第31話

「シルビア?こっちでしょ?」

「そっちは逆戻りになるわよ……。あんた方向音痴なんだから、黙って私に従いなさい」

 ヴァンパイア組の四人と一時的に分かれた、アルベール姉妹一行。普通に道なりで向かっていてはかなりの時間が掛かるので、彼女達は森の中を進んでいた。

「失礼ね、誰が方向音痴よ。多分こっちで間違いないわ」

「"多分"なのか"間違いない"なのかどっちかにしなさい」

「い、いちいち揚げ足取らないでよ!」

「取りたくもなるわよ。それで、どっちなの?」

「だから――」

 自分なりの考えをシャルロットが言おうとしたその時、アリスがそれを止めた。

「シャル」

「あら、どうしたの?アリス」

「そっち、逆戻り……」

「……へ?」

 更に、マリエルとエマの二人もこくこくと頷いて見せる。

「私もシルビアさんの方が合ってると思います。そっちだと、逆戻りです」

「そうだよな。間違いなく逆戻りだよな」

「……」

 もはや返す言葉が浮かばず、シャルロットは気まずそうに苦笑を浮かべるだけ。それを見たシルビアが得意そうに腕を組み、鼻で笑ってこう言った。

「聞いた?逆戻りですって」

「わ、わかってるわよ!みんなして逆戻り逆戻りって……耳にタコができそうだわ!」

「耳にタコはそう簡単にできるものじゃないわ。安心しなさい」

「うるさい!」


 それからしばらく、一同は森の中を進み続ける。現状が現状なので走る事も考えはしたものの、アリスとマリエルの体力を考えてそうはしなかった。

 シルビアはその為に、ヴァンパイア組を送らせたのだ。

 とはいえ、悠長に歩いている内に、シャルロットが焦燥感を覚え始めた。

「ねぇ、大丈夫かしら……?」

「大丈夫よ」

 何が、とは訊かずに、シルビアはそう答える。

「あいつらだってそれなりの実力を持つ上級ヴァンパイアだもの。まぁ、私達に比べれば大した事ないと言えるけど」

「それは否定しないわ。でも、ノアって奴の口振りからすれば、相手だってかなりの力を持ってるらしいじゃない。やっぱり急いだ方が――」

 するとシルビアは、シャルロットの話を遮るように彼女の肩をぐっと掴んで自分の方に寄せ、耳打ちで話し始めた。

「確かに状況を考えれば、悠長に歩いている場合ではないわ。でも、私達以外の三人はどうするつもりよ?三人を置き去りにして森を駆け抜けましょうとでも言うつもり?」

「そ、それは、えーと……。案外、走ってみたら私達より速い……かもよ……?」

「何ですって?もう一回言ってみなさい」

「いたたた!冗談よ!絞めないで絞めないで……!」

 シルビアは呆れた様子で溜め息をついてから、シャルロットの身体をそっと離す。

「――そういう事よ。私だって本当は一分でも一秒でも早く到着したいわよ」

「まぁ、そうよね……」

 シャルロットもまた、溜め息をつく。そんな二人を見て、マリエルが口を開いた。

「あの……。私達、待ってましょうか……?」

「……え?ど、どうして?」

 内心を読まれたのかと思い、見て取れる程の動揺が表情に浮かぶシャルロット。

「私達が居ると移動が遅くなるでしょうし、その方がお二人も動きやすいと思って」

「それはそうだけど……こんな森の中で待たせるワケにはいかないわ」

 シルビアが答える。するとマリエルは、進行方向とは別の方を指差して、こう言った。

「それなら問題ないです。今居る場所、私が勤めてるカフェにかなり近い場所ですから。すぐそこですよ」

「カフェ?」

 と、口に出してから、シルビアはマリエルと初めて出会ったカフェを思い出す。

「それ本当なの?というか、どうしてわかるのよ?」

「この辺りの風景、見覚えがあるんです。町へ買い出しに行く時に、近道しようとして通った事があって」

「そう……」

 願ってもない事態に、シルビアの顔が思わず綻んだ。

「それじゃあそうしてもらおうかしら。私達は町に急ぐわ」

「ちょっと待って」

 止めたのはシャルロット。

「何よ?」

「カフェの中に居たとしても安全とは限らないわよ?この辺りにだって、まだヴァンパイアが居る可能性が――」

「それは無いよ」

 会話に割り込みそう言ったのは、アリスであった。

「アリス?」

 シャルロットは怪訝そうに彼女の顔を見る。

「この辺りには感じないの。ヴァンパイアの気配。だから、安全だと思う」

「……」

 シャルロットの表情が、何とも言えぬ、気まずそうな表情になった。

 シャルロットはアリスがオリヴィアから力を受け継ぎ、ヴァンパイアとして完全に覚醒したという事実をすっかり忘れていた。それと言うのも、シャルロットにとっては、出会った際のか弱い、そして子供らしく可愛いアリスの印象が強すぎたからだ。

