話だから写真は返す予定だったけど、そのままカウンターに置いて忙殺されていた。それをまさかグレンに見つけられるなんて運が悪い。


「と、とりあえず返してもらっていい?

 グレンは興味ないでしょ?」


 なんとなくそれ以上お見合いの話をされたくなくて、私はグレンから奪い取るように写真を返してもらった。


「あ、あぁ……いや、なんか……

 俺たちもうそういう年なんだなって思って」


「……そうだね」


 気づきたくなかった。ずっとこのままでいたかった。

 洗濯屋をずっと営んで、たまに大好きな人が——グレンが、訪ねてくれるようなそんな穏やかな日々を夢見ていた。


 でもずっとこのままではいられないんだ。

 いつかグレンの隣には私じゃない誰かがいて、洗濯物だって、きっとその誰かに洗ってもらったりするんだ。


(……嫌だなぁ)


 汚れた服が洗って綺麗になっていくように、私のこころも真っ白になってしまえばいいのに。

 ぐずぐずと滲んで汚れていくばかりだ。


 —————


「そうだアリシア、俺しばらく来ないから」


 グレンが洗濯物を出すついでに、ふとそんなことを言ったのは、お見合いの話をしてから1週間後のことだった。


「ど、どうしたの突然……」


 グレンが改まって自分の不在を伝えることなんて今までに一度もなかった。

 幼馴染といえど、そんなことまで伝えるような間柄ではなかったからだ。


「大口の仕事が決まってさ、結構時間がかかるみたいだから」


「……危ない仕事?」


「都の要人警護の仕事なんだ。

 今までの仕事よりは少し手荒いとは聞いたな」


「そっか……」


「おう。だから今出した洗濯物はそれが終わったら受け取りに来る。

 もう明日の朝早く出立だから受け取ってる暇ねーや」


「そんなに早く?」


 急に決まったことと、不在だとわざわざいいに来ることとを踏まえると、本当に危ない仕事のように思えた。


(グレンが強いってことは知ってるけど、本当に大丈夫なのかな……?

 それに、一体どうして急にそんな仕事を受けたんだろう?)


 グレンは強いけれど仕事に対しては真摯で、毎回準備を完璧に行う用意周到な男でもある。

 だからこんなに慌ただしく出ていくことなんて初めてで、私はなんだか不安になってしまった。


「気をつけて……いってらっしゃい

 怪我、しないでよね」


 いつもの可愛げのない言葉は出てこなかった。

 本当にグレンが心配だったからこそ、するりと素直な言葉が漏れる。


 そんな私の言葉を聞いたグレンは、きょとんと目を丸くした。


 無理もない、普段あれだけつっけんどんな悪友のような態度を貫いているのだから、突然素直になられたら驚くだろう。


 そのグレンの表情を見て、慌てて誤魔化そうとした私よりも早く、グレンは嬉しそうに破顔した。


「……なんだ、俺が心配か?」


「だ、だれもそんなこと言ってないじゃない!

 怪我をすると服が血で汚れて、洗うのが大変だから……だから……!」


「悪い悪い、そんなムキになるなって」


 グレンはここ最近見た表情の中で、もっとも嬉しそうな顔をして、私の頭をぽんぽんとなだめるように撫でる。

 ……触れられて嬉しいような、子供扱いされて悔しいような、ないまぜの感情が生まれた。


「準備もあるしそろそろ行く。」


「ちゃんと帰ってきてね」


「やっぱり俺がいないと寂しいんじゃないか?」


「あんたの洗濯物の引き取り手がいなくなって困るのよ。

 売れば少しはお金になるかしら?」


「ひでぇなぁ」


 グレンは笑いながら、お店のドアを開けて出ていく。

 ——けれど完全に扉を締める前に、ふと私の方を振り返った。


「なぁアリシア。

 俺の帰り、待っててくれよ。できれば……変わらずに」


 グレンのお願いの意味はよくわからなかった。

 私はどこにも行かないから、帰りを待つというか洗濯物の引き取りを待つのは当たり前だし、変わらずにと言われても、私は何かが変わるような予定はない。


 でもお願いをしたグレンの表情がいつになく真剣だったから、私は拒否することなどできなかった。


「う……うん……」


 意図がよくわからないままに頷けば、グレンはホッとしたようにまなじりを緩めて微笑んだ。


(不毛だなぁ……)


