しらとりえにし
三浦常春
1羽 危うきかな。トラックon鳥
その日長谷はハンドルを握っていた。
時刻は正午過ぎ。片田舎の片道路、円滑としたドライブの最中、長谷は焦っていた。予定していた午後一番の授業に間に合うか否かの瀬戸際だったのだ。
法定速度プラス二十の範囲から出ないよう、メーターに気を配りつつ、前を行く車を追い続ける。いつもと変わらない景色が車窓を流れていた。
対向車線にトラックの姿が見えた。信号も横断者もいないというのに、ぴたりと停まっている。
箱の後ろには渋滞。ハザードランプも点けずに何をやっているのだろう。迷惑なドライバーだ。
減速しつつすれ違おうとしたその時、車体の前をふらつく小さな姿が見えた。
「……鳥?」
鳥だった。白い鳥。大きさはハトくらいだろうか。細い足をペタペタと動かして、無機質の上を呑気に歩いている。
「何やってんだ、あいつ……」
車を恐れる様子はなく、それどころか身体の数倍はあろうかというタイヤに近付いている。トラックの運転手からは死角に当たる位置だ。じりじりと、プレス機が動き始める。
白い鳥が辿る運命は明らかだった。分かっている以上、目に入れたくもない。長谷は逸る気持ちを抑えつつ、視線を前へ移した。
渋滞が視界を掠める。鳥によって引き起こされた滞り。巨大なタイヤを以って原因を踏み潰してしまえば、それはすぐにでも解消される。長谷の知らぬ間に、見ていぬ間に、道は日常へと戻るのだ。
しかしどうしても、長谷の脳裏から白い羽根が消えることはなかった。
「……クソ」
ウィンカーを出す。ハンドルを左へ切る。たまたま目についた空き地へ車を停め、長谷は小さく舌打ちをした。
□ □
鳥は変わらずそこにいた。丸い目を辺りに配り、細い足をちょこまかと動かしている。
トラックの運転手もまた停止したままだった。腰を浮かせ、困惑と焦燥を滲ませつつも、小さな命を前に踏み留まっている。それもそろそろ限界なのだろう、後続車がクラクションを鳴らす。
長谷は手を挙げた。トラックの運転手が、はとしたようにこちらを見る。
手を挙げて車道に立ち入るなど、何年振りだろうか。幼少期の習慣は存在をアピールする為にあったのかと改めて実感しつつ、長谷は歩みを進めた。
鳥は逃げなかった。変わらずふらふらと歩いては地面を突く。長谷はむんずとそれを掴むと、歩道へと戻った。
途端に車は動き出す。滞っていた流れはせっつきながら元の調子を取り戻していく。徐々にスピードを上げるそれを見送って、長谷はふと息を吐いた。
いつの間にか息を詰めていたらしい。全身から力が抜けた。
「あそこにいたら轢かれてたんだぞ。他の人にも迷惑掛けて――おい、聞いてんのか?」
言葉放さぬ動物に語り掛けても仕方ない。そう解していながらも、責めずにはいられなかった。
車が目の前を通り過ぎる。こちらに目を配る運転手の視線は、不審を露わにしていた。
クル。
喉を鳴らす小さな音。それは手の中から聞こえていた。白い鳥。助けたばかりの命が、長谷に呼び掛けたのだ。勿論、その真意は不明である。
「恩返しの予定はおありで?」
応じる声はない。長谷は肩を揺らした。
「お前の所為で遅刻確定だ。何かお礼があってもいいと思うんですけどね」
応じる声は、やはりない。
長谷は授業の単位取得に必要とされる回数分を出席をしていないことになった。今日、手の中の鳥によって、その審判が下されたのである。
大学の卒業に必須である単位ではないとは言え、期末試験を受ける権利すら剥奪されたとなると、気落ちもする。
再び溜息を吐くと、白い鳥が「クル」と鳴いた。
「こいつ、どうすっかなぁ……」
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