「(そうよね……。この子はもうヴァンパイア――私が知っているあのか弱いアリスとは違う……)」

 シャルロットはアリスの言葉を信じて、彼女に微笑み掛けた。

「わかったわ。あなたを信じる」

「シャル……」

 心配性なシャルロットがすんなりと退いた事に、アリスは少し驚いた様子。

「だって、ヴァンパイアの長である少女、アリス・フォートリエがそう言ってるんですもの。それなら、この辺りには間違いなくヴァンパイアは居ないでしょう」

「信じてくれるの……?」

「そう言ってるでしょ?――三人で、待っていて頂戴。すぐに終わらせてくるわ」

「……ありがとう」

 にこっと、笑顔になるアリス。その笑顔は、ヴァンパイアとして覚醒する前の彼女の笑顔と全く同じもの。

「……どういたしまして」

 シャルロットはアリスを優しく抱き締め、そう言った。


 その後、マリエルの提案通り、三人は戦いが終わるまでカフェで待つ事になり、森の中にはアルベール姉妹の二人だけが残った。

「さて、それじゃあ行きましょうか」

 身体を伸ばし、これから始まる長距離の疾走に備えるシルビア。

「いつでも良いわよ。へばったら置いてくからね?」

 シャルロットはいたずらっぽく笑いながら、そう返す。

「万が一私がへばっても、そんなに問題は無いわ。問題なのはあんたがへばった時よ」

「あら、どうして?」

「迷子になるでしょう」

「――ッ!」

 シャルロットの顔が見る見る内に赤くなっていく。

「し、失礼ね!迷子になんてならないわよ!」

「どうかしら。移動を開始して五分も経たない内に逆戻りをしようとしていた人間の言葉はおいそれとは信用できないわね」

「~ッ!先行くわよ……!」

 その場から逃げ出すように走り出すシャルロット。

「そっちじゃないわよ」

「……先に言いなさい!」

 すぐに、戻ってきた。


 一方、アルベール姉妹の二人と別れ、カフェに向かった三人。

 カフェはマリエルの話通り、すぐ近くにあった。

「本当に近くだな。こりゃ驚いた」

 歩き出して一分も掛からずに到着した事に、思わずエマがそう呟く。

「電気……点いてる……?」

 建物の窓から光が漏れているのを見たアリスがそう言った。

「あれ?私、消し忘れたのかな?昼間は電気なんか点けないハズなんだけど……」

 マリエルがそう呟いたその時、カフェの扉が開き、そこから一人の女性が現れる。

「マリエル!お前さんどこに行ってたんだい?」

 現れた女性はマリエルの姿を見るなり、驚いた様子でそう言った。

「グロリアさん!」

 マリエルはその女性、グロリアの元に走っていき、彼女の胸元に飛び込む。

「無事で……良かったぁ……!」

 マリエルはグロリアの胸元に顔を埋めて泣き始めた。

「おやまぁ、一体どうしたんだいマリエル」

 困惑しながらも、マリエルの頭を優しく撫でるグロリア。

 アルベール姉妹との会話でも出てきたこのグロリアという女性が、このカフェの店主であり、マリエルの雇い主でもある人物であった。

「私、グロリアさんが……もう死んじゃったのかと思って……!」

「私が死ぬ……?そりゃ何故だい?」

「だって、ユーティアスに買い出しに行ってたから……」

「ユーティアスに買い出しに行ったくらいで死んでたまるもんですか。おかしな子だねぇ」

 グロリアはそう言い、声を上げて豪快に笑う。そんな二人のやり取りを見て、眉をひそめるエマ。彼女はグロリアにこう訊く。

「おばさん、ヴァンパイアを見なかったのか?」