 ——またあの微笑みに恋をして、私はいつまでたってもグレンから離れられない。

 出ていく背中をいつまでも見つめながら、私はため息を吐いた。


 —————


 グレンが帰ってきたと、お店に訪れた人の噂話から知ったのは、グレンが最後にお店を訪れた日から2ヶ月後のことだった。

 噂からして、グレンが大きな怪我もなく無事に帰ってこれたのだとわかって私は安心した。


「なんだアリシアちゃん、ここ最近ずっと元気がなかったのグレンくんがいなかったせい?」


 お店にきていた客の1人がからかうように問いかける。


「違いますよ、グレンの洗濯物をずっとこっちで預かってるので、気にしてたんです!」


 慌てて否定してあくまで”仕事のため”という姿勢を見せつければ、お客さんは納得したように頷いてから、とんでもないことを口にした。


「……あぁ、それならよかった。

 グレンくん、恋人を連れてきたから」


「恋人?グレンに?」


「うん。噂になってるよ。

 グレンくんが都から綺麗なお嬢さんを連れてきたってね

 本当のお嬢さんらしくて、”玉の輿”だって」


 お客さんたちは次々に噂話をしていく。

 そのどれもが、グレンと、綺麗なお金持ちの恋人の話だった。


 確かに、グレンは玉の輿になるのが夢だって言っていたし、あれだけ見目も良く、強い男性を女性が放っておくはずがない。


 思えば、私がお見合いの話をした時からグレンの様子はおかしかった。

 もしかして、私がお見合いの話をしたからグレンも自分の恋人との結婚を進めようとしたんじゃないだろうか。


(待ってくれっていってたのも、私に結婚の報告をするため……?)


 私にとってグレンは”好きな人”だけど、グレンにとって私は”幼馴染”だ。

 それなら結婚の報告をしそうだ。


 グレンと付き合えないことを、私は本当の意味で理解していなかったのだと、その時やっと気づいた。


(……こうして現実になってからショックを受けるなんて、バカみたい)


 ・・・


 その日の夕方、閉店ぎりぎりになったころ、グレンが店を訪れた。


「こんばんは」


 挨拶をしながら店に入ってきたグレンは、鎧でもいつもの普段着でもなく、おそらく都で買ったのであろう、仕立てのよい小ぎれいな服を着ていた。


(彼女さんの趣味かな……)


 なんて、別の女性の影を見てしまってまた気持ちが落ち込む。


「いらっしゃい。

 服、用意しますね」


 お店の奥にもどって、私はグレンが仕事に出る前に預けて行った服を取り出した。


「はい、合計3点で2700Gになります」


「あぁ」


 特に雑談もなく、淡々と仕事をこなす。そうすれば余計なことは考えずに済むから。


「ありがとうございます、またのご来店をお待ちしております。」


 定型の文句を機械的に喋って、私はぺこりと頭を下げた。

 ……が、グレンは去らない。


「……どうしたんだよ、アリシア」


「どうしたって、何が?」


「さっきから俺と目を合わせないし、全然喋らないし……」


「ただの洗濯屋だからね

 楽しいトークはあんまりできないの」


「……っだとしても、なんで俺を見てくれないんだよ」


 グレンの両手が私の両頰に添えられて、優しく上を——グレンの顔がある方に向かされる。


 久しぶりに見たグレンの顔は、悲しそうに歪められていた。


 泣きたいのは私の方なのに、どうしてグレンも泣きそうな顔をしているのだろう。

 私の様子がおかしいことが、彼にとってそんなに心を乱す事柄だったのだろうか?と疑問が生まれる。


 けれどそれよりも、いつもより綺麗に整えられたグレンの服装や髪型が気になってしまう。


 恋人の趣味なのか、それとも、ご両親に挨拶にいくからそんなに綺麗に整えているんだろうか。


 どちらにせよ服も髪型もグレンに良く似合っていて、格好良くて、それでいて私の手の届かない人に見えて辛かった。


「え……アリシア、なんで、泣いて……」


「……」


「……アリシア?」


 ぼろぼろと溢れる涙で、全部綺麗にまっさらになってしまえばいいのにと思う。

 グレンへの恋心も汚れみたいになくなってしまえばいいのに。


「……なんでもない」


「なんでもないことはないだろ。

 どうしたんだ?」


 グレンは私の頰から手を離して、今度は私の両手を取る。

 大きくて骨ばって温かい手は、私を安心させるように優しい力加減で私の手を包み込んだ。

 それからグレンは少し腰を曲げて、私に目線を合わせた。


「俺がいない間に悲しいことがあった?」


「……違う」


「じゃあ、俺が帰ってきて嬉し泣きか?」


「……なんでそうなるの」


「あはは、今のは俺の願望だな」


 グレンは私を少しでも元気付けようと明るい声で話し続けてくれている。

 その優しさを今までは嬉しく感じていたけれど、今は辛さを助長するものでしかない。


 どれだけ優しくしてくれたってグレンは他の人のところにいってしまう。


(でも、もう諦めなきゃ

 これ以上グレンを困らせたらいけない)


 少しだけ残っていた分別と理性が、私のわがままな心にブレーキをかけた。


「グレン、私に用があるなら……明日、またきて。

 今日はちょっと話せそうにないから……」


「わかった、明日改めて来るよ。

 ……あ、そうだ。これ洗濯物だからまたよろしく」


 グレンは私の言葉に大きく頷いて、カウンターに洗濯物の入った袋を置くと、それ以上の追求はせずに店から出て行った。


 ・・・


 涙をぬぐい心を落ち着けて、グレンの洗濯物のポケットを確認していると何か固いものが入っているのに気づいた。


 取り出してみれば、それは黒い小箱だった。

 ……指輪とかが入るサイズのものだ。極め付けに、都で有名なジュエリーブランドの名前が箱に書いてある。


「……」


 一瞬その箱を捨ててしまいそうになった。

 それをすんでのところで止めて、カウンターに置いた。


 恋人にはなれなくても、せめて良い幼馴染でいたいと思った。


 —————


 次の日、今度は開店した直後にグレンがやってきた。


「……おはよう」


「うん、おはよう

 ……そうだグレン、いい加減ポケットにものを入れるのやめてって何回言えばわかるの?」


「え? 今回も入ってたのか?」


 グレンは私がいつも通りの調子で話はじめたことに少し安堵感を滲ませつつ、問い返した。


「確認してよね……はい、これ」


 私は昨日とりだした小箱をグレンに渡した。

 グレンはサッと青ざめて、私から小箱を受け取る。


「中身……」


「見てないわよ、当然でしょ?」


「そう、だよな……良かった。」


「そういう大事なものはちゃんと管理しないと、彼女を泣かせる羽目になるわよ」


 セリフは淀みなく私の口から漏れた。

 よかった、グレンの彼女の話題をちゃんと話せるじゃないか、私。


「彼女……?」


「噂になってるわよ

 綺麗なお嬢さんを連れて帰ってきて、玉の輿だって

 良かったじゃない、夢が叶って」


「待てアリシア、それは違う……」


「照れなくたっていいのに、水くさいなぁ

 彼女がいたならもっと早めに言ってくれれば、私、アドバイスとか——」


「アリシア!」


 つらつらと彼女の話題を続ける私を、グレンの鋭い声が遮った。


「……ごめん、彼女の話されるの嫌だった?」


「そうじゃなくて、そもそもが誤解だ

 俺には彼女なんていない」


「嘘……だって、綺麗な女の子が一緒だって……」


「それはこのあいだの仕事の雇い主だ。

 田舎村まで来てみたいっていうから、ここまで連れてきた。

 昨日別れてそれきりだ。」


「じゃあ昨日あれだけ小ぎれいにしてたのと、あと、その箱は……?」


「それは、その……」


 グレンはいいよどむと、一つ咳払いをしてから私の片手を取った。

 そして赤い瞳が私の瞳をまっすぐに見つめる。


「アリシア……俺の恋人になってくれないか」


「え……?」


「……昨日あんな格好してたのは、アリシアに告白しようと思って、その、気合いを入れようとしたんだ。

 このプレゼントもそう、アリシアのものだよ」


 繋いでいた片手をそっと離して、グレンは私に箱を開けて見せた。

 ……中にはリングが入っていて、Gグレン toから Aアリシアへ と刻印されていた。


「な、なんで……?」


「なんでってなんだよ。

 俺がお前を好きなことって、そんなにおかしいか?」


「おかしいよ、だってグレン、昔言ったじゃない”玉の輿になるのが夢だ”って……その夢はどうなったの?」


「いや、あれは俺の間違いなんだよ。

 女の子を幸せにするにはどうしたらいいかって親父に聞いたら、まずはお金が必要だって言われてさ。そのあとお袋にお金を貯めるにはどうしたらいいかって聞いたら、”玉の輿”って言われたんだよ

 それで俺、玉の輿の意味をよくわからずに使ってたんだ」


 まさか、長年悩まされ続けたグレンの夢が、ただの勘違いで済まされるとは思っていなかった。

 でもあの時グレンはまだおねしょが治っていなかった年齢だし、言葉の意味を知らずに使っていても、無理ないのかもしれない……


「……待って、それじゃあいきなり大口の仕事を引き受けたのはどうして?」


 こうなったらグレンの不可思議な行動を全て紐解かないと納得できない。


「アリシアがお見合いをするって聞いて、焦って……

 その上で、アリシアが2000万G必要だっていうから今回の仕事を引き受けたんだよ。今回の仕事と貯金と合わせれば、2000万Gを用意できたからな」


 お見合いの話を聞いた時に反応がおかしかったのは、焦ってくれていたからだったのか。そう聞くとグレンが私に向けていた愛情が見えてくる気がして嬉しかった。

 でも——


「私2000万G必要だなんて言ってないけど……」


 確かに2000万Gの話はした。だけどそれはあくまで”お金持ち”の尺度の話であって、2000万Gの使い道があるわけではない。


「え……?」


 今後はグレンが私の発言に首をかしげる番だった。


「いや、それにアリシア、小さい頃から躍起になって節約してただろ?

 何か2000万Gで買いたいものでもあるのかと……」


「……私はグレンが玉の輿になりたいっていうから、お金持ちになるために貯金してたの。」


「……アリシア、俺のこと大好きだったんだな」


「グレンもね」


 お互いに顔を見合わせて笑いあう。


 口調はからかうような幼馴染特有のものだったけれど、お互いの間に流れる恥ずかしいようなもどかしいような空気は、幼馴染以上のものだった。


 私の貯金の使い道はこれからグレンと一緒に決めていこう。

 空虚で意味のないものだった貯金は、2人揃って、やっと意味のあるものになるのだ。

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真白な恋心 アサミ @under_see

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