「おや、おばさんとは失礼な子だね。私はこれでもまだ三十代前半だよ」

「あぁ……そりゃ失礼――」

 エマは誤魔化すように苦笑を浮かべ、改めてグロリアをまじまじと見る。

 自分の茶髪よりは濃いように見える、栗色の長髪。それをシルビアのように後ろで纏めている。顔も別に老けているようには見えない。

 では何故、エマはグロリアの事を"おばさん"と呼んだのかと、心の中で自問する。

「(話し方――か?)」

「なんだい、急に黙って私の顔を見つめて。不思議な子だねぇ」

「いや、別に……」

 やっぱり話し方なのだろう、と、エマは自己解決した。


 三人はグロリアに促されるようにカフェの中に入り、初対面であるアリス、エマの二人は、自己紹介をする。

「そっちのアリスって子は知ってるよ。マリエルの妹さんだろう?」

「はい。姉が、いつもお世話になっています」

「おやまぁ、よくできた妹さんだねぇ。マリエル、少しは見習いなよ」

「ど、どういう意味ですか!」

 赤面した顔で憤るマリエルに、グロリアはまたも豪快に笑ってから答える。

「そのままの意味だよ。あんたはもう少し、落ち着きのある振る舞いってのを学んだ方が良い。おどおどしすぎなのさ」

「うぅ……」

「なぁ、グロリアさんよ――」

 仕切り直すように咳払いをしてから、エマが話を切り出す。

「あんた、もしかしてヴァンパイアを見てないのか?」

「ヴァンパイア……?」

 グロリアは眉をひそめて、しばらくエマの顔を見つめる。

「冗談を言ってるとかじゃないんだぜ。ユーティアスには居なかったのか?」

 話を続けるエマ。彼女の真剣な眼差しを見たグロリアは、おちゃらけようとしていたのを止め、答えた。

「見なかったねぇ。いつも通りの、賑やかなユーティアスだったよ」

「じゃあ、ユーティアスからここに帰ってくるまでの途中は?」

「別に、変な奴は見なかったねぇ。日が暮れる少し前には戻ってきたけど」

「そうか……」

 グロリアが本当にヴァンパイアと遭遇しなかった事がわかり、エマは質問を終える。

「それで、そのヴァンパイアってのは一体どういう事なんだい。詳しく説明しておくれよ」

 グロリアは真剣な表情でそう訊く。

「あぁ、説明するよ――」

 エマはグロリアに、一連の経緯の説明を始めた。


「……あれ?」

 二人が会話をしている傍らで、つい先程までは隣に居たハズのアリスが居なくなっている事に、マリエルが気付く。

「アリス……?」

 辺りを見回し、店内には居ない事を確認すると、マリエルは外に出て彼女を探す。

 すると、アリスは扉を開けてすぐ左側にあるテラスの椅子に一人で座って、夜空を見上げていた。

「アリス!外は危ないよ……!」

 慌てた様子で彼女に駆け寄るマリエル。そんな彼女とは正反対に、アリスは落ち着いた様子で微笑み、答える。

「大丈夫。ここにはヴァンパイア達は居ないから」

「そ、そうかもしれないけど……」

「でも――」

 言葉を切って、アリスは再び夜空を見上げる。マリエルが彼女の視線を辿ってみると、そこには雲に半分隠れている月が見えた。

 そして、アリスはこう呟く。

「それも、時間の問題かもしれない……」

「……え?」

 アリスの発言に耳を疑い、マリエルは彼女の横顔を見つめる。

 アリスは、たった今雲から出てきて完全に姿を現した月を、ただじっと見つめていた。

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